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2021年9月11日 (土)

牽牛子塚古墳の葺石に文字を書く?

 一昨日(9月9日)、ネット版の奈良テレビNEWSで、「明日香村 牽牛子塚古墳 地元の児童・生徒らが石板に記名」という記事を読みました。
https://nordot.app/808611403615404032

 復元整備の工事が進む牽牛子塚古墳に地元の中学生たちが訪れ、明日香村教育委員会の職員から古墳についての説明を受けたあと、古墳の表面を覆う凝灰岩の石の板に、油性のマーカーで名前や願いごとなどを書き込んだ、という内容でした。

 思いもよらない内容に驚きました。
 牽牛子塚古墳といえば、斉明天皇陵とする説が有力です。
 「そんなことしていいの?」というのがその時に抱いた感想でした。

 古墳に限らず、遺跡や遺物を復元するに当たっては、極力、本来の姿を忠実に復元するのが当然と思います。
 そこにマーカーで字を書くなんて。

 ただ、その石板は発掘したものなのか、新たに作ったものなのか、そして、文字を書いたのは表側なのか裏側なのか、ということがこの記事には書かれていませんでした。
 それによって、話はだいぶ違ってきます。

 そうしたところ、三友亭主人さんから、9月10日付のネット版奈良新聞の「未来へ残す自分の夢 明日香・牽牛子塚古墳」という記事を教えて頂きました。
https://note.com/naranewspaper/n/n2c54f0cabe7d?fbclid=IwAR1FHBt72khkrJDC5GPaG7qWynezSgy6sqoGxiZRMm-K_hjeu_FN3zSJqW0

 こちらの記事には、墳丘を覆う凝灰岩は、当時使用された二上山のものと色合いが似た石川県小松市産の切り石を使い、その裏側に文字を書き込んだという、私の知りたかったことも書かれていました。

 葺石自体が新しく作られたもので、その裏側に名前などを書くというのであれば、それもアリかなと思えてきました。

 最初は、こういうのは聞いたこともなかったので、違和感を抱いたのかもしれません。

 古代寺院の金堂や塔などを修理したり復元したりするときに、工事費を寄付してくれた人には、瓦に自分の名前などを書き込む権利が与えられる、などということがありますね。
 発想としては、それと同じかもしれません。

 この古墳は復元整備が完了した後の来年3月中に一般公開を始める予定とのことです。

 この古墳の整備計画については、平成26年(2014年)の2月26日付のアサヒコム奈良に基本構想案が載っていました。
 ・八角形墳を体感できるように表現する。
 ・巨岩をくりぬいて作られた2人用の石室も見学可能とする。
 ・すぐ近くで見つかった越塚御門古墳の石室も見学可能とする。
などという内容でした。
 これがいよいよあと半年ほどで実現するのですね。

 越塚御門古墳は、大伯・大津のお母さんである大田皇女の墓の可能性が高そうです。
 楽しみです。

 下の写真は、平成23年3月にこの古墳を訪れたときのものです。
Kengoshi_h230317a

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コメント

>それもアリかなと思えてきました。

私も最初は、このようにしているのならばありかな…と思っていたのですが、考えてみれば古墳というものはお墓なので、そのお墓を修復するときに見ず知らずのものが買ってん願い事などを書いてもいいのかなと思うようになってきました。

何年か前に萬葉学会の1日旅行でここに行ったときはまだ墳丘にはカバーがかかっていて、そこに至る斜面が聖地が始まったばかりという感じでした。この牽牛子塚古墳の前の明日香から御所に抜ける道はよくとおるのですが、修復の進む様子はその道路からもよく見えてました。大変なことしてるなあと思っていました。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 なるほど。よく分かります。
 お寺の瓦の場合は宗教的な目的が明確で、ささやかでも何か仏教のための行為をすることが功徳を施すことになるわけですよね。

 そういう点では、古墳の葺石に願い事や決意などを書くことが何に通じるのか不明確ですね。
 斉明天皇や間人皇后が見ず知らずの小中学生から何か願われたり、決意表明されたりしても、「知らんがな」ということになりましょう。

 これ、明日香村教育委員会がこういうことを思い付いた時点で、牽牛子塚古墳を古墳というよりは遺跡・文化財として見ているのでしょうね。

 お寺の瓦に文字を書くというより、七夕の短冊に文字を書くのと似た発想なのではないかと思えてきました。
 七夕も本来は宗教的な行事でしょうけど、今の七夕は、短冊に何か書いても、それが何に向けてのものなのかやや曖昧になってしまっていますよね。星に願いを?

 ただやはり、明日香村教育委員会としては、子供たちに、遺跡に関心を持ってもらいたいという目的でこういうことを思い付いたのでしょうけど、遺跡を復元するに当たって、その構成物たる葺石に、その裏面とはいいながら児童生徒に文字を書いてもらうということに、やはり違和感は残ります。

 なんか違う、という感覚です。

難しい問題といえば難しいのですが…

シンプルに考えれば、信教の自由というのは「誰が誰(あるいは何)を、どういう形で信仰しようが自由である。」ということを意味します。

それを、誰は(あるいは何)は、こういう形で信仰しなければならない、などと決めつけるのは、他人の信教を自由を否定することになるわけで、よくありがちなことはいえ、本当は「とんでもない勘違い」と思います。

きむらたかし@三田用水さん

 コメントをありがとうございます。

 仰ること、よく分かります。確かにそうですね。

 この古墳の場合は、さらに文化財保護という要素もありますよね。
 古墳をどういう形で現代に示し、後世に残すのか。
 葺石で覆うというのはこの古墳が築造された当時の姿を復元しようということを基本姿勢にしているのでしょうが、そうだとすると、その葺石に、たとえ裏側とはいえ、そこに文字を書いて良いものか。

 また、葺石に願いや決意をかくというのも、なんか感覚的にズレを感じます。

 そんな点が引っかかるところではあります。

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