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2023年7月

2023年7月31日 (月)

『ならら』最新号の特集は空海

 今日、『ならら』の8月号が届きました。
Narara202308a
 今号の特集は空海です。

 目次は以下の通りです。
Narara202308b
Narara202308cNarara202308d

 空海と奈良? と不思議だったのですが、「特集2」にちゃんと「空海が歩んだ奈良」という項目が立っていました。
 空海はかなり奈良と関わりがあったようです。
 不勉強でした。お恥ずかしい。

 46ページに「女王卑弥呼はヤマト王権の最初の大王で纏向は王都」という企画特集があります。
 内容は、今年の3月に刊行された中公選書『卑弥呼とヤマト王権』(桜井市纏向学研究センター所長・寺沢薫著)の内容紹介です。
 5ページにもわたる、『ならら』では珍しい分量です。

 このページの直後にこういうページがあります。
Narara202308e
 『ならら』としては、邪馬台国は纏向押しですね。

2023年7月30日 (日)

土用の丑の日はうなぎ

 暑い日々が続きます。
 土用の丑の日なので、買ってしまいました。
Unagi2023
 買ったのはいつものスーパーです。
 「どうする家康」が終わってから買いに行きましたので、3割引でしたが、それでもなかなか。
 ま、1年に1回か2回ですので、良いことにします。

 金魚の水槽の水は33度でした。今期最高ですが、至って元気で食欲旺盛です。
 でも、35度くらいになるようなら、金魚部屋のエアコンをつけます。

2023年7月29日 (土)

第43回群馬学連続シンポジウム

 少し先ですが、9月23日(土・祝)に、群馬県立女子大学で群馬学連続シンポジウムが開催されます。
Gunmagaku43a
 PDFはこちら。
https://www.gpwu.ac.jp/img/5d046a9362c8b7f8874d674d6bd6ada6bdf52035.pdf

 天正18年というのは、小田原北条氏が滅亡して、その旧領に徳川家康が入部した年です。
 シンポジウムの趣旨は以下の通りです。
Gunmagaku43bGunmagaku43c

 事前申し込みが必要で、申込方法は以下のようになっています。
Gunmagaku43d
 500円の参加料が必要ですが、参加者には以下の特典があります。
Gunmagaku43e

2023年7月28日 (金)

群馬県庁で創作こけし展

 今日はまた月に1度の群馬で講座の日でしたので、猛暑の前橋に行ってきました。
 受講生は減る一方でしたが、今回、新規参加の方が1名いらして、ありがたいことでした。
 また恒例によって県庁に立ち寄りました。そうしたら、1階のホールで創作こけし展が開催されていました。
 県庁では、時折、創作こけし展が開催されています。

 あまり時間がなくて、サラサラッとしか見られませんでしたが、その中で面白いと思ったものをいくつか。

 「招かない猫」
Kokeshi2023a

 「君が生まれた日」
Kokeshi2023b

 「鬼ヶ島へ行く勇者」
Kokeshi2023c

 「ねずみ小僧」
Kokeshi2023d

 「斬」
Kokeshi2023e

 「温泉群馬」
Kokeshi2023f

 このうち「ねずみ小僧」と「斬」は同じ作者の作です。
 時代劇が好きなのでしょうかね。

 こけしの概念を大きく変えてしまうような作品が多かったです。
 あれこれ楽しく拝見しました。

 いやぁ、群馬暑かったです。
 空気は乾燥していたようで、蒸し暑くはなかったです。乾いた暑さといいますか、日差しが照りつける暑さでした。
 遠距離の往復で少し疲れましたが、熱中症にもならず、大丈夫でした。

 帰宅後は、まずは金魚のゴハン。次に鉢植えの水やりをしました。

2023年7月27日 (木)

今日は「スイカの日」

 今日7月27日は「スイカの日」です。
 スイカの消費拡大を願って、スイカ生産者のグループが制定したそうです。
 日付は、スイカの縞模様を綱に見立てて、「な(7)つのつ(2)な(7)」(夏の綱)と読む語呂合わせからとのことです。
 ちょっと無理があるような。(^_^)

 子供の頃、スイカの縞模様は八百屋さんが墨と筆で書いているのだと思っていました。

 スイカといえばJR東日本のSuicaもあります。

 手元のHDDの中に両者を合体させたものが2つありました。
Suica_suika01
Suica_suika02

 ベタな語呂合わせですけど、まだあるのではないでしょうか。

2023年7月26日 (水)

「神戸かるた」

 「神戸かるた」を入手しました。
Kobecard01
 製作は明治図書出版、発売元は兵庫県教育図書販売です。

 絵札から独断と偏見で。
Kobecard02

 これらの読み札は以下の通りです。
  あ:敦盛の五輪の塔は苔むしぬ
  い:異人館、明治生れの風見鶏
  お:大和田の泊に近く清盛塚
  か:ガス灯がともった居留地今はビル
  き:菊水の旗ひるがえる楠公さん
  つ:つかの間の福原京や雪の御所
  ふ:葺石で海を見おろす五色塚
  ま:街の中生田の森の古戦場

 絵札の裏面には解説が書かれています。
Kobecard03
 楠公さんについては、楠公さんの終焉の地か、水戸光圀の碑を絵札にしてほしかったです。

 各地のかるたは楽しいです。

2023年7月25日 (火)

東京にもぐんまちゃんカップラーメン

 今日、近所のいつものスーパーで、ぐんまちゃんのカップラーメンが目に飛びこんできました。
Gunmac_cupmiso01
 スーパーで買う物は大体決まっているので、いつも決まったルートで中を回るのですが、今日は違ったルートを採ったので出会えました。

 群馬をアピールしています。
Gunmac_cupmiso02
 群馬県内で醸造した味噌を使っているのですね。

 販売者はサンヨー食品ですが、製造所はそのグループ会社の太平食品とのことです。
Gunmac_cupmiso03
 太平食品の所在地は前橋市朝倉町ですね。
 朝倉町は、玉村町にもほど近い位置にあります。

 万葉集の上野国防人歌の中に朝倉益人の作があります。
Gunmac_cupmiso04
 朝倉町は、朝倉氏ゆかりの地名の可能性があります。

 いやしかし、近所のスーパーでぐんまちゃんに会えるとは思いませんでした。
 東京にもぐんぐん進出してほしいです。
 ただ、何度も言いますけど、赤い帽子にはなじめません。ぐんまちゃんの帽子は緑でないと。

壬申の乱の経緯を追って23 補遺

 6月24日に大海人皇子が吉野を脱出して以来、壬申の乱の日付に合わせて、その経緯を追ってきました。
 乱は約1ヶ月後の7月23日に大友皇子が自尽したことで終結します。以後は残党狩りといった感じです。

 ブログを書いて行く過程で、2つほど漏らしたことがありましたので、それを補います。

 7月1日、大伴吹負が乃楽山に向かって進軍中、稗田に至った時に、河内から大軍が迫っているという情報に接したので、兵を割いて、龍田、大坂、石手道に配備します。
 そのうち、龍田に遣わされた坂本財らは、淡海軍が高安城にいると聞いて高安城に向かいますが、淡海軍はいち早くそれを察知し、倉を焼いて逃亡します。
 坂本財は高安城を占拠しますが、河内方面から壱伎韓国の大軍が迫っているのを知り、城を出て、衛我河で韓国軍と戦います。
 しかし、兵力差は如何ともしがたく、坂本財は敗れ、味方が守っていた懼坂道に退きます。

 この頃、河内守来目塩籠は大海人皇子に従おうと兵を集めていましたが、そのことが壱伎韓国に知られ、塩籠は自尽します。

 7月4日、多数の淡海軍が諸道から迫ってきたので、大海人軍は戦うことも叶わず、撤退します。この日は、乃楽山の戦いで大伴吹負が敗退した日です。やがて吹負は、墨坂で置始兎が率いる援軍を得、大海人方の兵を結集して壱伎韓国の軍を押し戻します。それが7月の何日のことなのかは不明ですが、もしも7月4日に韓国軍がそのまま倭に攻め寄せていたら、飛鳥古京を奪還することができたと思います。
 それが、淡海軍唯一の勝機だったかもしれません。
Jinshinchizu28

 一方、不破方面でも同じ頃に戦闘がありました。村国男依が出撃する前のことと思われます。
 大海人方が不破道を堅く守っていたので、淡海方は北の脇道を通って攻め込もうと考えたようで、精兵に玉倉部邑を急襲させますが、出雲狛に撃退されます。
 その後、村国男依が湖東を連戦連勝して瀬田橋の決戦を迎えることになります。
Jinshinchizu29

 以上、2点追加です。

 6月24日以来、壬申の乱の経緯にお付き合いいただきましてありがとうございました。
 掲載した地図は全部で29枚になります。日を追って地図を作成したことで、壬申の乱の推移がとてもよく理解できました。
 年表でも系図でも地図でも、やはり自分で作ると身になりますね。
 そのことを改めて実感しました。
 とても楽しかったです。

2023年7月24日 (月)

奈良市発行の鳥瞰図

 類友ではありませんが、先日の魚佐旅館の地図に続き、奈良市発行の鳥瞰図を入手しました。
Narachokan11

 地図の全体像は以下の通りです。
Narachokan12
 南から北を見る形で、右側に春日山が描かれています。

 東大寺付近。
Narachokan13
 下中央部の建物の名は「商工館」とありますので、この地図の刊行年代は一応昭和9年以降と推定されます。

 奈良市西部。
Narachokan14
 左上隅付近に、例の長大な剣が出土した富雄があります。
 平城宮趾も載っています。
 下辺に郵便局と警察署があり、警察署の方が東側なので、一応昭和13年以前と推定されます。
 先日の魚佐旅館の地図で見たように、これらを手がかりにした年代推定にはやや危ないところがありますが、この地図の年代は、一応昭和9年~13年の可能性が高そうです。

 地図の右下にピンクで塗りつぶされた部分があります。
Narachokan15
 ピンクのすぐ左側には「三十八聯隊」とあります。
 歩兵聯隊の敷地を隠したのでしょう。

 裏面は奈良案内になっています。
Narachokan16
 ①興福寺には「一二八〇年前の建立」とあります。③春日神社には「一一六九年前の鎮座」とあります。
 これらを手がかりにすれば、この地図の刊行年代は簡単に出せるではないか。
 そう思って、計算してみました。
 建立、鎮座の年代が書かれているのは以下の神社仏閣です。

  興福寺 :1280年前建立 669年建立→1949年刊行
  春日神社:1169年前鎮座 768年鎮座→1937年刊行
  東大寺 :1191年前鎮座 741年建立→1933年刊行
  新薬師寺:1189年前建立 747年建立→1936年刊行
  般若寺 :1201年前建立 629年建立→1830年刊行
  法華寺 :1188年前建立 745年建立→1933年刊行

 バラバラです。どの時点を建立、鎮座と見るかで揺れがあるのでしょう。
 1933年(昭和8年)が2つあります。
 先ほどの推定の昭和9年~13年からは1年外れますが、近似です。このあたりの年の刊行の可能性が高そうです。

 諸種料金と名産。
Narachokan17
 これまた、先日の魚佐旅館の記載と重なりますので、比較するのもおもしろそうです。

2023年7月23日 (日)

三種の神器お守り

 ネットオークションで見かけて、つい落札してしまいました。
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 「お守りをネットオークションに出すなんて」「お守りをネットオークションで買うなんて」ということはあると思うのですが、いや、まぁ、珍しくも面白く思って。

 バラけさせて撮影するとこんな感じです。
3jinkimamori02
 キンキラのが4つ付いています。玉、鏡、剣と、もう1つは幣帛でしょうか。

 白崎八幡宮というのは岩国の神社だそうです。
 三種の神器のお守りを作っているって、どうなの? と思いましたが、ググってみたら、祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后だそうです。
 失礼しました。

 珍しいものが手に入りました。

壬申の乱の経緯を追って22 大友皇子の最期

 7月23日、村国男依らは、近江の将犬養五十君と谷塩手とを粟津市で斬刑に処します。
 このうち犬養五十君は、かつて倭の中ツ道の戦いの司令官として登場していました。
 その後、倭から駆逐されても逃走せずに最後まで淡海方として戦ったのでしょう。

 大友皇子は逃走する地もなく、瀬田から引き返して山前(やまさき)に隠れ、自ら首を縊って自決します。
 その時、左右大臣をはじめとする群臣たちは逃亡してしまい、皇子に最後まで従ったのは物部麻呂と一両人の舎人のみでした。

 さてここで、大友皇子が自縊したという山前の所在がはっきりしません。
 新編全集の日本書紀の注には5説上がっています。
  ①三井寺背後の長等の山前
  ②河内国茨田郡三矢村山崎
  ③河内国交野郡郡門の山崎
  ④山城国乙訓郡大山崎村の山崎
  ⑤山崎は固有の地名でなく、普通名詞で大津京付近の地
 そして、「①説が有力だが、⑤説を採りたい。」としています。
Jinshinchizu27
 いかがでしょうか。
 日本書紀には、「乃ち還りて山前に隠れ、自ら縊れぬ(乃還隠山前、以自縊焉。)」とあります。
 大友皇子は大津京から瀬田川の戦いに出馬して敗退します。「還」る先は大津京以外にはないでしょう。
 そう考えれば、皇子は大津京目指して落ちて行く途中、①の山前で自尽したか、あるいは大津京に帰り着いたものの、もはやこれまでと思って⑤の地で自尽したかということになるのではないでしょうか。
 そのいずれであるかについては①が良いと考えます。
 ⑤説には山前を普通名詞とする点に無理があるという理由からです。
 ②~④の山前は離れすぎていて「還」るという記述に合わないと考えます。
 また、瀬田・大津付近でないとしたら、日本書紀編者は単に「山前」とは書かずに、「茨田郡の山前」とか「乙訓郡の山前」と書いたのではないでしょうか。そうでないと、どこの山前やら限定できません。

 日本書紀に「山前」はもう1ヶ所登場します。
 昨日書いた、倭の三道を北上してきた部隊が到達した山前です。
 2つの山前は同じ場所であるのか、それとも異なる場所であるのか。
 同じ壬申紀に「山前」と出てくる以上は同じ山前とする方が考えやすくはあります。
 しかし、こちらの山前は書紀本文には「山前に至りて、河の南に屯(いは)む。(至于山前、屯河南。)」とあります。
 この河はどこの河なのか。
 もしも、こちらの山前も①または⑤の山前であるとすると、「河」は瀬田川でしょうか。
 しかし、瀬田川の南というと、そこはもう山前ではありません。倭から北上した部隊が山前まで到達しながら、一旦兵を引いて、瀬田川の南に布陣したというのもおかしなことです。
 ①または⑤の山前まで到達しているのならば、淡海軍を挟み撃ちにできます。
 ④の大山崎(後世、秀吉と光秀との間で山崎の合戦が行われた地)も、河の南というと淀川の南ということになります。
 淀川を越えて山前まで達しながら、また河を渡って淀川の南に布陣したということになります。
 ②③の山前ならば、淀川の南ですから、これならば淀川の南の山前に到達し、そこに布陣したということでよく分かります。
 地図にもう1ヶ所「枚方市楠葉」と記したのは、新編全集で倭からの北上軍が布陣した方の山前の候補地として追加してある地点です。
 こちらも淀川の南です。

 ということで、大友皇子が自ら命を絶ったのは長等の山前、倭から三道を北上してきた部隊が布陣したのは淀川の南の枚方、茨田、交野のいずれかの山前と考えます。
 ただ、あまりすっきりはしません。日本書紀の本文では、後者の山前がいずれの地であるのか文脈からは全く限定できないからです。
 それに、同じ壬申紀の乱の終焉付近に登場する2つの山前が別の場所だなどということが、果してあろうかという大きな疑問が消えません。
 更に考えてみます。

2023年7月22日 (土)

金魚元気&水草発根

 暑い日が続き、水槽の水温も30度~32度くらいになりますけど、金魚は全員とても元気です。
Kingyo_r050718
 この写真だと、旧金魚と新金魚の大きさの比較ができそうです。
 新金魚、本当にちびっ子です。かわいいです。

 抜けてしまった水草が発根していました。
Mizukusa20230721
 ピンボケでお恥ずかしいです。

 金魚屋さんで買ってきた水草(カボンバ)、なかなか発根しないんですよ。
 地上の(という言い方はヘンですけど)植物は、水分や養分を取り込むために根は必須ですけど、水中で生きている水草はあまり根を必要としないのでしょうかね。
 でも、水分はともかく、養分を取り込むためには根が要るのではないかと思います。
 折角発根したのですから、存分に根を張ってほしいです。

 今日はZoomの会議があったので、いつものように金魚の水槽をバックに、会議に参加しました。
 普段、金魚のゴハンは朝夕2回なのですが、私が水槽に近づいただけで、ゴハンゴハンと大騒ぎをしますので、その圧に負けて、会議が終わった後、特別にゴハンをやりました。今日は3食です。
 ま、1日2食でなく、3食でも全く問題ありません。

壬申の乱の経緯を追って21 瀬田橋の決戦

 今日7月22日、瀬田橋を挟んで大友皇子の軍勢と村国男依の軍勢とが対陣します。
Jinshinchizu25
 日本書紀に依れば、大友皇子の軍勢は大軍で、末尾が見えないほどだったといいます。
 文飾がありますが、実態はどれほどだったでしょうか。
 本当に大軍勢を擁していたのだとすると、その兵力を決戦に備えて温存していたというべきか、あるいは戦線に投入すべき時機を逸したというべきか。
 合戦は、淡海方の先鋒を務めた智尊が精鋭を率いて善戦しますが、大海人方の大分稚臣の奮闘によって先鋒が崩されると、その勢いに抗えず、敢えなく全軍が崩壊します。
 淡海方の兵は実際にはあまり多くなかったのかもしれません。
 勝利をおさめた村国男依は、粟津の岡のもとに陣営を定めます。

 同日、湖西では、羽田矢国・出雲狛の部隊が三尾城を陥落させます。
 また、倭の三道を北上してきた置始兎らの部隊は「山前」に到り、「河の南」に布陣します。
Jinshinchizu26
 この「山前」「河」がどこを指すのか明らかではありません。
 これについては明日少し触れます。

2023年7月21日 (金)

魚佐旅館の奈良案内比較

 今週の月曜日(7月17日)に「魚佐旅館の奈良案内(2)」という記事を書きました。
Uosamap07_20230721210901

 「2」としたのは、以前、同じ魚佐旅館の同様の案内をブログに載せていたからです。
Uosaannai02

 どちらが古いのかなど、比較してみます。

 掲載されている地図を比較してみると、いくつか違いが見つかりました。

 まず、奈良国立博物館の南東にある施設名です。
Uosamap10
 左が今回入手した奈良案内(Aとします。以下同)、右が以前入手した奈良案内(Bとします。以下同)です。
 右下隅の施設名が、左のAでは「物産陳列場」とありますが、右のBでは「商工館」です。
 これは地図の年代を決める指標になります。この建物の名称は以下のように変遷しています。

  明治35(1902)年 奈良県物産陳列所開業
  大正10(1921)年 奈良県商品陳列所と改称
  昭和 9(1934)年 奈良県商工館と改称

 現在は、奈良国立博物館仏教美術資料研究センターになっています。

 Aの地図の名称は「物産陳列場」ですので、ぴったり合う名称はありませんが、「所」と「場」の相違を無視すれば、Aは明治35年から大正10年までの間に作成されたことになります。
 ところが、そううまくは行きません。この案内の裏側にこんな記述があります。
Uosamap12
 3行目の「倶楽部」の説明に「明治帝 大正帝 今上陛下」とあります。この文章はAB共通です。
 ということは、AもBも昭和になってからのものということになります。
 油断なりません。

 一方、Bには「商工館」とありますので、こちらは昭和9年以降であることが確実です。
 Aは昭和元年~9年と考えて良さそうです。
 少なくとも、Aの方がBよりも古いことは確実です。
 そう思って表紙を見れば、Aには「魚佐旅館」とあるのみですが、Bには「魚佐旅館」「魚佐別館」とあります。
 別館が増えたのでしょうね。

 もう1つの手がかりは奈良警察の所在地です。
Uosamap11
 左のAでは、奈良警察は大軌(現近鉄)の電車乗り場の南にありますが、Bでは郵便局の西にあります。
 奈良警察は昭和13年に東から西に移転していますので、Aは昭和13年以前、Bは昭和13年以降と推定されます。
 Bは確実ですが、Aの年代には多少のタイムラグがあるかもしれません。

 Aの年代の上限については他に手がかりがあるかもしれません。

 裏面は奈良の名所案内等の解説文になっていて、こちらはABともに大差はありません。
 やや異なるのは奈良の名産品などです。
Uosamap14
 このように随分異なります。理由を知りたい気がします。業界からの希望があったのでしょうかね。

 交通機関やその料金などはほぼ同じです。
Uosamap13
 相違点は「自動車 人力車」の「市内」料金です。
 より古いAでは70銭均一ですが、新しいBでは50銭均一になっています。
 ものの値段は徐々に上がってゆくものと思っていましたが、値下げですね。
 あとは、値段も電車の所要時間も全く変わりません。
 表記に関して、Aには「自働車」とあるのが、Bでは「自動車」となっています。この相違に新旧の差を感じます。

 魚佐旅館については以前も書いたのですが、奈良市の地図を地図を見るたびに、猿沢池の南にある魚佐旅館という旅館名に目が行き、不思議な名称と思っていました。
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 ところが、明治18年の道中記(定宿帳)に「うをや佐兵衛」とあるのを見つけました。位置もまさに猿沢池の南です(右が南)。
M18isshin04
 魚屋佐兵衛を縮めて魚佐だったのです。
 これが分かった時は「おお!」でした。
 こういうのは楽しいです。

2023年7月20日 (木)

壬申の乱の経緯を追って20 決戦を前に

 日本書紀には7月20日も21日も記事はありません。
 ただ、決戦間近です。
 淡海方面では、連戦連勝して栗太まで南下してきた村国男依軍と、湖西を進軍してきた羽田矢国軍とが大津京を目指しています。
 淡海方も瀬田川を最後の防衛線として、戦備を整えていることでしょう。
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 一方、倭では、大伴吹負が倭を平定し、吹負自身は大坂を越えて難波の小郡に駐屯します。
 そして、以西諸国の国司に命じて、正倉の鍵と駅鈴・伝印を提出させ、西の諸国の財政・軍事権を預かります。
 また、吹負以外の諸将は、兵を率いて三道を通って北上します。
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2023年7月19日 (水)

高田衛氏ご逝去

 近世文学研究者の高田衛氏が亡くなられたことを今朝知りました。
 7月5日ご逝去。享年93とのことです。

 高田先生には、平成19年に勤務先で開講されたリレー講座でお世話になりました。
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Takadamamoru02
 演題は「『里見八犬伝』の文章」でした。
 手に持っていらっしゃる八犬伝のc見開きはどういう場面でしょうね。
 詳しい方ならばお分かりかもしれません。
 朝ドラ「らんまん」の寿恵子さんが知ったら、聴きたかったでしょうね。

 お目に掛かったのはその時の1回きりでしたが、私がその講座の担当でしたので、講演をお願いしたり、日程を調整したり、当日は高崎駅までの送迎をしたりなどしました。
 講演をご快諾くださったことをはじめ、ありがたいことでした。

 その年度の講師と演題は以下の通りです。

 平成19年度 公開授業「美しい日本語」
  高田 衛「『里見八犬伝』の文章」
  中村 明「日本語の芸―ことばの粋とユーモア」
  瀬戸賢一「日本語の味ことば」
  城生佰太郎「美しい日本語」
  葛西聖司「歌舞伎―名セリフの口承」
  浅田次郎「小説とは何か 小説家とは何か」
  北川和秀「語源の話」
  長谷川宏「日本文化と外来文化」
  国広哲弥「日本語表現の諸問題」
  飛田良文「理想の国語辞典とは何か」

 錚々たるメンバーでした。
 あらかたは国語学者ですが、小説家の浅田次郎氏もいらっしゃいますし、NHKアナウンサーの葛西聖司氏もいらっしゃいます。
 そんな中に私が紛れ込んでいるのは、いかにも場違いです。
 畏れ多いことながら、ご病気でおいでくだされなくなった講師の方のピンチヒッターでした。

2023年7月18日 (火)

お寺のたぬき画像

 先日、菩提寺に行った時に見せて頂いた、たぬき除けの狼の尿の写真を載せました。
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 今日、ご住職からたぬきの写真が送られてきました。
Myokenjitanuki01
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Myokenjitanuki03
 玄関先に設置された防犯カメラからの画像です。
 お皿が置いてありますが、たぬきを追い払おうとしているのに、たぬきの餌を置いていらっしゃるとは思えません。
 お寺に来る地域ねこ用のお皿でしょう。

 こちらは直接の撮影のようです。
Myokenjitanuki04

 本当に東京23区内とはとても思えません。

2023年7月17日 (月)

魚佐旅館の奈良案内(2)

 このようなしおりを入手しました。
Uosamap07
 奈良市の魚佐旅館の奈良案内です。

 同様なものは以前も入手し、ブログに載せたことがありました。
Uosaannai02
 この時の表紙は興福寺の天灯鬼立像ですね。
 今回のは、鞍を置いた奈良の鹿です。
 鞍のある奈良鹿というのは珍しいです。鹿島から神様がいらした時に騎ってきた鹿でしょうか。

 表紙に続いて奈良市の案内地図があります。
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 裏面は名所案内などです。
Uosamap09

 後日、両者を比較してみます。

壬申の乱の経緯を追って19 栗太の軍勢を追い払う

 7月17日、村国男依の軍勢は栗太の兵を追い払う。
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 安河で大勝した村国男依の部隊はさらに南下し、栗太の軍勢を追い払います。
 淡海方の最後の防衛線というべき瀬田川まであとわずかの地点まで迫りました。

2023年7月16日 (日)

昨日の「ブラタモリ」は埼玉県行田市

 昨日のNHK「ブラタモリ」は埼玉県行田市でした。
 稲荷山古墳のある市です。

 番組冒頭は前玉(さきたま)神社から始まりました。
 このあたりの地名は埼玉県行田市埼玉(さきたま)だそうで、音便化していない「さきたま」という地名が残っているそうです。
Buratamogyoda01

 そのあとはさきたま古墳群に移動し、丸墓山古墳に登りました。
 そして、稲荷山古墳出土鉄剣銘の話。
Buratamogyoda02

 レプリカを目の前にしての解説でした。
 タモリさん、この鉄剣銘の内容をよくご存知でした。
Buratamogyoda03
 さすがです。

 この鉄剣はサビに覆われていたのを、奈良の専門機関に持っていって、そこでX線検査をした時に銘文が発見されたのでしたが、持っていった時は竹を二つ割りにしたものに挟んで持っていったのが、
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 銘文が発見されたことで、帰りは厳重な取扱いをされたとのことでした。
Buratamogyoda05
 手のひら返しです。

 その後は中世の難攻不落の忍城のこと、近世以降の行田の足袋のことを取り上げていました。
 いずれもとても面白かったです。

2023年7月15日 (土)

壬申の乱の経緯を追って18 倭方面最後の戦闘

 日本書紀には、今日7月15日の記事はありません。
 淡海方面では13日に大海人軍が安河で大勝しています。
 倭方面では日付不明ながら大海人軍が河内方面からの淡海軍を撃退し、飛鳥古京の本営に戻ってきています。

 その後、飛鳥古京には東国からの軍勢が多数到着したので、大伴吹負は兵を3つに分けて、上ツ道、中ツ道、下ツ道に配し、淡海軍の来襲に備えます。
Jinshinchizu21

 上ツ道では、三輪高市麻呂と置始兎が箸陵で淡海軍に大勝します。
 中ツ道では、村屋に陣を置いた淡海軍の犬養五十君が廬井鯨に精兵二百を与えて大伴吹負の陣営を衝かせます。吹負麾下の兵は少なく苦戦しますが、そこに、箸陵の戦いで勝利をおさめた三輪高市麻呂らの部隊が廬井鯨の背後を衝き、勝利をおさめることができました。
 下ツ道については記述がありません。

 大伴吹負は飛鳥古京の本営に戻って軍を立て直しますが、この先、淡海軍はもう攻めてきませんでした。
 淡海方面で敗戦が続いているので、そちらに兵を集中させようとしたのかもしれません。
 逃亡した兵もいたことでしょう。

2023年7月14日 (金)

獣除けの特効薬

 今日はお盆のお塔婆を頂きに菩提寺に行ってきました。
 いつもなら猫が来ているのですが、最近は寄りつかないのだそうです。
 1匹は3ヶ月ほど姿を見せず、もう1匹も遠慮がちで。
 理由はたぬきの一家が住みついてしまったからだそうです。
 都会なのにたぬきです。自然豊かではありますけど。
 あちこちに糞をするし、子だぬきたちが洗濯物のシーツを落としたりと、お困りだそうです。
 そこで、登場したのがたぬき除けの特効薬。
Wolfp
 狼の尿だそうです。
 このあたりでは売っていないので、ご住職が千葉に行かれた時にお求めになったそうです。
 これで3000円。
 狼の尿100%ですから、高くても当然という気がします。
 製造元では狼を飼育しているのでしょうかね。
 珍しいものを見せて頂きました。

 先日頂いた金魚のえびせんべいは、ご住職の奥さまのセレクトだそうです。
Shimahide01
 私のブログをご覧くださっていて、最近子金魚を飼い始めたこともご存知でした。
 ありがたいことです。

 また、ご住職も金魚が大好きで、ランチュウのブリーダーになりたいと思っていらした時期もあったそうです。
 金魚のことをいろいろとお伺いしました。

 金魚、良いです。

2023年7月13日 (木)

複製本『宸翰』(6)藤原公真跡屏風帳、大小王真跡帳

 少し日が空いてしまいましたが、5回に亙ってご紹介してきた明治17年の複製『宸翰』の6回目です。

 まず、藤原公真跡屏風帳。
M17shinkan21
 これは、光明皇后が亡父藤原不比等が書いた屏風を東大寺盧舎那仏に奉献するという内容です。

 次は、大小王真跡帳。
M17shinkan22
 王羲之と王献之の真跡を東大寺盧舎那仏に奉献するという内容です。

 この両文書は同筆とされています。
 どちらも恵美押勝の署名は、「押勝」という名前ではなく「朝臣」というカバネになっています。

 大小王真跡帳が複製『宸翰』の末尾に当たりますので、これで全てです。

壬申の乱の経緯を追って17 村国男依、安河のほとりで淡海軍に大勝

 7月13日、村国男依、安河(野洲川)のほとりで淡海軍に大勝。
Jinshinchizu20

 息長の横河、鳥籠山で淡海軍に勝利をおさめた村国男依はさらに南下を続け、安河のほとりで淡海軍に大勝します。
 距離的にも大津京にだいぶ接近し、これで大勢はほぼ決した感があります。

2023年7月12日 (水)

「うさぎとかめ」の端布か

 この様な端布を入手しました。
Usagihagire2_01
 絵は3つですが、文字通りの端布ですので、本来はもう少し絵があった可能性があります。

 1つ目。
Usagihagire2_02
 「うさぎが いねむり している あいだも」とありますので、「うさぎとかめ」が思い浮かびます。

 2つ目。
Usagihagire2_03
 頭をかきながらうさぎが謝っています。

 「うさぎとかめ」の詳細は知りませんが、歌では「もしもしかめよ かめさんよ 世界のうちでおまえほど 歩みののろいものはない どうしてそんなにのろいのか」と、うさぎがかめを馬鹿にするところから始まっていますので、かめに負けたうさぎがかめに謝るというのはよく理解できます。

 3つ目。
Usagihagire2_04
 これがよく分かりません。
 うさぎは走っていますね。
 スタート場面でしょうか。それとも目が覚めたあとの様子でしょうか。
 枝に止まっている鳥たちが、「早く、早く」と急かせているのだとしたら、目が覚めたあとでしょうかね。

壬申の乱の経緯を追って16 大伴吹負・置始兎、飛鳥の本営に戻る

 日本書紀に7月12日の記事はありませんので、この日の具体的な動きは不明です。

 倭方面では、当麻の衢で壱伎韓国軍を撃退した大伴吹負・置始兎軍は、一旦、飛鳥の本営に戻ります。

 淡海方面では、引き続き湖東、湖西両方向から大海人軍が大津京を目指して南下しています。
Jinshinchizu19

2023年7月11日 (火)

お年玉年賀はがきの切手シート

 昨日の夜、ふと「お年玉付き年賀はがきの賞品の引き換え期限はいつだっけ?」と思いました。
 7月という記憶はあったのですが、日付までは憶えていませんでした。
 慌てて調べたら、7月18日(火)でした。セーフです。
 私、切手シートが3つ当たっていました。切手シートならば、いつもは交換しないのですが、今年は兎の切手なので、ぜひ欲しいです。
 早速今日、郵便局に行ってきました。
Otoshidama2023
 一応、「日本郵便」の文字を線で消しました。

 この3通をくださったのは、大学時代の友人が1人、古事記の研究者が2人です。
 古事記のうちのおひとりは中村啓信先生です。
 菅野雅雄先生は今年91歳とのことですが、中村先生は菅野先生よりも年上ですので、90台後半でしょうか。
 ご長寿、誠におめでたいです。私もあやかりたいです。

壬申の乱の経緯を追って15 大伴吹負・置始兎、当麻の衢で淡海軍に勝利

 日本書紀では、7月10日~12日の記事はありません。
 この間、淡海では琵琶湖の湖東を村国男依の部隊が、湖西を羽田矢国の部隊が、それぞれ大津京を目指して進軍中です。
Jinshinchizu18

 一方、倭では、大坂を越えてきた淡海方の壱伎韓国の部隊を、大伴吹負・置始兎の部隊が当麻の衢で撃退します。
 以後、淡海方は河内方面から攻めてくることはありませんでした。
Jinshinchizu17


2023年7月10日 (月)

今日は納豆の日

 今日は納豆の日だそうです。
 理由は、7(なっ)10(とー)の語呂合わせ。

 納豆といえば水戸。水戸にはまだ2回しか行ったことはありません。その折の関係写真を。

 水戸駅前の納豆像。
Nattozo02
 シュールです。

 同じ場所にある黄門像。
Komonzo02
 おなじみの三尊像です。

 マンホールの蓋。
H26mito08
 「みとちゃん」という名のゆるキャラです。

 みとちゃんは高崎駅にも来たことがありました。
Mitochan01
 ツーショットも撮って貰ったのですが、省略します。

2023年7月 9日 (日)

最近増えた偽メール

 以前から怪しげなメールがちらほら来ていましたが、最近特に増えたように思います。
 幸い、大部分は「迷惑メール」フォルダの中に入っています。
 たとえば、こんなのです。
Nisemail01
 皆さまの所にも同様のメールが届いているのではないでしょうか。
 ETCは使っていません。そもそもクルマがありません。
 メルカリはやっていません。
 秋田銀行、西日本シティ銀行、横浜銀行などとのお取引はありません。
 などなど、明らかに偽メールと分かるものもありますが、本文から怪しいことが分かるものもあります。
 大体、どれも宛名が書いてありません。
 書いてあってもメールアドレスで、私の名前ではありません。
 しかし、油断のならない世の中です。

 「NHKプラスアップグレード」の偽メールも大量に送られているようですね。
 大体、「NHKプラスアップグレード」って。(^_^;
 これまた、ご覧になった方も多いと思いますが、本文の冒頭部はこんな感じです。
Nisemail02

 NHKプラスについて、正しいこととそうでないことが混在しています。
 黄色い部分が間違いですね。
 真偽混在しているので、NHKプラスをお使いでない方の中にはだまされてしまうケースもあるのでしょうか。

 油断のならない世の中です。
 皆さま抜かりなく。

壬申の乱の経緯を追って14 村国男依、鳥籠山で淡海軍に勝利

 7月7日に息長の横河で淡海軍に勝利した村国男依らは、7月9日には鳥籠山で淡海軍に勝利をおさめ、将の秦友足を斬る。
Jinshinchizu15
 それから、私、書き落としてしまいましたが、7月2日頃、犬上川のほとりに軍営を置いていた淡海軍に内乱が起こります。
 その時、淡海方の羽田矢国が一族もろとも大海人方に投降してきました。
 大海人方は早速これを受け入れ、羽田矢国を将軍として、琵琶湖の北岸経由で、西岸沿いに南下させます。
 琵琶湖の東岸と西岸、両方から大津京を攻めようということなのでしょうが、うがって考えれば、羽田矢国を必ずしも信用していなかったために、近くに置きたくなかったのかもしれません。

 一方、倭方面は相変わらず日付が不明ですが、大伴吹負・置始兎の部隊は墨坂を出て、大坂にいる淡海方の壱伎韓国を撃つべく、西に向かっている最中と思われます。
Jinshinchizu16

2023年7月 8日 (土)

人気の大神神社のなでうさぎ

 昨日、大神神社の『大美和』145号が届きました。
Omiwa145a
 表紙はなでうさぎです。
 どーんと正面顔。あまりかわいくはありません。←バチが当たります。(^_^;

 目次の一部。
Omiwa145b
 私がお名前を存じ上げている方としては、笹生衛氏、遠藤慶太氏の論考が掲載されています。

 なでうさぎといえば、今年の『ならら』4月号の表紙もなでうさぎでした。
Narara202304a
 うさぎ年の故か、なでうさぎ、人気です。
 うさぎ年生まれの私は嬉しいです。

 私もなで守を持っています。
Nadfemamori
 平成17年(2005)に参拝した時に頂いたものです。
 デジカメで撮影した写真はタイムスタンプでいつのものか分かるので、便利です。

壬申の乱の経緯を追って13 それぞれに進軍

 日本書紀には7月8日の記事はありません。
 しかし、その後の展開を見ると、この日も、淡海方面、倭方面それぞれに動きがあったものと考えられます。
Jinshinchizu14

 淡海方面では、息長の横河で勝利をおさめた大海人軍が、敗走する淡海軍を追って南下しています。
 倭方面では、乃楽山で敗退した大伴吹負が、救援のために紀阿閇麻呂から派遣された置始兎軍と墨坂で合流します。
 そして、河内にいる淡海軍と戦うべく西に向かいます。

2023年7月 7日 (金)

ツバメ復活

 今日、定期的に通っている医院に行くと、玄関先にこのような箱が置いてありました。
Tsubame20230707a

 「おっ!」と思って上を見たら、ツバメの巣に何か丸っこいものが見えます。
Tsubame20230707b
 ツバメの頭のようです。

 2019年7月24日。
Tsubame_r010724c

 2020年7月22日。
Tsubame202007a

 去年と一昨年は来なかったそうです。
 コロナは関係ないでしょうね。

 今年、また来てくれて良かったです。
 次回この医院に行くのは、8月後半です。
 もう巣立ってしまっているかもしれません。
 その前に、用もないのに巣を見に行ってしまうかもしれません。(^_^;

壬申の乱の経緯を追って12 村国男依ら、息長の横河で淡海軍に勝利

 7月7日、村国男依ら、息長の横河で淡海軍を破り、その将境部薬を斬る。
Jinshinchizu13

 境部薬といえば、有間皇子の事件の折に有間皇子とともに捕われ、尾張国に流罪になった人物です。
 なかなか波瀾万丈の人生です。


2023年7月 6日 (木)

「ふみづき」の語源は?

 一昨日、7月4日(火)のNHK「ゆう5時」の気象コーナーで、旧暦7月の異称「文月」の語源の話がありました。
 「諸説ありますが」ということで、書物の虫干しをする月から来ているという説が紹介されました。
Fumizuki01

 兵庫県の西宮神社では毎年この季節に虫干しをすること、かつては多くの寺社でも同じくこの季節に虫干しをしていたそうです。
Fumizuki02

 確かに旧暦だともう梅雨は明けている季節ですから、そうかもしれないという気はしますが、どうでしょう。

 万葉集ではただ一首、巻10・2069番歌に「……あらたまの 年の緒長く 思ひ来し 恋尽すらむ 七月の 七日の宵は 我れも悲しも」という歌があり、このうしろから3句目を「ふみづきの」と訓んでいますが、原文は「七月」ですので、「ふみづき」と訓む確証にはなりません。
 古写本では「はつあきの」と訓むものが多く、古い注釈も同様に訓んでいましたが、『万葉集略解』あたりから「ふみづきの」と訓むようになり、現代ではそれが定訓になっています。

 もしも万葉集の例を「ふみづき」と訓んで良いとしたら、「ふみづき」の語源虫干し説が成り立つためには、この時代から7月に本の虫干しをする風習があったのか、ということになりますね。

 語源は難しいです。

壬申の乱の経緯を追って11 田辺小隅の部隊を多品治が撃退

 7月5日の夜半に田中足麻呂の守る倉歴道を突破した田辺小隅の部隊は、翌7月6日に多品治が守るたら野の陣営を襲撃するが、撃退される。

 この頃、大伴吹負敗走の報に接した紀阿閉麻呂は、置始兎に千余騎の兵を与えて、倭京に向けて派遣する。
 *日本書紀では、置始兎を倭京に向けて派遣したことは7月9日のこととして記述するが、そこには、その後の展開もまとめてそこに懸けて記述してあると読めるので、置始兎の派遣はおおよそ7月6日頃と推測した。
 7月4日の乃楽山での大伴吹負の敗走を9日に知ったというのではあまりに遅いであろう。

Jinshinchizu12

 たら野の位置については諸説ありますが、三重県伊賀市上野付近とする説が有力のようです。
 吉野を脱出した大海人皇子が東国に向かう際も、この地で朝食を摂っています。
 淡海国から鹿深山を越えて倭に向かう際の重要な通過点であったのでしょう。

2023年7月 5日 (水)

明治5年の『改置府県概表』

 この様なものを購入しました。
M05fuken01
 題簽は失われてしまっています。

 表紙裏と第1ページ。
M05fuken02
 この記述によって、書名は『改置府県概表』であることなどが知られます。
 明治5年の刊行です。
 大蔵省編纂です。内容的には、現代ならば総務省の管轄かと思われます。

 左ページが第1ページで、凡例です。
 この本に記載されている各府県の府県庁所在地は緯度・経度で示されています。
 その基準位置については、次のように書かれています。
M05fuken03
 英国の「ギリンウヮチ」ですねぇ。これは今で言う「グリニッジ」でしょう。

 表の例として、最初の東京府・京都府を挙げます。
M05fuken04
 京都府の府庁所在地は二条城ですね。
 どの府県も同様の形式で作成されています。

 府県の排列は以下の通りです。
 府(東京、京都、大坂)、開港場のある県(神奈川、兵庫、長崎、新潟)、関東、近畿、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道。
 開港場はもう1つ函館がありますが、この本には北海道は載っていませんので、開港場のある県は4つです。

 新潟県から足柄県。
M05fuken05
 新潟の「潟」の字が異体字です。

 群馬県から奈良県。
M05fuken06
 現在の群馬県と栃木県の範囲が、群馬県・栃木県・宇都宮県の3県になっています。
 栃木の「栃」の字が異体字です。

 奈良県は、堺県(でしたっけ?)に含まれてしまった時期もありますが、この本の明治5年には奈良県は存在しています。

 あれこれおもしろいです。

壬申の乱の経緯を追って10 淡海方の田辺小隅が倉歴道を急襲

 7月5日の夜半、田辺小隅が率いる淡海方の別働隊が鹿深山を越え、倉歴道を守る田中足麻呂の部隊を急襲する。
 田中足麻呂隊は不意を突かれ、敗北する。

Jinshinchizu11

 淡海方は乃楽山の戦いで勝利し、倉歴道も突破し、このあたりまでは善戦しています。

2023年7月 4日 (火)

壬申の乱の経緯を追って09 大伴吹負が大野果安に敗北

 7月4日、大伴吹負、乃楽山に攻め寄せた大野果安らの淡海軍に敗れ、敗走する。
Jinshinchizu10
 この戦いが、壬申の乱における本格的な初めての戦闘です。
 山の上という地の利を得た大伴吹負軍が敗北したということは、淡海方の大野果安軍の方が兵力が大きかったか、作戦指揮が巧みだったかしたのでしょう。
 大伴吹負自身も数騎で敗走します。

2023年7月 3日 (月)

『ならら』最新号の特集は南山城

 今日『ならら』の7月号が届きました。
Narara202307a
 特集は南山城です。
 これ、「みなみ+やましろ」なのですけど、つい「なんざん+じょう」と読んでしまいます。
 そんなお城はありません。

 さて、『ならら』は奈良県のあれこれをテーマに取り上げているわけですが、京都市南部の南山城は、奈良県に接しているとはいえ、奈良県じゃありませんよね。
 奈良県は領域を拡大しつつあるのかもしれません。
 その暁には、この地は「北大和」になることでしょう。←すみません。妄言です。

 目次は以下の通りです。
Narara202307b
Narara202307cNarara202307d

 最後のページは相撲神社です。
Narara202307e
 この神社には以前1度だけ行ったことがありますが、この石像は無かったように思います。
 当麻蹶速像でしょうか。
 この神社のもう少し先に大兵主神社があるのですが、相撲神社で引き返してしまったことが悔まれます。
 いつか。

壬申の乱の経緯を追って08 大伴吹負が乃楽山に布陣

 7月3日、大伴吹負はさらに北上し、乃楽山に布陣する。
 一方、淡海方は大野果安を乃楽山に向かわせる。
Jinshinchizu09

2023年7月 2日 (日)

壬申の乱の経緯を追って07 大海人皇子方の手配り

 7月2日、大海人皇子は、紀阿閉麻呂らに数万の兵を与えて倭に向わせる。
 また、村国男依らに数万の兵を与え、不破から直接淡海に入らせる。
 兵たちには淡海軍と区別するために赤色を衣の上に着けさせる。
 多品治に3000の兵を与えて、たら野に駐屯させ、田中足麻呂には倉歴(くらふ)道を守らせる。

 一方、この頃、淡海方は山部王・蘇賀果安らに命じて、数万の兵で不破を襲わせようとするが、内紛により統制を失い、投降者も出る。
Jinshinchizu08

壬申の乱の経緯を追って06 大伴吹負は乃楽に向かう

 7月1日、飛鳥古京の留守司を掌握した大伴吹負たちは、近江を襲うため、乃楽に向う。
Jinshinchizu06

 一方、これより先、大津京からは大海人皇子軍を討伐するための兵が不破に向けて出発したものと思われます。
 大海人皇子たちもそれに備えます。
Jinshinchizu05
Jinshinchizu07


2023年7月 1日 (土)

体重推移&露草元気

 月が変わりましたので、恒例の体重変化グラフです。
Taiju202112_202306
 なんか、微増しています。ぐーたら暮らしているせいです。
 何とかします。

 これだけでは寂しいので、今朝の露草です。
Tsuyukusa20230701a
 ゴミ出しに出て気づきました。

 わが家には庭はありませんが、玄関先にわずかな植え込みがあり、玄関を背にして左側には山茶花とベニカナメモチが植わっています。右側には桑とつつじです。
 左側の植え込みから露草が生えてきて、結構繁茂していたのですが、オリヅルランに駆逐されてしまいました。
 ところが、種が飛んだのか、右側の植え込みから生えてきて、結構繁茂しています。
 さすが雑草です。

 花のアップ。
Tsuyukusa20230701b

 葉の上にこの様なものがありました。
Tsuyukusa20230701c
 これ、明日あたり咲く蕾ではないかと思います。

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