明治14年の『一新諸国道中記』(1)
収集品の1つである久しぶりの道中記です。
題簽には『一新諸国道中記』とあります。
内題も同じです。
最終ページ。
広告と奥付です。
中央部の記事により、明治14年に刊行されたことが分かります。
画工は品川、彫刻人は銀座、出版人は浅草在住ですが、編輯人は伊豆大島在住ですね。
いえ、大島の人でも何の問題もないのですが、どういういきさつか、気になります。
鉄道の時刻表と運賃。
時刻表のアップ。
上部に「東京横浜共」とあります。新橋と横浜から同時に出発したのですね。
午前5本、午後8本です。所要時間は58分ほどです。
今、新橋から横浜まで各駅停車で38分ほどですので、141年前にしては58分というのはずいぶん速いと思います。
運賃は上中下に分かれています。上等・中等はともかく、下等というのは気分悪いですね。
左側に新橋駅の絵が描いてあって、「新橋ステンシヨ之図」とあります。
小田原・箱根付近。
このように、挿絵が豊富です。
小田原の部分には名物が載っています。
そのアップ。
「此所名物いかの塩辛⭕小梅づけ⭕海⭕うゐろふ⭕かすづけ⭕小田原燈灯」とあります。
「うゐろふ」は羊羹のようなお菓子ではなくて、薬ですね。歌舞伎の外郎売り。
「小梅づけ」の次に「海」があります。海って。(^_^;
でも、きっと風光明媚なのでしょう。
この道中記のこと、続きます。
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ご無沙汰しております。いつも興味深く拝見しております。
明治初期のものは一層、興味深く、大島の(本籍がある?)「田中菊雄さん」は確かに不思議だと思って、国会図書館で検索してみました。
それでこの方が1934年に、本屋さんの昔語りをしている記事をみつけました。
「蔵前の松崎半造(求古堂)へ奉公に参つたのが十五の時です。」(紙魚の昔がたり. 上巻p.101、国会図書館請求記号023.9-H726s)とのことです。
(この本は国会図書館デジタルコレクションの個人送信対象なので、利用者登録をされている方はPCで読むことができます)
当時の書店は、編集出版も販売(新刊、古書とも)もしていましたが、この方は静岡など各地に出向いて本の買い付けをしていたお話をされていました。
当時はそういうふうにして本を仕入れていたのを初めて知りました。
源さんの記事のおかげでさらに興味深い本をみつけることができました。ありがとうございます。
『一新諸国道中記』は当時の便利帳的な位置づけでしょうか。続報を楽しみにしております。
投稿: 源さんの後輩 | 2022年8月23日 (火) 09時19分
源さんの後輩さん
コメントをありがとうございます。
大変に御無沙汰しています。
ブログをご覧くださっていたとのお言葉、ありがたく存じます。
すみません。明治初期のものを取り上げることが少なくて。
1つ面白いものがあるので、そのうちまた。
などと勿体ぶってはいけませんね。節用集です。
田中菊雄さんのこと、お調べくださってありがとうございます。
この本の版元がまさに求古堂松崎半造さんですね。所在地は蔵前ではなくて浅草となっていますが。
かつての奉公先からこの本を出版したのですね。
この本のこと、書誌的なこともお座なりで済みません。
サイズは13.8cm×5.7cmです。
袖珍本で、かなり小さいです。
私のディスプレイは24インチですが、その画面上で、1枚目~3枚目、5枚目の画像は実物よりもひとまわり大きく映っています。
こんな小さい文字の版下を彫れたとは到底思えません。
当時、写真製版がもうあったのでしょうか。
人力で彫ったのならば超絶技法と思います。
この本は、東海道をはじめとする各街道の宿場ごとの宿泊施設を挙げ、その地の風景を描き、時に、この小田原のように名物を示しています。
旅をする人の便利帳といった感じです。
投稿: 玉村の源さん | 2022年8月23日 (火) 09時54分