政子が実朝のために選んだ歌(補遺)
9月4日のNHK大河「鎌倉殿の13人」に、政子が実朝のために抜き書きした和歌の束が登場しました。
その一番上に載っていた紙に書かれた和歌について、「「鎌倉殿の13人」で、政子が実朝のために選んだ歌」、「政子が実朝のために選んだ歌(たぶん完結編)」の2つの文章を載せました。
今回はその続きです。
前回、「たぶん完結編」と書きながら、続きというのもお恥ずかしいことです。(^_^;
あの2つの文章を登録したあと、Twitterでご覧くださった静岡大学の小二田誠二さんから次のようなコメントを頂きました。小二田さんは母校の大学院の友人です。
>つまり、実朝・義村死後に編纂された『拾遺風体和歌集』に入ることになる歌を
>政子がどこからか入手したというか、私撰の歌集を作ってた、と言う設定?
そういうことになってしまいますね。
政子のセリフでは、頼朝が生前に入手していた歌集から実朝の好みそうな歌を選んで抜書した、とのことなので、そこは合いません。
ただ拾遺風体和歌集を見ると、あの歌の少し前には和泉式部の歌、少しあとには西行の歌が収められていますので、歌集の成立年代は随分下るにしても、三浦義村の歌が収録されていてもおかしくはありません。
他の歌は歌集から抜き出し、あの歌だけは、例外的に同時代の歌を書いて一番上に置いた、とでも考えなくてはなりません。
ややご都合主義ではありますけど。(^_^;
そういう返信をしました。
そして、昨日の放送。
昨日の回では、政子と対面した実朝が一番気に入った歌として、歌の束の2~3枚目の歌を選んでいました。その歌は父頼朝の歌ということでした。
ということで、歌集の歌だけでなく、同時代の歌も収められていることになります。
良かったです。(^_^)
歌の内容が重要となった今、歌の作者については左程重要ではなくなりましたが、1枚目の紙に書かれた歌の作者「平義村」というのが三浦義村なのかどうか、気にはなります。
そもそも、三浦義村は歌を作っていたのかどうか。
これについて、吾妻鏡の次の記事が見つかりました。
新訂増補国史大系本は所持してはいるのですが、渋川の家にあるので、国会図書館のデジタルコレクションから古典文庫本で引用します。
>廿二日、戊午。将軍家、令逍遥火取沢辺給。是依覧草花秋興也。武蔵守・修理亮・出雲守・
>三浦左衛門尉・結城左衛門尉・内藤右馬允等令供奉。皆携歌道之輩也。
依拠史料に付いている返り点は省略し、句読点等も一部改めました。
建暦三年(1213)九月二十二日条です。今の番組の時代から8~9年後に当たります。
これによれば、実朝は火取沢(現在の横浜市磯子区)のあたりを逍遥し、草花を見て、秋の興趣に浸ったということです。
武蔵守は北条時房(トキューサ)、修理亮は北条泰時、三浦左衛門尉は三浦義村です。
そして、実朝に供奉したこれらの人々は「皆、歌道に携わる輩」だということです。
この逍遥は、単なるレクリエーションではなく、同好の士を選んで供奉させての吟行だったのでしょう。
ということで、三浦義村も和歌をたしなんでいたことが判明しました。
面白い記事が見つかったものです。♪
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