豊橋駅壺屋の駅弁の掛け紙
このようなものを入手しました。
豊橋駅構内に出店している壺屋弁当部の駅弁の掛け紙です。
文字が右横書きですので戦前のものと思われますが、いつのものか不明です。
左上にスタンプが捺してあります。
文字がはっきりしませんが、上下とも左横書きで、上は「調整」、下は「時間」かと思います。調整時間ですね。
中央部の冒頭に「11」の文字が見えますが、これは昭和11年の意ではなくて、たぶん11日か11時と思います。
左右の余白に注意書きが書かれています。左右とも途中で改行して示します。
右側は候文で、一部、漢文の語順になっています。
左側は口語です。すごいことが注意書きとして書かれています。
空瓶、空土瓶、空罐、折箱などを窓から投げると線路工手が怪我をするから腰掛けの下に置くようにとあります。
そんな人いるんですね。用済みのものを窓から放り投げたりしてはいけません。
腰掛けの下に入れることも、最近は推奨していませんね。
終点まで乗って行くならばともかく、途中駅で降りる場合、腰掛けの下にゴミがあったら、次にその席に座る人がイヤですよね。
今、奈良公園でも平気でゴミを捨てる人がいて、ビニールなどを食べた鹿が命を落とすことがあるそうです。
ゴミをその辺に捨てるのは本当に怪しからんです。
右下には豊橋附近の名所が列挙されています。
筆頭は豊川稲荷ですね。
他に、鳳来寺や渡辺崋山の遺跡、長篠の古戦場などが並んでいます。今川義元の墓も近所にあるのですね。
一番最後の「鳶巣文球山」は「鳶巣文殊山」の誤植ですね。
ただ、玉偏の「球」が書かれていますので、「鳶巣文珠山」の誤植かもしれません。
「文殊」→「文珠」→「文球」の2段階です。
さて、この掛け紙を買ったのは、駅弁の掛け紙にまで収集品を広げようとしたわけではありません。
ポイントは、この駅弁が「壺屋弁当部」のものという点です。
明治21年の道中記の中にこんなページがあります。
左下に「とよはし」があり、その2軒目に「ふな町汽船会社 つぼや庄六」があります。
伊勢神宮に毎日船を出していることが書かれています。
「ふな町」は、現在、豊橋駅始発の飯田線の次の駅が船町駅です。
現在、豊橋に壺屋という弁当屋さんがあります。
そのHPに「壺屋の歴史」というページがありますので、そこにある年表の冒頭部分を示します。
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明治21年(1888年) 旧東海道船待ちの豊橋付近で豊川を上下する船頭旅行相手に回槽問屋と料理旅館を経営。
国鉄東海道本線開業の直前、東海道筋がさびれるのを見越して駅前へ移転進出し壺屋旅館開業。
明治22年(1889年) 前年の豊橋駅開業に伴い、豊橋駅構内営業を承認される。
明治末期 この頃より稲荷寿しの販売を開始。
大正期 「壺屋旅館」から分離独立して「壺屋弁当部」創立。店舗を花田中央町に構える。
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ということを以前調べたことがありましたので、壺屋弁当部に興味を持っていました。
そこの駅弁の掛け紙をネットオークションで見つけたので、早速入手したという次第です。
複数の資料が関わると楽しいです。♪
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目からうろこの資料をありがとうございます。
なぜ弁当部なのかと思っていましたが,壺屋旅館から分かれたのですね。
船町は,伊勢神宮参拝の船が出たところですね。
ただ飯田線の船町駅は,飯田線の普通ですら通過することがあり,
私自身,利用したことがないかもしれません。
投稿: 萩さん | 2023年2月16日 (木) 07時10分
萩さん
コメントをありがとうございます。
道中記を見ると、豊橋のところに必ずと言っていいほど壺屋庄六が載っていましたので、かねてから気になっていました。
それが、駅弁の掛け紙を見つけて、早速買ってしまったという次第です。
私以外に誰も入札しませんでした。
船町は豊川沿いの町なのですね。
壺屋はもっぱら水運を収入源にしていたのでしょうが、鉄道が通って駅ができるということで、早速そちらにも手を出したというのは先見の明がありますね。
そして、今に至るまで駅弁屋を営んでいるのですものね。
投稿: 玉村の源さん | 2023年2月16日 (木) 07時30分