昭和53年の稲荷山古墳
先日、『稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報』のことを載せました。
当時、修士課程の3年生だった私は、院生仲間と稲荷山古墳に行きました。
渋川の家でその時の写真を見つけ、東京に持ってきました。
メモによれば、稲荷山古墳に行ったのは昭和53年(1978)の11月2日です。
丸墓山古墳の案内板。
「平地に造られた円墳では わが国最大とされている」とありますね。
このように書かれていたことはすっかり忘れていましたが、それは貴重と思います。
丸墓山古墳か稲荷山古墳。
大事なことなのに、記憶が曖昧で。(^_^;
43年半の歳月でもう思い出せません。
稲荷山古墳の案内の標柱。
この解説標柱にある直刀に金象眼銘があったのでしょう。
稲荷山古墳の礫槨。
金網越しに撮りました。左下に金網が写り込んでしまいました。
礫槨の案内板。
直刀の他にさまざまものが副葬されていたことが分かります。
いずれもプリント写真です。
アルバムで直接空気には触れないように保存していたのですが、43年半の歳月で変色しています。
ネガもあると思いますので、いずれそれをデジタル化したいと思います。
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コメント
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超貴重な写真をありがとうございます。
43年前の記録ともなると,もう歴史の1ページですね。
刀が発見されて,すぐに行ったのですから
超貴重です。
投稿: 萩さん | 2022年6月 1日 (水) 07時15分
萩さん
コメントをありがとうございます。
いつの間にか43年です。
少年老い易く、学成り難し、です。
写真がすっかり変色してしまいました。
ネガは捨ててはいないはずですが、見つけ出すのは容易ではなさそうです。(^_^;
デジカメのデータはなくならないんですけどね。
投稿: 玉村の源さん | 2022年6月 1日 (水) 08時33分
纏向あたりの発掘物は、ヤマト政権とのかかわりも大きいですから、それはそれでドキドキするんですが、いかんせん時代が時代ですから文字がありませんからねえ。やはり文字のあるものはちょいと趣の違いがありますよね。
まあ、この稲荷山鉄剣のことが話題になった1978年、私はまだ高校生。古代史に興味があったので、それなりに気が惹かれましたが、文字に興味を持ち出したのは大学に入ってからでしたからねえ。
投稿: 三友亭主人 | 2022年6月 2日 (木) 18時20分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
やはり文字ですよねぇ。
こう言ってはナンですけど、高松塚古墳の壁画への関心はイマイチです。←こんなことを言ってはいけない。
稲荷山古墳の鉄剣銘が発見されたときは歴史少年でいらしたのですね。
四道将軍の大毘古命との関連の有無が注目されますね。
投稿: 玉村の源さん | 2022年6月 2日 (木) 20時58分