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2021年7月31日 (土)

『庁中漫録』を著した玉井定時

 昨日ご紹介した『ならら』最新号のこの記事にも心惹かれました。
Narara202108b

 「新大和人物志」という連載です。今号で取り上げられているのは奈良奉行所の玉井定時という与力で、著者は天理大学教授幡鎌一弘氏です。

 玉井定時については、その名も知りませんでしたが、正保3年(1646)に生まれ、少年時代から歴史好きで、特に大和国の歴史を調べ始めたそうです。
 定時は大和郡山の本多家の家臣でしたが、本多家が陸奥国に転封されたときに、母の思いを受けて大和国にとどまることにしたところ、当時の奈良奉行が彼の評判を聞きつけて、奉行所の与力として召し抱えたそうです。

 奈良奉行所の与力になってからは、奈良奉行の命で、大和国の寺社に対して創建の由緒などの要点を記録した文書を提出させて、台帳を作成します。
 この台帳作成が呼び水になって、のちに『庁中漫録』と呼ばれる記録集を作成することになります。

 『庁中漫録』の内容は、大和国の地誌の他、奈良奉行所の歴史や法度、社寺の祭礼の由緒、大仏殿再建記、正倉院開封記録、陵墓の調査報告など多岐に亘るそうです。
 「和州志」30巻として一応の完成を見たのが元禄13年(1700)、定時55歳の時で、7年後に与力を辞した後も増補を続け、享保5年(1720)に75歳で亡くなる前年までその作業を続けたとのことです。
 文字通りのライフワークですね。

 『庁中漫録』は、奈良市が『奈良史料叢書 庁中漫録』として刊行しているとのことですので、是非閲覧したいものです。

 以前、奈良奉行所の位置は今の奈良女子大学の場所だということに興味を持って、当ブログで取り上げましたが、思えば、それを教えられたのは『ならら』の前号でした。

 奈良女の院生であるかるべさんが撮ってくれた多門町(奈良奉行所の与力が住んでいた町です)の写真も掲載しました。以下のものです。
Narabugyo11

 これ、『ならら』の記事の左ページ左上の写真と同じ場所を撮影したものですね。
 かるべさんは、プロと同じ撮影ポイントで撮してくれたことになります。(^_^)

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コメント

>著者は天理大学教授幡鎌一弘氏です。

歴史文化学科の先生ですね。私が在学していたころは文学部は国文と宗教という構成で、歴史学はありませんでしたからねえ…もし、歴史学科が当時あったなら、私が奈良に出てきた理由と相まって、その後の人生が変わっていたかもしれません。

またやってしまいました。
上のコメント私のです。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 確かにそうですね。
 もともと三友亭主人さんは歴史学がお好きだったわけですものねぇ。
 当時、歴史学科があれば、そちらに進んでいた可能性が高いですよね。

 ほんと、就職、結婚(こちらは、いきさつを全く存じませんが)と、その後の人生が変わっていたかもしれませんね。

 私も、史学科に入学したかったのに、点数が足りなくて第2志望の国文学科に入学することになり、そのまま居ついて今に到っている次第ですので、もしも点数が足りていたら、やはりその後の人生は大きく変わっていたことと思います。
 それがどんな人生だったかは計り知れませんが、今の人生で良かったと思います。

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