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2020年9月12日 (土)

食偏の字体(チコちゃんに叱られる!)

 「チコちゃんに叱られる!」を毎週楽しみに見ています。
 昨日、豊川悦司がチコったので、漢字の書き取りということになりました。問題は「ぎょうざ」。
 豊川悦司は、最初ツクリが思い出せず葉っぱの絵を書きましたが、すぐに思い出して、食偏に「交」と書きました。
 合っていますよね。
Chiko_shoku
 ところが、これは不正解とされました。理由は、左下に示したように、食偏の下部は横線2本で書かなくてはいけない、というのです。
 正解にすべきだと思うんですけどね。

 現代の印刷字体は『康熙字典』に準拠しています。
 戦後、当用漢字が制定され、後に常用漢字が制定されたときに、表内字については、食偏は「飲」「飯」のように「食」に1画足りない形になりました。しかし、表外字については、それに取り残される形で「飴」「餌」のように『康熙字典』のまま残り、下部は横線2本です。

 豊川悦司の書いた字が不正解とされたのはこういう理由によるのでしょう。
 でも、これは活字などの印刷字体についてのもので、手書きまで印刷字体に合わせなくてはいけないものなのか。
 文科省も、表内字については印刷字体と手書きとは分けて考えています。表外字だってこれに準ずるべきものと思います。

 『類聚名義抄』はこんな具合です。
Myogi_shoku

 シンニュウの点1つ2つも同じですね。
 手書きも印刷字体と同じにしなくてはいけないというのは誰が決めたのでしょう。
 マナー講師の謎ルールと同じようなものではないでしょうか。

 手書きの場合は、表内・表外を問わず、食偏は「飲」型でも「飴」型でも良しとすべきでしょう。
 シンニュウの点だって、表外字も点1つで良いと考えます。もちろん2つ書いてもOK。
 自分で自分を縛ることはありません。

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コメント

源さんの仰る通りです。活字體は印刷用の字體であり、筆記體は手書きの字體です。そもそも筆記體の歴史は古く、相對的に活字體の歴史は新しい。古參の筆記體が新參者の活字體に掣肘されるいはれはありません。

たとへば明治時代の文學者の原稿はおほむね筆記體で書いてあるはずです。むろん活字體は知つてゐながら、原稿は筆記體で書く。その原稿が活字になると、當然活字體で印刷されてゐる。筆記體と活字體の對應と嚴密な異同は校正者や文選(ぶんせん)が知つてゐればよかつた。

ところが戰後、當用漢字(當面用ゐる漢字)が制定されて以後、將來的には無くなるであらうとされた漢字に關する常識は失はれる一方になりました。政治家、役人、教員、出版社や新聞テレヴィ等のジャーナリズムすべてにおいて。かくてNHKは筆記體の食偏を誤字とするに至つたのです。

學校教育では昔から木偏の縱劃の下端は撥ねてはいけないといふ「眞面目な」教員がをり、試驗の採點では「箸墓古墳」の箸字には點が無くてはいけないといふ強硬な意見が出ると聞いたことがあります。

實際には活字體の通りに書いてもよく、筆記體を援用して書いてもよいとすべきなのです。

筒井先生

 コメントをありがとうございます。

 漢字の字体についての不条理な「厳密さ」は、学校の書き取りの採点の影響が大きいのかと思っています。
 教員が、手書きで書かれた漢字を採点するに当たって、その規範を活字体の辞書や教科書に求める。その時に、手書きと活字とは異なる場合がしばしばある、ということに全く思いを致していない。

 そんなことが大きいのかと。

 天下のNHKには見識を持ってもらいたいです。

>学校の書き取りの採点の影響が大きいのかと思っています。

私なんか、そこがいい加減すぎて問題なのですが(見て、大体形があってれば○をつけてしまいます 笑)・・・
そういえば今回の元号制定の際にも「令」の字体について若干「刀」の部分についての言及がありましたよね。

そういえば・・・以前三輪山セミナーにK大学のI先生がいらっしゃったとき「最近は入試の採点で漢字の採点をさせてもらえないんですよ。お前はなんでも○をつけるっていわれて・・・」とおっしゃってたのを思い出しました。
まあ、I先生の場合は私のようないい加減さで○をしているのではなく、もっと次元の高いところで○をしてるんでしょうけれど・・・

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 我が恩師は、漢字の書き取りの採点にあたっては、他の漢字と明確に区別ができること、というのを大原則にしていました。

 具体的には、未と末、己と已と巳、大と太と犬、などでしょうね。他の漢字と紛れることがなければ原則OKということです。食偏の下部など、問題にもしなかったことでしょう。

 それでいいんですよね。

 複数の人が分担して採点する場合、採点者によって基準が違ってしまうと困りますよね。そういう問題もありますね。

 新年号を発表するとき、色紙の「令」の字が活字体に近い字体でしたね。あれなど、字体を考えるにあたっての良い教材になりますね。

混ぜ返すやうですが事實なので觸れておきますと、己、已、巳の三字は中國でも日本でも昔から筆記體では區別せずに記してゐます。文脈上で紛れることがないからでせう。從つて寫本でこれらに出遭つた場合は、意味上で區別し、活字にする際に入力し分ける必要があります。

「令和」の元號發表の令字は字としていささか具合が惡かつた。最終劃は點に作るか、短い縱劃の收筆部を輕く止めた書き方にすべきでした。

筒井先生

 コメントをありがとうございます。

 それは承知しております。

 上に書きましたのは漢字の書き取りの採点における話です。
 校本万葉集や、古典大系本などでも、「校異を示さざる異体字の表」が載っていますので、文脈で判断して活字化するということは、上とは別のこととして理解しています。

残念ながらこの前、ハナタカ優越感でも不正解とされました(苦情済み)!

 コメントをありがとうございます。

 そうでしたか。

 活字の場合と、手書きの場合とを同列に考えるから妙なことになってしまうのですよね。
 なかなかそういうことが浸透しませんね。
 困ったことです。

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