明治14年の『一新諸国道中記』(2)
昨日の『一新諸国道中記』の続きです。
私が宿場を歩いたことがあるのは、東海道の二川宿だけです。
二川宿は右の方に「二タ川」として載っています。
ただ、東海道五十三次では、江戸方面からは、二川宿の前は白須賀宿ですが、この道中記では二川の前には「新所」という宿場があります。
前のページはこのようになっています。
白須賀の次には「猿ヶ馬場」があります。
つまり、白須賀-猿ヶ馬場-新所-二川ということになり、白須賀と二川の間に2つ別の地名が入っています。
文字が小さいので拡大します。
猿ヶ馬場というのは名所なのでしょうかね。
柏餅が名物になっています。
松屋幸八という休み所はありますが、宿は載っていません。
一方、二川の方のアップです。
二川の手前の新所に記載されている浜田屋善三郎には「休」「泊」とありますので、こちらは宿場ですね。
二川の山家屋、橋本屋はともに二川宿の本陣資料館に展示してあった地図に載っています。
どちらも東海道の北(上)です。
なんか、複数の資料を突き合わせるのは楽しいです。
この道中記には玉村宿も載っていました。
私の元勤務先の地で、日光例幣使街道の宿場です。
今まで入手した道中記には日光例幣使街道を掲載したものがなく、初めて見る玉村宿です。
よく知っている土地が載っているのは嬉しいです。
ここの中筒屋という宿の所在地がどこなのかもきっと資料があると思います。
このページの次のページは次の通りです。
日光例幣使街道が続いています。
関ヶ原の合戦の前、真田親子3人が話し合いをしたという犬伏も右から3番目に載っています。
さて、犬伏の3つ先にある宿場の文字、最初の字は木ヘンに乃ですね。
地名としては栃木のはずです。
「栃木」の「栃」の字体については明治初期に揺れがありました。
これもその1つの資料になりそうです。
さらに続きます。
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