「吉良上野介供養の鰐口(違!)」にコメントを頂きました
昨年の8月、当ブログに「吉良上野介供養の鰐口(違!)」という記事を書きました。
ネットオークションに、吉良上野介の供養のために造られて奉納された鰐口が出品されていたという内容です。
鰐口の写真です。
「八幡大菩薩」「元禄十五壬午歳八月十五日」「三州幡頭郡吉良庄行用村氏子中」という文字が刻まれています。
ここには、吉良上野介の供養のために奉納されたとの文言は一切ありません。
ところが、この鰐口には箱があって、そこにはこう記されています。
ここには、この鰐口は、吉良上野介が討たれた翌年、上野介の郷里の人々が供養のために奉納したとあります。
真偽不明ですが、1000円スタートでしたので、一応入札してしまいました。
やがて2万円台になっていましたので、あっさりと撤退を決めました。
終了後、はじめて「これ違う」と気づきました。
四十七士の討ち入りは元禄15年の12月です。
この鰐口に刻まれた元禄15年8月15日には、吉良さんはまだ存命です。
吉良さんの供養も何もあったもんではありません。(^_^;
箱書きを書いた人は、鰐口に刻まれた元禄15年の年号と、吉良庄という地名とから、吉良上野介の供養のために作られた鰐口という早とちりをしてしまったのでしょうね。早とちりというより、「かもしれない」という願望、空想を文字にしてしまったのでしょう。
歴史の捏造と言えそうです。
あぶないところでした。
ところが、昨日、この記事にコメントが付きました。
コメントしてくださったのは、この鰐口を落札された方でした。(^_^)
こういうこともあるのですね。意外なことでした。
この方は鰐口などに関心のある方のようで、箱書きの内容が誤りであることを承知の上で落札されたそうです。
この鰐口の作りは時代が合い、刻印も後世の偽刻の風もないとのことです。
そして、撞座の形式で時代と地域がつかめるかもしれないという興味から入札されたそうです。
それで、現地を踏査してみようと思っていて、当ブログの記事を見つけたとのことでした。
ブログには滅多なことは書けませんね。
ヘンなことは書いていなかったので安心しました。
今後も気を付けます。
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