元禄11年の武鑑(1)浅野内匠頭と浅野大学
ネットオークションで入手しました。
題簽はありませんが、元禄11年の武鑑です。
ネットオークションにはたまに武鑑が出ることもありますが、キリが無いので、今までは入札したことはありませんでした。
しかし、これは元禄11年。松の廊下の刃傷の3年前ですからねぇ。買っちゃいました。♪
冒頭に3ページにわたる序文が付いています。
その2ページ目と3ページ目。
右ページの最後の行に「系禄図鑑」とあります。
左ページのうしろから2行目に「元禄十一戊寅」とあり、元禄11年のものであることが分かります。
その次のページに目次があります。
冒頭に「本朝武林系禄図鑑」とあります。これが正式な書名ということになりましょうか。
「武鑑」という名称は「武林」の「武」と最後の「鑑」とを繋げたものかと思いましたが、未確認です。
その次のページから本文ということになります。
冒頭は徳川綱豊です。
甲府宰相綱豊卿ですが、ここには中納言と記してあります。「え?」です。
手軽にウィキペディアによる調査ですが、綱豊が参議(宰相)に任じられたのは延宝8年(1680)で、元禄3年(1691)には権中納言に昇進しています。
忠臣蔵の頃には中納言だったのですね。「甲府宰相」って、どうして出てきたのでしょうか?
全体の排列は以下のようになっています。
徳川綱豊
尾張徳川家
紀伊徳川家
水戸徳川家
越前松平家
前田家 102万2700石
島津家 72万9000石
伊達家 62万石
細川家 54万5000石
黒田家 52万石
浅野家 42万6000石
毛利家 36万9000石
鍋島家 35万7000石
池田家 32万5000石
井伊家 30万石
以下、親藩・譜代・外様の別なく、石高順で10万石まで。
分家は本家のあとに採録されています。
赤穂浅野家は5万3000石ですが、浅野本家が10万石以上のため、幸いにして本家のあとに載っています。
系図部分を除いて示します。
なんかわくわくします。(^_^)
1行目、浅野内匠頭長矩の下には家老の名が並んでいます。
大石内蔵助、藤井又右衛門、坂田左近右衛門、大野九郎兵衛、安井彦右衛門の5名です。
弟の浅野大学も項目に立っています。
世子になっていたのでしょう。
家紋を見ると、浅野内匠頭と浅野大学とでは、鷹の羽の重なりが逆になっています。
これは初めて知りました。
映画やテレビドラマで、両者の紋所をこのように区別しているものがありましょうかね。
おもしろいです。
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