明治27年の「旅館改良組」
このような道中記を入手しました。
今までに入手した道中記は「一新講社」「文明講」「真誠講」「浪花講」などでした。「改良組」というのは初めてです。
明治27年のもので、この年は日清戦争が起きた年ですね。
表紙には、住吉屋栄六という旅館名が記されていて、所在地も「新潟古町通五番丁」とあります。
現代の新潟市の地図を見ると、古町通5番町は現存します。
北から南に6番町、5番町、4番町と並び、南北の道路に「○○通」という通りの名が付けられています。
それぞれの道を挟んだ両側が「○○通」ということになりましょうか。
それで、「○○通」と「○番町」との組合せで場所を示すというシステムのようです。
京都と似ていますね。
130年前も今も同じシステムが続いているというのは大変にありがたいことです。
表紙裏に趣旨が候文で記されています。
2項目で、第1項目には、信用ある旅館を選んでグループを作った。もしもグループの旅館に宿泊して不親切な扱いを受けることがあれば、本部に知らせて欲しい、という内容です。
第2項目は、人力車夫や旅館の客引きの中には不都合な旅館に案内しようとする者がいるので、泊まる予定の旅館の場所が分からなければ、交番で聞いて欲しい旨が記されています。
目次。2ページにわたるものを切り貼りしました。
ご覧の様に、北海道の函館に始まり、最後は東海道の藤沢まで。東日本をカバーしています。
そのうち群馬の部分。
前橋の2つ目には今もある油屋が載っています。
前橋の1つ目の松坂屋藤七の所在地は「堅町」とありますが、残念ながらこの町名は現存しません。
前橋市の地名は、昭和37年5月10日に施行された「住居表示に関する法律」によって大きく変わってしまいました。
下の地図で、上が昭和32年のもの、下が現代のものです。
昭和32年の地図の中央上部に「堅町」の地名があります。
他にも、立川町、横山町、桑町、紺屋町、榎町などの町名が見えます。
それが、現代の地図では、一帯が千代田町になってしまっています。
新潟と前橋とを対比して、どうこう言うつもりはありません。
新潟の場合は、非常にシステマティックな住所システムが早くから行われていたので、これで特に不都合はなかったのでしょう。
ところが前橋の場合は、1つ1つの町名が比較的狭く、それぞれの町の大きさ位置も結構バラバラという事情があったのでしょう。
そういう前提が大きく異なるので、前橋の場合はやむを得ない部分があったと思います。
一帯が全部千代田町というのは何だかなぁという気はしますけれども、これまた、どの地名を残すかという風に考えた場合、地域住民の理解や反発を考えると、その難しさは容易に想像できます。
伊香保には、木暮金太夫と福田與重があります。
この2つの旅館は現存します。老舗ですね。
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