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2020年7月30日 (木)

『ならら』8月号は「まきむく」「あなし」「みわ」

 毎号定期購読している『ならら』8月号が今日届きました。
Narara202008a
 特集は「古代の地名を考える「まきむく」「あなし」「みわ」」です。
 以前の号と同様、「特集」といっても、これらの地名に関する論考が複数本並んでいるわけではなく、論考は9ページのものが1本のみです。
 内容は、「まきむく」については、桜井市纏向学研究センターの研究紀要『纏向学研究』第8号(今年の3月発行)に掲載された森暢郎氏の「「マキムク」地名小考」の紹介、「みわ」については、同じく『纏向学研究』第3号(2015年3月発行)に掲載された前田晴人氏の「三諸の神について」の紹介が中心です。

 『纏向学研究』は、桜井市の纏向学研究センターのHPhttps://www.city.sakurai.lg.jp/sosiki/kyouikuiinkaijimukyoku/makimuku/index.html)で読むことができますが、今のところ掲載されているのは去年発行の第7号までで、残念ながら第8号はまだです。

 「まきむく」についての森氏の論文は、古代から近世に至るまでの諸文献から「まきむく」の用例を468例集め、それを整理されたものだそうです。
 垂仁天皇の「まきむくのたまきの宮」、景行天皇の「まきむくのひしろの宮」の「まきむく」は、記紀ともに「纏向」であるのに対して、古語拾遺では垂仁天皇の方は「巻向」で、景行天皇の方は「纏向」で、この古語拾遺における表記のあり方は、後世の神皇正統記や帝王編年記など多くの文献で同様だそうです。そこで森氏は、「個々の書籍が『日本書紀』自体を読み込み改変したというより、それらの書籍が引用-被引用関係にある蓋然性が高いことを示している」とされているそうです。

 「みもろ」についての前田氏の論文は、三諸山と三輪山ははっきりと区別して論じるべきだとされ、「三輪山」という山名は7世紀中葉頃に登場し、それ以前は「三諸山」と呼ばれていたのではないかと推測されている、としています。前田氏の論文は纏向学研究センターのHPからPDFをダウンロードすることができます。

 今号の目次を切り貼りして示します。
Narara202008b
 字が小さくてすみません。

 新連載も始まり、充実した内容です。

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コメント

纏向は,ヤマトタケルの父,景行天皇ゆかりの地ということで
大変興味深いです。
新型コロナ騒ぎがなければ,この夏ぐらいに行ってみたいなと思っていました。
源さんは,いろいろな雑誌を採っていて,楽しみが多いですね。
「ならら」8月号,関心がありますが,
私が見ても,ちんぷんかんぷんだと思います。

萩さん

 コメントをありがとうございます。

 この夏の旅行先に考えていらしたのですね。
 コロナ禍は本当に影響甚大ですね。
 愛知県も今日はずいぶん大きな数字になってしまいましたね。
 お元気にお過ごしくださいますように。

 『ならら』の8月号、特集以外にもずいぶん盛りだくさんです。
 楽しいと思いますよ。

いつもいつも、源さんには「奈良」のことを教え頂いて有難い限りです(笑)

ご紹介の論文さっそく読ませていただきました。

ミモロ・ミワの関係について

>、この文章を筆録した者が美和山=三輪山の山名に深く関わる人物であった

とあること「?」と感じました。だとすれば・・・誰なのかというのがまず第一。前田氏のお話に従えば「三輪氏」あたり・・・とお思いなのか受け取りましたが・・・

「ミモロ」から「ミワ」への呼称の変遷がもし確かとするならば、もっと単純に・・・「ミモロ」を神宿る山の普通名詞とするならば、三輪山はそのうちの一つ。ヤマト王朝が三輪山の山麓にあったころはあえて「三輪山」と呼ぶ必要はなく、たんに「ミモロ」と呼んでいて、王朝が「磐余」や「明日香」に移ったのち・・・例えば、舒明天皇が香久山に上って国見をしたあたりに初めて「三輪」の呼称が必要になったのではないか・・・なんては考えられないんですかねえ・・・

すみません、名前入れるの忘れてました。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 「この文章を筆録した者が美和山=三輪山の山名に深く関わる人物であった」という内容の記述は2ヶ所に出てきて、どちらも古事記に関しての言及ですね。

 これ、どうなんでしょうね。筆録した者は太安万侶のはずですけど、太安万侶が依拠した文章の筆録者ということになりましょうかね。
 日本書紀ならば、持統5年の8月に18氏族に命じて「其の祖等の墓記」を提出させているわけですけど、その筆頭に大三輪氏が挙がっていますよね。
 前田氏の文章、このあたりについて言葉が足りないように思います。

 三友亭主人さんのコメントの後段については、私も全く同感です。

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