印判屋、魚佐旅館の地図の年代
一昨日書いた印判屋の地図の年代を考察してみようと思いました。
詳しい人ならば年代を決める観点をいくつもご存知と思いますが、私は未熟で。
あれこれ眺めて、奈良博の南東にある「奈良県商品陳列所」という名称に目が留まりました。
この施設、他の地図で別の名称だったのを見た憶えがあります。
そこで、調べてみましたら、この施設の名称は以下のように変遷していたことが分かりました。
明治35年(1902) 奈良県物産陳列所として開業
大正10年(1921) 奈良県商品陳列所に改称
昭和9年(1934) 奈良県商工館に改称
この建物は現存し、今は奈良国立博物館仏教美術資料研究センターになっているのでした。
印判屋の地図には「奈良県商品陳列所」とありますので、この地図は大正10年から昭和9年までの間の状態を反映していることになります。
今から90年近く前、ないし100年くらい前ですね。
今後、さらに他の手がかりも探してみます。
ここで、以前ご紹介した魚佐旅館の地図のことを思い出しました。
この地図の下限は、油坂池を手がかりに昭和3年以前と考えたのですが、奈良警察署の位置を手がかりとした古都の焼け門さんのご教示で、昭和13年以降ということが判明しました。
油坂池は手がかりにならないのでした。
そこで止まっていたのですが、あの地図で商品陳列所がどういう名称で載っているか見てみました。
「商工館」とあります。
とすると、魚佐旅館の地図は昭和9年以降ということになります。
昭和3年以前説は完全に崩壊しました。(^_^;
何かが分かると、それを手がかりに別の何かが分かるというのは楽しいです。
あれやこれやが思わぬところで繋がっているのですよね。
どうでも良いことのように思えても、それを明らかにすることが、別の極めて大事なことの解明に役立つことがありますよね。
些細なことも、ないがしろにはできません。
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