刊行からだいぶ日が経ってしまいましたが、昨年9月に田中大士氏の『衝撃の『万葉集』伝本出現』(塙書房。はなわ新書[美夫君志リブレ])が刊行されました。

とても勉強になりました。
田中氏の論文のいくつかは今までにも読んでいたのですが、この本で体系的にまとめられたことで、全貌がとてもよく分かりました。
ですます調で書かれている点も、理解しやすく感じました。
平成5年に廣瀬本発見の新聞記事を見たとき、廣瀬本は全巻完備した唯一の非仙覚本としか考えませんでした。それは、その当座のみならず、ずっとそのように思っていました。
ところが、この本を読んで、廣瀬本の価値はそれに留まらないことがよく分かりました。
廣瀬本は片仮名で訓が付いていますが、いくつかある非仙覚本の片仮名訓本は祖本が共通であることが判明したそうです。それは、廣瀬本が全巻完備していたからこそ明らかになった事実であるということです。
片仮名訓本の成立には僧侶が関与していたという指摘もありました。
この本を読むまで考えませんでしたが、確かに、和歌の訓を書くのに、ひらがなでなくなぜ片仮名を用いたのか、不思議なことと思います。僧侶であれば片仮名を用いたことが大変によく納得できます。
廣瀬本には「由緒ある誤り」があるという指摘も興味深いことでした。
誤写ではあっても、鎌倉時代の誤写がそのまま江戸時代書写の廣瀬本にそのまま保持されてきたのは誠に稀有なことであり、誠に幸いなことであると思いました。
そして、廣瀬本(の親本)は、仙覚の寛元本系諸本(ということは寛永版本もそれに繋がります)の祖本に当たるというのも貴重な指摘でした。
私の恥をさらせば、廣瀬本が片仮名訓であるのは、書写年代が新しい故に仙覚本の影響を受けたせいかと思っていました。また、廣瀬本と寛永版本とが一致する異同を持つことがあるのは、廣瀬本が寛永版本の影響を受けたものかと思っていました。
また、廣瀬本は、全巻完備した唯一の非仙覚本という極めて価値の高い本ではあっても、書写年代が降るので、仙覚本や寛永版本の影響を少なからず受けていると、そのように思い込んでいました。これは逆だったのですね。
大変大変勉強になりました。
以上書いたこと、私の誤読がありはすまいかと不安です。間違いがあったらすみません。
この本にこのような図版が載っていました。

廣瀬本万葉集発見の新聞記事です。
これは田中氏が切り抜いたものだそうですけど、見覚えがあります。私も切り抜きました。(^_^)
私のはこうです。

ほぼ一緒ですが、見出しが若干異なります。
上部中央、私のは「原本の解明に光」、田中氏のは白抜きで「原本解明の手がかりに」。
右側、私のは「定本と異なる記述」、田中氏のは「定本と異なる記述も」。
左側、私のは「誤りただす貴重な発見」、田中氏のは「「誤り」ただす貴重な発見」です。
いずれも些細な相違ですが、版を変えるときに改めたのですね。
私のは群馬版なので、遠距離輸送するために、早い段階の版なのでしょう。
廣瀬本とは直接関係ありませんが、こんなことも興味深かったです。(^_^)
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