明治6年の『単語篇』(新潟の教科書)(5)弘文天皇
ここのところ大いに関心を持っている明治6年の『単語篇』、第5弾です。
下巻には歴代天皇が載っています。
その孝霊天皇からの部分。
仲哀天皇と応神天皇の間に神功皇后が入っています。
敏達天皇からの部分。
天智天皇と天武天皇の間に弘文天皇が入っていません。
南北朝の部分。
南北朝については、南朝をメインに、北朝は別掲してあります。南朝を正統としているのでしょう。
水戸徳川家の『大日本史』で、神功皇后を歴代から外し、大友皇子を歴代に加え、南朝を正統とした。
明治政府がこれを採用した。
そのように理解していました。
この明治6年の新潟県の『単語篇』では、神功皇后と弘文天皇については『大日本史』以前の状態ですね。
明治政府が大友皇子は即位していたとして弘文という謚を贈ったのがいつなのか調べてみましたら、明治3年の7月でした。
『法令全書』の明治3年に太政官布告が載っています。
明治3年7月24日です。画像は、国会図書館のデジタルコレクションを(勝手に)切り貼りして使いました。
これを見ると、弘文天皇と同時に、恵美押勝の乱で廃帝とされた淳仁天皇と、承久の乱で廃帝とされた仲恭天皇にも謚が贈られています。
恥ずかしながら、これは知りませんでした。
昨日書きましたように、『単語篇』は、親本が文部省によって作られ、それを各府県でアレンジの上、印刷出版したのでした。
明治6年の栃木県の『単語篇』にはこうあります。
神功皇后も弘文天皇も含まれています。
明治7年の岡山県の『単語篇』にはこうあります。
こちらも同様です。
なお、南北朝については栃木版も岡山版も新潟版と同じです。
また、淳仁天皇と仲恭天皇は、3文献ともに載っています。
新潟版は明治6年の刊行ですから、明治3年に天皇と認められている弘文天皇が載っていないのは不審です。
淳仁天皇と仲恭天皇は載っているのに。
3帝の相違は、弘文天皇は即位したかどうか明らかでないのに対し、淳仁・仲恭は即位後に退位させられたという点です。
これが影響したのでしょうか。
同じ『単語篇』でありながら、新潟版と、栃木版・岡山版とが異なるのも興味深いことです。
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