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2022年5月19日 (木)

『稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報』

 ネットオークションに『稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報』が出品されていましたので、買ってしまいました。
Inariyama01
 これ、持っていたかもしれませんが、行方不明です。(^_^;
 銘文発見の5ヶ月後に埼玉県が発行したものです。

 目次です。
Inariyama02

 この鉄剣自体は昭和43年に出土したものでしたが、錆に覆われていて、銘文があるなどということは全く分からなかったようです。
 後年、保存処理を元興寺文化財研究所に依頼したところ、X線撮影をして、表裏に銘文のあることが分かったのでした。
 昭和53年9月です。
 当時、私は修士課程の3年生でした。他の上代専攻の院生仲間ともども大いに興奮して、稲荷山古墳に行ってしまいました。
 行っても何もないんですけどね。
 でも、実地踏査は大切。
 そのメンバーの1人は今、古事記学会の代表理事です。
 稲荷山古墳も見ましたし、近くにあった丸墓山古墳にも登りました。この古墳は、石田三成が忍城攻めの際に本陣を置いた場所だそうです。
 関ヶ原の敗戦はこの祟りでしょうか。(^_^;

 当時、恩師O先生の後期のお授業もこの銘文一色になりました。
 このころはまだシラバス重視がうるさくなかった時代です。
 こういった未知の貴重な資料が発見されたりしたときには、それで良いのではないかと思います。

 報告書に戻って、X線撮影写真が載っています。
Inariyama03
 鉄剣の表裏に銘文が刻まれていますので、両面の文字が重なっています。

 一部分のアップです。
Inariyama04

 これを表裏に分けたオモテ側。
Inariyama05

 裏側。
Inariyama06

 上のように表裏が重なった文字が、良くぞこのように両面それぞれに分離できたものと思います。

 奥付です。
Inariyama07

 今はもう錆が落とされて、金象嵌銘を直接見ることができますが、それはそれとして、貴重な報告書と思います。

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コメント

ワカタケル大王,興奮しますね。
そのときすでに,稲荷山古墳に行ったただなんて,すごい行動力ですね。
昭和54年,私は就職三年目。
稲荷山古墳なんて,全然知りませんでした。
さすが,源さんは研究者ですね。

萩さん

 コメントをありがとうございます。

 すみません。昭和53年でした。こっそり直しておきました。(^_^;
 就職2年目ではお忙しかったことと思います。

 私は、ひとりでは多分行かなかったと思います。
 仲間が何人かいましたので、勢いで、みんなで行こうということになって。

 鉄剣銘は本当に関心的にはストライクでした。

先日までは、高松塚から50年ということでならでは大騒ぎでしたが、この鉄剣の発見にも興奮しましたよね。私は確か高校生で、日本史の先生も興奮しながら話をしてくださいました。

先生もおんなじ気持ちなんだなあ…と嬉しくなってしまったのを覚えています。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 確か、新聞の第1面に出たのですよね。
 こういう文化的なことが第1面を飾るというのも嬉しいことですね。

 高松塚古墳の壁画もすごい発見でしたが、私はやはり文字資料が嬉しいです。(^_^;

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