明治38年の「奈良名勝独案内図」
このような地図を入手しました。
明治38年の地図で、左上が北です。
右端中央に白毫寺、右上に春日大社、左上に般若寺、左下に興福寺があります。
現代の地図のように北を上にすると、横長の地図では般若寺が収まらないので斜めにしたのでしょうかね。
明治の奈良絵図では、同じような角度のものが多いです。
左下隅。
三条通には歩行者と人力車とが描かれています。
この時代には三条通を行き交う人力車も多かったことでしょう。
画面中央やや上には、興福寺の境内でくつろぐ鹿がいます。
下辺中央部の采女社にも鹿が描かれています。
歩行者や人力車に比べて、鹿が異様に大きいです。♪
この絵図の作者は鹿が大好きなのかもしれません。(^_^)
左上附近。
左下に景清門があります。転害門は当時景清門と呼ぶことが一般的だったのでしょうかね。
上にも書きましたように、左上を北にすれば般若寺まで収まります。
上部欄外に「NARA GOOD SCENERY BYONESSELF GAIDO PICTURE」という英文タイトルがあります。
このうちうしろから2つ目の「GAIDO」は「GUIDE」の誤りでしょうね。
私レベルの間違いです。
その1つ前の「BYONESSELF」も間違っていると思うのですが、恥ずかしながら正解が分かりません。(^_^;
« 都道府県魅力度ランキング2022 | トップページ | 今日の園芸(1) »
「飛鳥・奈良」カテゴリの記事
- 『奈良旅手帖』2025(2024.12.06)
- 『ならら』最新号の特集は「春日若宮おん祭」(2024.11.30)
- しかまろくんマグネット(2024.11.11)
- 奈良交通バスフィギュア(2024.11.04)
- 『ならら』最新号の特集は「紀伊山地の霊場と参詣道」(2024.10.30)
「地図・航空写真」カテゴリの記事
- 梶川敏夫氏『ビジュアル再現平安京』(吉川弘文館)(2024.11.13)
- 明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(4)(2024.09.06)
- 大正14年の長野市地図(2024.08.30)
- 昭和12年頃の善光寺鳥瞰図(2024.08.29)
- 明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(3)(2024.08.27)
「鹿」カテゴリの記事
- しかまろくんマグネット(2024.11.11)
- 鹿瓦ばん2024秋冬(2024.09.24)
- 見返りの鹿のぬいぐるみ(2024.09.05)
- 大正15年の学習参考書(2024.08.13)
- 奈良Tシャツ再び(2024.08.04)
「BYONESSELF」は「BY ONESELF」(獨力で)の誤りではないでせうか。
投稿: 筒井茂徳 | 2022年10月10日 (月) 23時39分
筒井先生
ご教示ありがとうございます。
「BY」のあとにスペースが入って、Sが1つ多いのですね。
なるほど、それならばよく分かります。
「BYONESSELF」で1語と思ってしまい、どのスペルが違っているのか訳が分からなくなってしまいました。
本当に英語が苦手です。
ありがとうございました。
投稿: 玉村の源さん | 2022年10月11日 (火) 00時01分
こりゃあ奇遇ですね。
きのう、ちょうどこのあたりを歩いていたんですよ。
転害門の前の駐車場に車を止め、大仏殿へ…
そして、戒壇院の方に回って…というコースでした。
大仏さんにはちょいとお会いできなかったんですが、東大寺ミュージアムにいらっしゃる戒壇院の四天王にお会いしてきました。
投稿: 三友亭主人 | 2022年10月11日 (火) 21時45分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
それは本当に奇遇ですね。
歩かれた場所の建物など、東大寺ミュージアムを除けば、あまり変わっていないのではないでしょうか。
戒壇院の四天王、いいですよね。
今は、戒壇院ではなくて東大寺ミュージアムに鎮座しているのでしょうか。
投稿: 玉村の源さん | 2022年10月11日 (火) 22時32分
>戒壇院ではなくて東大寺ミュージアムに鎮座している…
戒壇院の方で工事をしているらしいです。その間だけこっちにいるようです。
投稿: 三友亭主軸 | 2022年10月12日 (水) 05時48分
三友亭主人さん
ご返信をありがとうございます。
あ、工事中だけの仮住まいでしたか。
ミュージアム、こういうときにも使えますね。
幸いです。
投稿: 玉村の源さん | 2022年10月12日 (水) 07時59分