亀形石造物発見は20年前
先日、渋川の家で見つけました。
平成12年(2000年)2月23日付の朝日新聞朝刊群馬版です。
今から20年前といいますか、あと2ヶ月で21年になりますね。
記事によれば、この遺跡の発掘成果は、前日の2月22日に明日香村教育委員会が発表したとのことです。
もう1面。同紙の別ページです。
酒船石との関係が書かれています。
左上の図の拡大。
さらにもう1面。これも同じ新聞の別面です。
こちらでは斉明天皇の土木工事との関係が書かれています。
この記事から3ヶ月半後に現地に行きました。
この写真しかありません。
これ以上には近づけなかったのかもしれません。
翌年の5月にまた行ってきました。
付近にはまだブルーシートや土嚢があります。
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<あと2ヶ月で21年になりますね
もうそんなになるんですね。その情報の酒船石を含めて・・・何年か前の万葉学会の1日旅行でこの辺りを通過したのですが・・・その時N大学のU先生(ミエミエ)が、これが近隣に存する高取城址の石垣辺りからこの酒船石と組になるような石が発見されてその用途が明らかになるかもしれないなんてことを夢想するんですよ…とおっしゃっていたんですが、やはり古代史に興味のあるものとして夢想で終わってほしくはないなあなんて期待するんですよね。無理だとわかっていても・・・涙(/ω\)
投稿: 三友亭主人 | 2020年12月23日 (水) 22時10分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
亀形石造物と酒船石との関係、どうなのでしょうね。
上の記事では関係がありそうに書いていますけれども、酒船石の1本の溝とは関係が付くとしても、溝はあと2本ありますしね。
高取城との関連ですか。どうでしょうね。(^_^)
でもほんと、いつか謎が解けたら良いですよね。
投稿: 玉村の源さん | 2020年12月23日 (水) 22時19分