明治36年の「奈良名所早見図」
明治36年の「奈良名所早見図」を入手しました。
下部欄外に「明治卅六年二月廿八日印刷仝年三月五日発行著作印刷兼発行者奈良県奈良市大字雑司百廿番邸筒井梅吉」とあります。
この絵図と似たものに「奈良名所絵図」があります。
発行年は不明ですが、江戸時代または明治初期のものではないかと思います。
版元は絵図屋庄八で、筒井梅吉も同じ版元です。
江戸期のものと思われる「絵図」と、明治36年の「早見図」とを何ヶ所か比較してみます。
左上の興福寺。
「絵図」。
「早見図」。
「早見図」では、北の方に県庁、裁判所、師範学校などが建っています。
また、「絵図」にはあった南大門や回廊が、「早見図」ではなくなっています。
東大寺の左側。
「絵図」。
「早見図」。
「絵図」では戒壇院、正倉院、転害門が建っていますが、「早見図」ではそれらを無視して大仏の紹介が書かれています。
戒壇院や転害門などよりも大仏の紹介を重んじているかのようです。
飛火野。
「絵図」。
「早見図」。
「絵図」では広々としていて鹿が3頭遊んでいますが、「早見図」では奈良国立博物館や商品陳列場が建っています。
鹿は1頭に減ってしまいました。(^_^;
猿沢池。
「絵図」。
「早見図」。
こちらは両方ほぼ同じです。
猿沢池の左側に鹿と人が描かれています。
この人は鹿にエサをやろうとしているのでしょうか。
当時、既に鹿せんべいはあったのでしょうかね。
単独でも面白いですが、時代の異なる2つの史料を比較するのはもっと楽しいです。
【追加】
三友亭主人さんのコメントにお応えして画像を2枚追加します。
春日大社の西側です。
「絵図」。
「早見図」。
« 明治14年の『一新諸国道中記』(3) | トップページ | ぐんまちゃんのキーホルダー3種(ケロリン、勾玉、鈴) »
「飛鳥・奈良」カテゴリの記事
- 鹿せんべいのキーホルダー(2024.12.30)
- 『大美和』148号(2024.12.30)
- 『ならら』最新号の特集は「昭和100年」(2024.12.28)
- 『奈良旅手帖』2025(2024.12.06)
- 『ならら』最新号の特集は「春日若宮おん祭」(2024.11.30)
「史料・資料」カテゴリの記事
- 長音表記&リンコルン(2025.01.14)
- 広瀬中佐の評価は(2024.11.24)
- 老農船津伝次平(2024.11.23)
- ちりめん本『俵藤太』と『稲羽の白兎』(2024.11.05)
- 明治20年ちりめん本の『俵藤太』(2024.11.03)
「地図・航空写真」カテゴリの記事
- 梶川敏夫氏『ビジュアル再現平安京』(吉川弘文館)(2024.11.13)
- 明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(4)(2024.09.06)
- 大正14年の長野市地図(2024.08.30)
- 昭和12年頃の善光寺鳥瞰図(2024.08.29)
- 明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(3)(2024.08.27)
コメント
« 明治14年の『一新諸国道中記』(3) | トップページ | ぐんまちゃんのキーホルダー3種(ケロリン、勾玉、鈴) »
>時代の異なる2つの史料
まったくと言っていいほどおんなじ範囲で、構図もほぼ一緒。
比較する資料としては申し分なしですよね。
私としては、春日大社界隈の道の描き方が変化してるのが気になっています。あとの時代のものがより正確になったのか、それとも実際に道が変わったのか…興味深いです。
投稿: 三友亭主人 | 2022年8月27日 (土) 07時58分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
本当に、比較するには理想的な2枚の絵図と思います。
同じ版元ですので、こういう2枚の絵図になったのかと思います。
春日大社の西側の道、確かに異なりますね。
画面が小さいので、拡大図を追加しました。
これを比べると、建物が新たにできたり、なくなったりして、それに応ずるように道が変わっているように見えますので、どちらの絵図も道はそれぞれに正しいのではないかと思います。
投稿: 玉村の源さん | 2022年8月27日 (土) 12時30分
写真の追加、ありがとうございました。
お陰様でよくわかります。
投稿: 三友亭主人 | 2022年8月28日 (日) 08時30分
写真の追加、ありがとうございました。
お陰様でよくわかります。
投稿: 三友亭主人 | 2022年8月28日 (日) 08時30分