文武から聖武へ
昨日は月に1度の前橋での講座でしたので、いつも通り群馬県庁に立ち寄りました。
ぐんまちゃんグッズの新製品は特にないようでした。これをチェックしないと。(^_^)
ついでに県庁の地下にある郵便局に寄って、年賀はがきを買いました。
県庁、有効活用しています。地下には床屋さんもあるのですが、それは使ったことはありません。
講座では、万葉集の歌を歴史を絡めながら、時代順に読んでいます。今は元正朝。
系図はこんな感じですね。
草壁皇子亡きあと、孫の軽皇子が成人するまで頑張ってきた持統天皇は、無事に軽皇子(文武)に位を譲り、やがて文武には首皇子が生まれ、皇位継承の点では持統上皇は安心して世を去ったことでしょう。
ところが、文武天皇は25歳で亡くなってしまい、首親王はわずか7歳。
そこで、首親王が成人するまで、皇位をどうするか。
最初に、文武の母の元明が即位します。子から母への皇位継承は前代未聞ですね。
元明は疲れて、やがて、娘の元正に譲位します。母から娘への譲位も前代未聞。
そうこうするうちに、首も十分な年齢になったので、めでたく元正から聖武への譲位。これは伯母から甥への譲位。
今日の、女性天皇、女系天皇のことが頭をよぎります。
異例ずくめの皇位継承でしたが、でもこれは、はじめから、ゆくゆくは聖武への皇位継承が決まっていたから、その間の継承は、まああまり重視されなかったのでしょうね。
といっても、文武から聖武に至る天皇は誰でも良かったわけではなく、元明は天智の娘にして、かつ准天皇である草壁皇子の正妻ですし、元正はその元明の子ですから、天皇としての資格は十分にあったと言えましょう。
この、(言い方は悪いですが)中継ぎ天皇の時代に、平城遷都、古事記撰進、風土記撰進の詔、日本書紀撰進と、ずいぶんいろいろなことがありました。
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>中次ぎ天皇の時代に・・・
確かにそうですね。それに言われているように、万葉集の成立もその頃になりますので、」これは興味深いですね。私のかってな見え方かもしれませんが、これらの事業のすべてが天武天皇の思いを果たそうとした…そんな女たちの営みのように思えてならないんですが…
投稿: 三友亭主人 | 2021年11月28日 (日) 07時34分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
そうですね。
万葉集の成立も、聖武のあとの女帝の時代になりましょうか。
苦労して、苦労して繋いでいった血統も、「陰謀渦巻く奈良時代」の結果、天武系には人がいなくなってしまい、天智系の光仁が皇位を継ぐことになるわけですから、皮肉なことです。
投稿: 玉村の源さん | 2021年11月28日 (日) 15時14分