明治12年の府県一覧表
このようなものを入手しました。
明治12年の府県一覧表です。正式名称(表記)は「改正府県弌覧表」とあります。
廃藩置県で府県が置かれますが、県の数は増減を繰り返し、固定するまで年数が掛かりました。
この表では3府36県1開拓使からなっています。現在よりも県の数が少し少ないですね。
上下2段からなっています。上段の冒頭部分を示します。
このように、項目は、府県名、庁位置、自東京里程、管轄国郡、石高、知事令となっています。
県庁所在地は、神奈川県は横浜、兵庫県は神戸など、ざっくりとした示し方ですが、府庁所在地は、東京府は東京幸町、京都府は京都二条城、大坂府は大坂江ノ子島と、詳細な示し方になっています。
表記については、新潟の「潟」、栃木の「栃」が異体字になっています。
栃木の「栃」は、むしろこの表の「杤」の方が一般的だったのですよね。
さて、府県名の全体の排列が不審です。
府県名の部分だけを切り貼りして示します。
冒頭に3府が並びます。政府と皇居のある東京府が筆頭で、かつて皇居のあった京都府が2番目ということなのでしょう。
その後の県の順序の法則がよく分からなかったのですが、あれこれ考えて、たぶん次のようなことだったのではないかと考えます。
1.幕末に開港した横浜、神戸、長崎、新潟のある、神奈川県、兵庫県、長崎県、新潟県
2.東京と神奈川を除く関東地方(埼玉~栃木)
3.畿内(堺)
4.東京、神奈川、埼玉、千葉を除く東海道(三重~山梨)
5.群馬、栃木を除く東山道(滋賀~山形)
6.新潟を除く北陸道(石川)
7.兵庫を除く山陰道(島根)
8.兵庫を除く山陽道(岡山~山口)
9.南海道(和歌山~愛媛)
10.長崎を除く西海道(福岡~沖縄)
11.北海道開拓使
多分合っていると思いますが、なぜ開港場のあった4県が3府に次ぐ位置を占めているのか、よく分かりません。
あとは、明治になっても、まだ五畿七道が大きな基準になっているのですね。
その中にあって、関東地方が別扱いになっています。これは、かつて政治の中心が大和・山城にあったとき、その周囲の諸国が畿内という扱いを受けたのに倣って、東京の周囲の諸県である関東地方を別格にしたのでしょう。
そういった関東地方よりも開港場4県の方が上位に置かれていることが、やはり不審です。不審というのは私が当時のことをよく知らないことに由来しているものと思います。
府知事や県令の名前にはふりがなの振ってあるものが多いです。
上に示したのは埼玉県から滋賀県までの県令の部分です。
右から2番目が群馬県です。県令は、NHK大河「花燃ゆ」にも登場した楫取素彦です。
苗字は「かとり」のはずですが、ふりがなは「かぢとり」となっています。
「なんと! かとりではなくて、かぢとりだったのか!」となれば、発見ですけど、多分そうではなくて、この一覧表が間違っているのでしょう。他の苗字をよく見ると、ふりがなの付いているのは分かりやすい苗字ばかりで、難読の苗字にはふりがながありません。
この表の作成者は、「楫取」を「かぢとり」と思い込んでふりがなを付けたのではないかと思います。
県名が今よりも少ないのは、何が足りないのか見てみました。
見落としがあるかもしれませんが、奈良が堺と一緒、鳥取が島根と一緒、徳島が高知と一緒、香川が愛媛と一緒、佐賀が長崎と一緒でした。
あれこれ見ていって感じたことは、同時代史料は楽しい、といういつもながらの結論です。♪
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>奈良が堺と一緒
そうなんですよ。
明治元年奈良府→明治2年奈良県→明治4年大和国内の他の県を統合→明治9年堺県→明治14年堺県大阪府編入
明治20年大阪府より分割、第2次奈良県再設置。
という流れらしいです。私が仕事に就いたころ、県政100周年のイベントがあったのを記憶しています。堺、大坂時代は結構不便なところがあって、いろんな方が奈良県の分離独立に向けて運動されたそうです。
投稿: 三友亭主人 | 2021年6月20日 (日) 08時13分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
奈良県は最初は「府」だったのでしたか。古都ですものね。
大阪府を小さく作っちゃったので、堺県が狭すぎて、それで奈良とくっつけちゃったのでしょうね。堺県を大阪府に編入したときに、奈良県を分離してくれれば良かったのですよね。
1000年以上の歴史のある旧国には合理性があると思いますので、全国的にも、最終的には旧国をベースに落ち着くことになりましたね。自然の流れかと思います。
投稿: 玉村の源さん | 2021年6月20日 (日) 09時54分