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2021年6月17日 (木)

明治22年の赤穂義士の双六

 このようなものを入手しました。
M22gishisugoroku01
 正式名称は「新板 義士之鑑廻リ数吾禄」で、明治22年の刊行です。

 中央にある両国橋の絵が上りになります。
M22gishisugoroku02

 振出しは、右下の3人です。
M22gishisugoroku03
 表門の大将大石内蔵助、裏門の大将大石主税、主税の後見吉田忠左衛門です。

 登場人物は全て討入り装束ですので、振出しから上りまで、全て討入りの状態ということになります。

 「実録忠臣蔵」が大正11年、「元禄忠臣蔵」が昭和9年ですので、明治22年というと、一般の人々は、忠臣蔵というと大星由良之助、塩冶判官、高師直といった仮名手本忠臣蔵の登場人物名で憶えていることでしょうから、その中での実名による双六です。
 しかも、振出しが両門の大将である大石親子はよく分かりますけど、もう一人、主税の後見である吉田忠左衛門が加わっているあたり、赤穂事件にかなり詳しい人の作と思われます。

 とはいえ、義士の名にはそこそこ間違いもあります。
 赤埴源蔵が赤垣源蔵になっているのはありがちなことですが、こんなケースもあります。
M22gishisugoroku04
 小野寺幸右衛門、寺坂吉右衛門が正解ですね。

 討入り前に切腹して、討ち入りには参加できなかった萱野三平もいます。
M22gishisugoroku05
 他のマスにはバックに色が付いている中で、このマスだけは白です。

 今のすごろくには、出た目によっていくつ進むとか戻るとか、1回休みとか、そういった指示がマスに書かれていますけど、このすごろくにはそういった指示は全くありません。出た目の数だけによって進退するのでしょう。そういう意味では単純なゲームになります。
 ゲームという面よりも、赤穂浪士の全員を載せることの方に重点が置かれているのかもしれません。
 実際に四十七士全員と萱野三平、全48人が載っています。

 サイズはB4とA3の中間くらいです。
 それだけのサイズなのに折り目が全くありません。
 明治22年以来120年以上になりますが、その間、全く折り畳まれることなく伝来してきたことになります。
 このままでは始末に悪いのですが、それを私が折るのも躊躇されます。(^_^;

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