大正7年の「少女物語すごろく」(2)
昨日の「大正7年の「少女物語すごろく」(1)」は簡単な紹介で終わってしまいましたので、その続きです。
「ふり出し」から「あがり」までの全項目を時計回り順に示せば、以下の通りです。
かぐや姫
紅梅内侍
孝女ふさ
中将姫
巡礼お鶴
巴御前
伊勢大輔
山吹の里
松山かゞみ
安寿姫
秋色女
静御前
小式部内侍
孝女白菊
三保の天女
昨日載せた「かぐや姫」や「静御前」のようによく知っているものもありますが、名前は聞いたことがあるがよく知らない、名前さえ聞いたことがない、というものも少なくありません。
大正7年(1918)といえば104年前。時代の違いということでしょうか。
たとえば次のような項目です。
孝女ふさ。
ふさは、江戸時代の18世紀半ば、播磨国加東郡上三草村で親に孝行を尽くした人として知られ、修身教科書にも取りあげられていたとのことです。
国定教科書に載っていたのならば、戦前はよく知られていたのでしょうね。
松山かゞみ。
「松山鏡」という名の話はいくつかあるようで、古典落語にもあります(恥ずかしながら、この噺は聴いたことがなかったように思います)が、双六の絵を見ると、謡曲の話のようです。
内容は、鏡に映る自分を亡母の面影と思って慕う少女の功力により、母は生前の罪科が許されて成仏する、というものです。
秋色女。
秋色女(寛文9年(1669)-享保10年(1725))は、宝井其角に師事した俳人。
講談「秋色女」には、13歳の時に上野寛永寺にある桜に結わえた俳句が親王の目にとまり、謁見を許されたことから親孝行の物語がはじまる、というもの。
孝女白菊。
白菊は、西南戦争の折に行方不明になった父を慕う女性。
井上哲次郎が作った漢詩「孝女白菊詩」に感動した落合直文が新体詩形式の詩「孝女白菊の歌」を作ったことで広く知られるようになったそうです。
上の4人は全く知りませんでした(孝女白菊は名前だけは知っていましたが、内容は全く知りませんでした)。
これらの4人以外にも知らない人が多かったです。歳を重ねても知らないことがたくさん。
いや、知らないのは若いせいかも。(^_^)
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いろいろな女性の物語があるのですね。
私も,初めて聞いたものばかりです。
昔の人が知っていても,今の人が知らないことって,結構たくさんあるようですね。
私のような高齢者が知っていても,今の若者には分からないことがたくさんあるのと
同じかもしれません。
なるほど,おもしろい。
源さんのページは,まさに博物館!!!
投稿: 萩さん | 2022年6月16日 (木) 07時22分
萩さん
コメントをありがとうございます。
萩さんもそうでしたか。
本当にあきれるほど知らないものばかりでした。
100年って、意外と大昔かもしれませんね。
ま、今から100年前でも、私が生まれた年からは30数年前なのではありますけど。
昔から古いもの好きでしたけど、ますます古いものに興味が湧きました。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2022年6月16日 (木) 07時40分