武者見立鏡
このようなものを入手しました。
武将の番付です。江戸時代のものと思います。
東方の上段。
西方の上段。
ざっと見たところでは、東西は実際の地域とは関係ありません。東の大関、西の大関、東の関脇、西の関脇……という席次と思います。
東の大関は織田信長です。西の大関は武田信玄、東の関脇は上杉謙信、西の関脇は毛利元就、東の小結は北条氏康、西の小結は島津義弘ですね。
順当なところと思います。←ナゾの上から目線。(^_^;
信玄と謙信が同じランクの東西に並べば形が整うと思いますが、東の大関に信長が座っているので、こういうことになってしまったのでしょう。
三英傑で載っているのは信長だけです。秀吉と家康はナシ。
家康は分かります。この番付が江戸期のものとすれば、東照大権現をランク付けなどしたら、どんなお咎めがあるか。
家康のみならず、秀忠も信康も載っていません。
秀吉も江戸時代には微妙な存在だったのでしょうかね。
家康や秀吉の家来は問題なかったようで、それは載っています。
家康を苦しめた武将も問題なかったようで、真田昌幸が東の前頭2枚目に載っています。
山本勘助が西の前頭筆頭というのは上過ぎるように思います。
1枚目の画像、東に1人だけ枠外に張りだされている人物がいます。明智光秀です。
謀反を起こしたからでしょうかね。
中央部の行司。
中央に大きな文字で真田幸村。その下には木村重成がいます。
人気があったのでしょうね。
これまた、大坂の陣の豊臣方ですけど、問題なかったようです。
その下の世話人。
北条早雲、真田幸隆、島津義久が並びます。
あれこれ眺めていると飽きません。(^_^)
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