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2022年10月19日 (水)

元禄11年の武鑑(2)上杉、田村、真田

 昨日の続きです。
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 松の廊下の3年前に刊行された元禄11年の武鑑。

 思えば、当然のことながら、当時、3年後にあんな大事件が起きるなんて、誰も知る由もなかったわけで。
 浅野内匠頭さえ短気を起こさなければ、と思います。
 でも、本人にしてみれば、耐え難いことがあったのかもしれませんね。

 出羽米沢の上杉家のページ。
Genroku11bukan07
 当主は吉良上野介の子息である上杉綱憲です。
 綱憲の名前の下の家老の欄に千坂兵部の名が見えます。
 赤穂事件の時にはもう亡くなっていますが、元禄11年には存命です。

 左端に嫡子の上杉喜平次の名があります。
 この年に元服して上杉吉憲と名乗ります。
 三船の「大忠臣蔵」では、かの池田秀一が演じていました。

 浅野内匠頭が切腹した屋敷の主である田村右京大夫のページ。
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 奥州一ノ関の田村家は3万石ですが、仙台伊達家の分家扱いとして、この武鑑に載っています。

 この武鑑の末尾には信州松代10万石の真田家が載っています。
Genroku11bukan09

 上欄の系図部の一部を抜き出します。
Genroku11bukan10
 真田昌幸の子として、信幸と幸村が載っています。
 幸村は本名信繁であるとされ、幸村は軍記物などの名であるとされています。
 系図部は当主を載せるのが基準ですので、幸村(信繁)は載せる必要はないにもかかわらず載せていますし、そればかりか幸村の子息の大助まで載っています。
 武鑑は官製のものではなく、民間企業の刊行したものですので、例外的にあえて人気の幸村父子を載せたのでしょう。

 この本には刊記がありません。
 また、10万石以上の大名だけを載せるというのも妙ですので、このあと、第2冊以降があるのでしょう。刊記は最終冊の末尾にあるのではないかと思います。

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