「ぶっ倒れ」た吉良上野介
先ごろ、このようなものを入手しました。
昭和14年の映画「忠臣蔵」のシナリオです。
奥付。
画像では大きさが分かりませんが、手のひらサイズです。
実際の撮影で使ったものではなく、宣伝用とか、おみやげ用とか、そういったものと思います。
赤穂城明け渡しまでを収めます。
大石は大河内伝次郎、浅野は長谷川一夫です。
松の廊下の刃傷の場面。
その数行先。
オーソドックスな内容と思いますが、目を引いたのは、浅野に斬られた吉良が「ぶっ倒れ」ていることです。
刃傷の場面の1枚目は最後の行、2枚目は2行目にその表現が出てきます。
なんか違和感を覚えます。「ぶっ倒れる」というのが、セリフ(特に町人の)の中に使われているのならば良いのですが、地の文なので。
俗語と感じたからでしょう。
日国には次のようにありました。
ぶっ‐たお・れる[‥たふれる] 【打倒】〔自ラ下一〕ぶったふ・る〔自ラ下二〕(「ぶっ」は接頭語)
はげしい勢いでたおれる。また、「たおれる(倒)」の俗語的表現。
*雑兵物語〔1683頃〕下「あに頑馬だによってがらりぶったをれたによって」
*画の悲み〔1902〕〈国木田独歩〉「川原の草の中に打倒(ブッタフ)れてしまった」
ここにもやはり、「俗語的表現」とあります。
近代の作品から用例を探してみました。
おおよそ時代順です。
「先程奇怪な叫び声を立てたその若い漁夫は、やがて眠るようにおとなしく気を失って、ひょろひょろとよろめくと見る間に、崩れるように胴の間にぶっ倒れてしまった。」有島武郎『生まれ出づる悩み』
「一旦これが、他殺の嫌疑のある死体かなんぞになって、往来にぶっ倒れていたとなると、まず権助か八兵衛か熊公か、通称からして調べてかからなければならなくなるし、」里見弴『多情仏心』
「イエ、丹波様が、お裏庭で、鮪のようにぶっ倒れておしまいなすったから、皆さんのお手を拝借してえんで。」林不忘『丹下左膳』
「私は着物を四枚重ねだ。若い者は寒いと酒ばかり飲んでいるよ。それでごろごろあすこにぶっ倒れてるのさ、風邪をひいてね。」川端康成『雪国』
「京造は車掌のことばには答えないで、いきなり、吾一の横っ腹のところに、ぶっ倒れたと思うと、おいおい泣きだした。」山本有三『路傍の石』
鴎外や漱石の用例は見つかりませんでした。
大正以降には、有島武郎や里見弴などに用例があります。川端康成の『雪国』は忠臣蔵のシナリオとほぼ同時代です。ただ、この用例はセリフの中ですね。
私の感覚では、「ぶっ倒れる」というのは、改まったところには使わない表現と思えましたが、昭和14年の頃は必ずしもそうではなかったのかもしれませんね。あるいは感じ方に個人差もあったのかもしれません。
現代を生きる自分の感覚で考えてはいけませんね。同時代にどうだったのか、調べてみないと。
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