『ならら』最新号の特集は家康の伊賀越え
昨日、『ならら』の来年1月号が届きました。
特集は「本能寺の変「神君伊賀越え」の真相」です。
来年のNHK大河「どうする家康」を意識した特集と思われます。
それ以下の目次はこのようになっています。
今号にも奈良をめぐる興味深い記事があれこれあります。
特集は、信長が本能寺で討たれたとき、堺に滞在していた徳川家康が、どの様なルートで三河に帰ったのかという内容です。
通説は、上図①のように堺から北上して、山城、近江の南部を通って、伊賀の柘植から伊勢の加太越えです。
しかし、このルートは、最短ルートとはいえ、堺から京都方面に向かうことになります。
明智の軍勢がいる方に向かうのは危険です。
一方、②③のルートは、河内から大和に向かう竹の内峠越えです。
②は八木から山辺道を北上して、笠置から近江南部に向かいます。
③は八木から芋峠を越えて名張から柘植に向かいます。
②③は遠回りになるとはいえ、京都から遠い点では①よりも安全性は高いでしょう。
また、①のルートは信長方の史料である『信長公記』に拠るものであるのに対し、②③は家康の家臣の語ったものなどの記録であるということです。
②③の説があるということも、その根拠になる徳川方の史料のあることも全く知りませんでした。
確かに、家康はわずかな供回りのみで三河に帰ろうとしていたわけですから、①のルートはいかにも危険という気がします。
おもしろいですねぇ。
定説のようなものも、それで良いかどうか。上代にも定説の見直しを要することも多々あることでしょう。
とんでも説にならないように、しっかりした史料に基づいて、しっかりした論証をすることが必要ですね。
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四日市から関までは,東海道。
関から柘植までは,大和街道(関西本線沿い)。
そのまま関西本線沿いかと思ったら,ずいぶんの山道だったのですね。
柘植から宇治田原間が,大変だったと思います。
街道歩きが趣味の人としては,気になるところですが・・・・。
一人では危険でしょうね。
(経路を調べていて,コメントが遅くなりました。)
投稿: 萩さん | 2022年12月29日 (木) 22時21分
萩さん
コメントをありがとうございます。
3つのルートのうち、従来の説の①が最短路と思いますが、この道でも険しいのですね。
②③は随分遠回りになりますけど、こちらは比較的険しくないでしょうか、それともやはり結構な山道になりましょうか。
家康はほんのわずかな供回り(十数人とか二十数人でしたっけ)での移動ですので、明智の軍勢に見つかったら、無事に切り抜けることは難しかったでしょうね。
なるべく安全なルートを採りたい、しかし、少しでも早く領国に帰りたい、その2つの条件の間で、どういうルートを選んだのでしょうね。
投稿: 玉村の源さん | 2022年12月30日 (金) 05時09分