奈良市発行の鳥瞰図
類友ではありませんが、先日の魚佐旅館の地図に続き、奈良市発行の鳥瞰図を入手しました。
地図の全体像は以下の通りです。
南から北を見る形で、右側に春日山が描かれています。
東大寺付近。
下中央部の建物の名は「商工館」とありますので、この地図の刊行年代は一応昭和9年以降と推定されます。
奈良市西部。
左上隅付近に、例の長大な剣が出土した富雄があります。
平城宮趾も載っています。
下辺に郵便局と警察署があり、警察署の方が東側なので、一応昭和13年以前と推定されます。
先日の魚佐旅館の地図で見たように、これらを手がかりにした年代推定にはやや危ないところがありますが、この地図の年代は、一応昭和9年~13年の可能性が高そうです。
地図の右下にピンクで塗りつぶされた部分があります。
ピンクのすぐ左側には「三十八聯隊」とあります。
歩兵聯隊の敷地を隠したのでしょう。
裏面は奈良案内になっています。
①興福寺には「一二八〇年前の建立」とあります。③春日神社には「一一六九年前の鎮座」とあります。
これらを手がかりにすれば、この地図の刊行年代は簡単に出せるではないか。
そう思って、計算してみました。
建立、鎮座の年代が書かれているのは以下の神社仏閣です。
興福寺 :1280年前建立 669年建立→1949年刊行
春日神社:1169年前鎮座 768年鎮座→1937年刊行
東大寺 :1191年前鎮座 741年建立→1933年刊行
新薬師寺:1189年前建立 747年建立→1936年刊行
般若寺 :1201年前建立 629年建立→1830年刊行
法華寺 :1188年前建立 745年建立→1933年刊行
バラバラです。どの時点を建立、鎮座と見るかで揺れがあるのでしょう。
1933年(昭和8年)が2つあります。
先ほどの推定の昭和9年~13年からは1年外れますが、近似です。このあたりの年の刊行の可能性が高そうです。
諸種料金と名産。
これまた、先日の魚佐旅館の記載と重なりますので、比較するのもおもしろそうです。
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・壬申の乱1~23を読ませて頂きました。以前から中大兄皇子、大海人皇子について、フォローしたいと思っていました。この壬申の乱の記事は、空間的、時間的な位置づけがきちんとできていて、大変参考になりました。特に『日本書紀』には記されていないが、~隊は、どう動いていたかという想像の部分、これこそ理系的センスで描かれていて、素晴らしいと思いました。
・古代史は楽しいですね。いろいろな想像する部分もあってそれを補いつつ、歴史を描くのに格好な材料です。
・次にやっていただきたいことは、空白の4世紀にどうやってヤマト政権が誕生したか、考古学的な材料と、推論とを交えて描いていただきたいと思います。
・私は、『武光誠著PHP文庫「古代日本」誕生の謎』と崇神天皇以来の実在とされている天皇を比定しながら、どのようにヤマト政権が誕生してきたのかを推論して楽しんでいます。
投稿: 山下保博 | 2023年9月21日 (木) 06時26分
山下保博様
コメントをありがとうございます。
また、壬申の乱の経緯をお読みくださいましてありがとうございます。
「玉村の源さん」こと、北川和秀と申します。
専門は国語学・国文学なのですが、子どもの頃から日本史が大好きで、三つ子の魂百までです。
今回の壬申の乱の記事は、ふと思い立って始めたことですので、準備不足は否めませんが、自分自身がまあまあ理解できたように思います。実際に地図や年表を書いてみるのは勉強になりますね。
個々の部隊の兵数がほぼ分かりませんので、それが何とか分かればいいと思いますが、史料に記載がないと何ともなりませんね。
部隊の進度は、1日の移動距離からもう少しちゃんと推測できるように思います。
琵琶湖の西回り部隊とか。
今回の反省を生かして、来年、また日付に合わせた改訂版を載せるかもしれません。
4世紀は資料がないので難しいですよね。
何か発見される可能性はありますので、それを待ちたいです。
邪馬台国がどこにあったのかとも大きく関わってきますので、それと連動しますね。
あれこれ明らかになればいいと思います。
投稿: 玉村の源さん | 2023年9月21日 (木) 10時40分