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2023年6月24日 (土)

壬申の乱の経緯を追って01 大海人皇子、吉野を脱出

 本日2つ目の書き込みです。

 本日6月24日は、旧暦新暦の違いこそあれ(係り結びだ!)、かの壬申の年に大海人皇子が吉野を脱出して東国に向かった日ですので、本日から壬申の乱終結の日まで、その日に合わせて乱の経緯を追って行くことにします。
 いえ、書くネタがない時のための用意という一面もあります。(^_^)

 まず、本日。

 6月24日、大海人皇子は吉野を出て、東国に向かう。従う者は、う野皇女、草壁皇子、忍壁皇子、舎人たち二十数人と女嬬十数人。

 この日に、菟田の吾城に到着。そこへ淡海から倭に退去していた大伴馬来田らが追いつく。
 同じく退去していた馬来田の弟の吹負は功名を立てようと倭にとどまり、機を窺う。

 大海人皇子一行は夜半に隠(なばり)郡に到着。横河に到着前に大きな黒雲が現れ、大海人皇子は勝利と占う。

 伊賀で郡司たちが数百人の兵を率いて服属する。
Jinshinchizu01

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壬申の乱」カテゴリの記事

コメント

馬も用意できないぐらいに慌ただしく吉野を出たのだと言うことですから、なんとなく早朝に出発したように思っていたのですが、さきほどちょいと思い立ってルート検索して見たら、吉野名張間は10時間弱の道のり。
夜中に名張についたのだということから単純に逆算するとお昼すぎに吉野を出れば十分には見えるんですが…

…菟田の吾城でのお食事の時間も考えなきゃ行けないし、皇后やまだ子供だった応じもいたでしょうから、あんまりな強行軍はできなかったでしょうねえ。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 地図を見て、私は随分長い距離を移動したものと思っていましたが、徒歩10時間弱でしたか。
 ちょっと意外でした。
 でも、仰るとおり、あまりの強行軍もできなかったでしょうね。

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