「七人の侍」のシナリオ本
映画「七人の侍」のシナリオ本を入手しました。
撮影に使われた実物ではなく、販売された本です。
大きさは、新書本よりもひとまわり大きいくらいです。
奥付。
昭和29年の4月20日発行です。
「七人の侍」の封切りは同年の4月26日ということですので、封切り以前に発行されたことになります。
封切りとほぼ同時ということになりましょうか。
映画館で販売されたのでしょうかね。
「七人の侍」の台本は、黒澤明の全集を持ってはいるのですが、同時代資料として欲しくなりました。
「七人の侍」は大好きな作品ですので、印象に残る場面やセリフなどもいくつかあります。
毎年野武士に村を襲われている百姓たちが、どうしたら良いか、村の長老のところに行った場面。
長老の儀作は、ひとこと「やるべす!」と言います。
侍を雇って、野武士たちと戦うというのです。
これ、映画では「やるべし」だったと思います。
赤塚不二夫がこのセリフを気に入って、「ベシ」というキャラクターを作ったということです。
誤植かもしれませんが、台本のセリフが、撮影時には変更されることも多いでしょうから、ここもそのケースかもしれません。
百姓の出だった男(三船敏郎)が、自分は武士だと言い張るために、盗んできた系図を見せる場面。
このことで、その男は「菊千代」と呼ばれることになります。
天正2年(1574)生まれで13歳ということですから、「七人の侍」の時代設定は天正14年(1586年)のことということになります。貴重な場面です。
小牧長久手の戦いから2年後、刀狩令の2年前に当たります。
秀吉はもう関白になっていますが、地方ではまだ戦乱が収まっていなかったり、野武士が暴れていたこともあったかもしれません。
侍の1人である七郎次(加東大介)が、百姓たちに戦場での心得を述べる部分。
私の記憶では、「いくさは、進む時も走る。退く時も走る。走れなくなった時は死ぬ時だ。」でしたが、これは私の記憶違いかもしれません。要点だけを別の言葉に置き換えて憶えてしまった可能性があります。
授業で教室に行った時に、何か忘れ物に気づいて、学生さんたちには、「そのままご歓談ください」と言って、待ってもらって、全力疾走で取りに行ったことが何度かあります。その時に、このセリフが自然に口から出てきました。(^_^;
ラストシーン。
7人の侍のうち4人が討ち死にしてしまいました。
ソロのトランペットの音が悲壮でした。
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