虎(とら)と象(きさ)と鰐(わに)
唐突ですが、日本にいなかった動物にも和語(和訓)のあることを、かねて疑問に思っていました。
たとえば虎。虎は日本にいなかったし、大部分の古代人は見たことも聞いたこともなかったでしょう。
でも「とら」という和語があります。
和名類聚抄を見てみました。
虎の他に象も目に付きました。
象には「岐佐(きさ)」という和名が書いてあります。
象山(きさやま)、象の小川(きさのをがは)、象潟(きさかた)などという地名もあります。
日本にはいなかった動物なのに、「象」も文字が地名にまで使われているなんて、不思議です。
語源は、木目のことを「きさ」というので、象牙の模様を木目に重ねて「きさ」と呼んだのかと思います。
象本体は日本に来ていなくても、象牙は正倉院宝物に使われていますよね。
一般庶民には縁のないものだったことでしょうけど。
虎には「止良(とら)」という和名が書いてあります。
十二支の1つでもありますね。
正倉院の戸籍には、「とらめ」という女性名があります。寅年生まれにちなむ人名のようです。
「とら」の語源は何なんでしょう。
日国を見ると、いくつかの語言説が並んでいる中に、「朝鮮の古語で毛の斑を意味するツルの転〔大言海〕」というのがあります。
これならあり得そうな気がします。
あとは、かねて疑問の鰐です。
和名類聚抄にはこのように載っています。
広漢和ではこのようにあります。
うしろから3行目からの〔注〕とある用例は、和名類聚抄の鰐の解説とほぼ同文です。
広漢和の〔注〕は、直前の文選の劉良注を指すものと思います。
古代の日本人の大部分の人たちは、虎も象も鰐も、それぞれがどんな動物であるのかなど、知る由もなかったでしょうが、知識人たちは漢籍や仏典を通して、外国にはそういう動物がいることを知ったのでしょうね。それで、獅子や豹や孔雀などは漢字・漢語を音読みし、象も後には漢字を音読することになりますが、いくつかの動物には和訓を発明して呼ぶようになったのでしょう。
縷々書いてきた割には、何も明らかにし得ていませんし、まとまりもありませんが、こういったことを漠々と考えています。
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確かに、「トラ」も「キサ」もそうですね。あまり気が付かずにいましたね。
ただ「ワニ」に関しては、国元で父やおじさんたちから昔はサメのことを「ワニ」って言ってた人もいた(かなり回りくどい書き方ですが)と聞いていましたから、何の疑いもなく「サメ」のことだと思っていましたが、お示しいただいた和名類聚抄・広漢和を見る限りでは…やはり今「ワニ」といっている動物の説明ですよね……とはいえ、例えば海幸山幸の
一尋和邇白「僕者、一日送、卽還來。
化八尋和邇而、匍匐委蛇。
なんて一節を見ると???ってなりますがね。
投稿: | 2021年6月12日 (土) 08時00分
すみません、名前入れるの忘れてました。
上のコメント、私です。
投稿: 三友亭主人 | 2021年6月12日 (土) 17時03分
コメントをありがとうございます。
やはり三友亭主人さんでしたか。
遅くなりましたが、今ちょうどコメントを書いていたところでした。
『日本国語大辞典』の「わに」の項目から、魚の意の方言を引用すると、以下のようになります。
(1)さめ(鮫)。《わに》兵庫県但馬 島根県
(2)あぶらざめ(油鮫)。《わん》富山県砺波 島根県八束郡・隠岐島 《わんた》島根県隠岐島
(3)えどあぶらざめ(江戸油鮫)。《わに》高知県吾川郡
(4)わにぶか(鰐鱶)。《わに》熊野
確かに、サメのことをワニと呼ぶ地域がありますね。しかも、稲羽之素兎の舞台である島根県を含んでいます。
ワニは難しいです。
熱帯の動物である鰐が日本にいたとは考えられませんし、稲羽之素兎のように、隠岐の島(沖合いの島?)から気多の先まで、ワニが海に浮かんで並ぶというのも、鰐のこととしては不審です。
お示しくださった例のように、山幸を海神の宮から地上に送ってくれたワニは鮫のように思えますね。
トヨタマビメの場合は、「匍匐委蛇」という表現が、私にはむしろ鰐のように思えます。少なくとも「匍匐」の部分。「委蛇」は地上に上がった鮫の方が良いかもしれませんが。
出雲国風土記では、海にいるものとして、島根郡の条(南の入り海)に「和尓」がいる一方、島根郡(北の海)と秋鹿郡の条には「沙魚(サメか)」がいます。
同じ島根郡にワニとサメとがいるとなると、両者は別物かとも思えます。
古代の知識人は、漢籍を読んで、「鰐」という動物のことを知ったのでしょうね。実際に見たことはないので、姿形はざっくり想像できて、水に住む凶暴な動物という程度の知識は持ったものでしょう。それを日本でも見ることのできる動物に当てはめようとしたのでしょうか。
あるいは、日本にはいない動物(たとえば龍のような)として考えたのか。
あれやこれや考えつつ、結論はなかなか出ません。
それはそれとして、ワニという和名がどうして作られたのか、それがナゾです。
地名にも氏族名にもありますよね。
不思議です。
投稿: 玉村の源さん | 2021年6月12日 (土) 17時19分