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2020年6月

2020年6月30日 (火)

水をあまり飛ばさないで欲しい

 金魚、元気です。
 先日、金魚が暴れて水槽の水を飛ばすことを書きました。
 その時の写真です。
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 水を飛ばす勢い、増しています。
 数日前、ここまで飛ばしました。
Kingyo_r020630a
 水槽の位置と比べて頂くと、劇的に上空まで飛んでいることが一目瞭然と思います。
 こうなってくると、どこまで飛ばせるか、記録を取りたい気もします。(^_^)

 水を飛ばすのは、食事の時間です。
 普段はおとなしくしていますが、ゴハンの時は元気いっぱいで。それが、時に水撥ねに繋がります。
 「あまり飛ばさないでね」とは言い聞かせますが、人語を解さないようで。(^_^;

 meetによる演習は、わざわざLANケーブルを買って、金魚の水槽をバックに行っています。
 授業中は、暴れることもなく、おとなしくしています。(^_^)
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 その演習、先ほど8回目が終わりました。いつの間にか半分過ぎました。

2020年6月29日 (月)

「ぐんま寺社巡り」アプリ

 昨日、「ぐんま寺社巡り」のパンフレットのことを書きました。
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 実は、あのアプリもあります。
 ネタを小出しにしているわけではなく、一応、自分のスマホにインストールしてからと思いまして。
 パンフレットと一緒に、このようなチラシも置いてありました。
Gunmajishaap01

 裏です。
Gunmajishaap02

 ここに、そのアプリにアクセスするためのQRコードが載っていますので、貼っておきます。
Gunmajishaap03

 ダウンロードを試みました。
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 ダウンロード数500以上ということで、まだ発展途上です。
 3歳以上とありますけど、3歳児には無理と思います。(^_^;

 ダウンロードしようとしましたが、「ダウンロードを待機しています」というメッセージが出て、先に進めません。
 さて、と思ってググってみましたら、対処法がたくさん出てきました。結構起こる事例なのでしょうかね。
 あれこれ試みて、無事にダウンロードでき、起動できました。
Gunmajishaap05

 あれこれ試みたので、どれが奏功したのか分かりません。
 しっかりと切り分けをしなくてはいけません。(^_^;

 上の2枚の画像の間に40分が経過し、電池の容量が20%減ってしまいました。
 電池の消耗が早いです。もう電池の交換時期になっているのですが、コロナ禍でお店が予約制なのです。
 どうも予約は億劫で。(^_^;

 アプリは、あれこれ試してみようと思います。

2020年6月28日 (日)

「ぐんま寺社巡り」

 先日、県庁2階の県民センターで見つけて、貰ってきました。
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 群馬県内の21の寺社が取り上げられています。

 中はこのようになっています。
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 玉村八幡宮、載っています。(^_^)
 数えてみたら、私が行ったことのある寺社は6つだけでした。
 21分の6ですので、3割5分ですね。
 30年以上も群馬県に住んでいたにしては少ないかも。(^_^;

 裏表紙には地図が載っています。
Gunmajisha03
 東京からのアクセスを含むので、この画面では小さいですね。

 21寺社部分の拡大です。
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 時期的には、このパンフレットも、群馬デスティネーションキャンペーンの一環なのだと思います。
 本当に新型コロナウイルスの影響は甚大です。

2020年6月27日 (土)

アマビエの手ぬぐい

 高崎市にある中村染工場の手ぬぐいを購入しました。
 見えているのは全体の一部ですけど、何の絵柄か分かりますね。
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 全体像です。
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 顔の右上と左下に貼ってある「優良」「伝」のシールを剥がしてから撮れば良かったです。
 相変わらず仕事がハンパで。(^_^;

 アマビエ本体の絵柄は、京都大学図書館に所蔵されている瓦版の絵をかなり忠実に生かしています。
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 この手ぬぐい全体のデザインは、ぐんまちゃんの生みの親である中嶋史子さんの手になるものだそうです。
 それを知り、「おお!」と思って、思わず買ってしまいました。(^_^)

 この手ぬぐいは「注染」という方法で染められています。このような解説がありました。
Amabie_tenugui03

 群馬でアマビエ関係の製品というと、この手ぬぐいの他に、以前ご紹介した卯三郎こけしのものがありました。
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 群馬の伝統工芸の会社、頑張っていますね。両社とも、以前からネット通販のシステムも拡充していました。
 大事なことと思います。

2020年6月26日 (金)

『グラフぐんま』終刊

 今日はまた仕事で前橋に行ってきました。
 で、また、恒例により、県庁2階の県民センターへ。
 そこで販売している『グラフぐんま』が終刊とのことです。
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 時々買っていた雑誌ですので、終刊は寂しいです。

 区切りとしては、年度末の3月号で終刊というのがしっくりきますけど、4月号が終刊号になります。
 年月日順に並んでいる万葉集の末4巻の最後が元日の歌で終わっているのを思い出しました。(^_^;

 終刊号を飾る表紙の写真は群馬県庁舎です。
 全国の県庁舎の中で最も背が高いのだそうです。バブルの時代の産物です。
 東京都庁舎の方が高いのだそうですが、あれは都庁であって、県庁ではないので、県庁舎の中では日本一なのだと中山秀征が言っていました。

 最初のページに、終刊についての挨拶が載っていました。
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 54年も続いた雑誌なのですね。

 ここには終刊に到った理由も書いてありませんし、今までこの雑誌の担っていた機能を何が代替するのかも書いてありません。
 何でしょうね。
 出版不況ということは特に関係ないと思います。
 県内の銀行や郵便局に行くと、この雑誌が閲覧用に置かれていたりします。
 県政のPR用の雑誌ですので、たくさんの県民に読んで貰うことが第一義で、この雑誌の販売で収入を得ることは重視していないと思われます。

 過去の表紙が何冊か紹介されていました。
Graphgunma202004c
 植樹祭に際して天皇陛下が来県されたことや、オリンピックで女子ソフトボールチームが優勝したことなどが表紙の写真になっています。上野投手など、ソフトボールチームの中に県内企業に勤務する選手が含まれていたことに依ります。

 行きの新幹線や、帰りの上野東京ラインは空いていましたが、京浜東北線はそこそこ混んでいて、以前の同時間帯の混み具合の7~8割くらいにはなっていました。

 帰宅して玄関のドアを開けたら、雑々としたものが大量に散乱していました。
 留守中に賊が侵入したわけではなく、積み上げていたものが起こした雪崩でした。
 ドアが外開きだったのは幸いでした。内開きだとドアが開かなかった可能性も。(^_^;
 片づけねば。

2020年6月25日 (木)

ぐんまちゃんの歴史

 前にも書きましたように、meetによる演習の途中に短時間の中休みを入れています。
 一昨日は、ぐんまちゃんグッズの写真を見て貰いました。
 そうしたところ、ぐんまちゃんに興味を持った学生がネットを見て、初代ぐんまちゃんの存在を知ったということです。
 そんなことをリアクションペーパー代わりのメールに書いてくれました。
 他県出身の2年生ですので、群馬に来てまだ1年。ぐんまちゃんのことをあまりよく知らなかったのでしょう。
 3人いる2年生は全員他県の出身者です。来週の中休みではぐんまちゃんの歴史を語らねば。(^_^)

 ということで、ぐんまちゃんのあゆみを年表にしてみました。字が小さくてすみません。
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 昭和58年(1983)、群馬県で開催された国体(あかぎ国体)のキャラクターとして初代ぐんまちゃんが誕生しました。
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 作者は、漫画家の馬場のぼるさんです。

 平成6年(1994)、群馬県で開催された全国知的障害者スポーツ大会(ゆうあいピック)のキャラクターとしてゆうまちゃん(現・ぐんまちゃん)が誕生しました。
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 キャラクターデザインは公募で、中嶋史子さんの作が採用されました。中嶋さんは、プロのイラストレーターを経験した後、群馬県の職員になった人です。上の写真は当時のものではなく、ぐんまちゃんがゆるキャラグランプリで優勝した時の『グラフぐんま』に掲載されたものです。

 平成8年(1996)、ゆうまちゃんは全国スポーツ・レクリエーション祭(スポレク)のマスコットを務めました。
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 初代ぐんまちゃんは最初の契約内容の関係で、馬場のぼる氏が描いた2つのポーズしか使えなかったのですが、ゆうまちゃんは最初から様々なポーズを取れるような契約だったようで、上のカードのように、様々なポーズをしています。
 かわいらしい姿に加えて、こうして露出を増やし、ゆうまちゃんは着々と知名度を上げてゆきました。
 それにつれて、ゆうまちゃんが「ぐんまちゃん」と呼ばれることも次第に増えていったようです。

 平成20年(2008)、東京の銀座に群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家(ち)」がオープンし、これに伴い、ゆうまちゃんは「2代目ぐんまちゃん」を襲名しました。
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 確かに、群馬県のアンテナショップの名称として「ぐんまちゃん家(ち)」というのは極めて明快です。「ゆうまちゃん家」ではどこのアンテナショップか分かりません。
 上の写真は後年のものですが、このように歌舞伎座の真ん前という絶好の立地でした。ただ、残念なことに、平成30年に同じ銀座ながら別の場所に移転してしまいました。歌舞伎座の前では立地が良すぎて、家賃が高価だったようです。

 平成24年(2012)、ぐんまちゃん、群馬県宣伝部長に就任。県の部長といえば大幹部です。
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 写真は当時のものではなく、今年、ぐんまちゃんから貰った年賀状に使われていたものです。部長らしく、ちゃんと決済書類に押印しています。

 平成26年(2014)、ぐんまちゃん、ゆるキャラグランプリ優勝。2年間3位が続いた後、はれて優勝しました。
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 2代目ぐんまちゃんは、ゆうまちゃん時代も含めて26年のキャリアを持っています。7歳ですけど。
 年表にも載せましたように、ひこにゃんが2006年、くまモンが2010年の生まれですので、ぐんまちゃんはそれらの大先輩に当たります。

 今後もますます活躍して欲しいです。

2020年6月24日 (水)

演習の履修生からの質問(3)

 昨日はまたmeetによる演習の日でした。
 この授業は万葉集の概説からはじめましたが、このブログでもご披露していますように、学生さんからあれこれ質問が寄せられ、次の回でそれについて説明していますので、概説がなかなか終わりません。

 ただ、演習ですので、前々回からは学生さんの発表も並行して行っています。
 発表の方法は、分担を決めて順番に行うのではなく、全員に同じ課題を出して、毎回全員に発表してもらうという形式です。恩師O先生のやり方ですが、私がこの方法をとるのは教員になってから今回が初めてです。新型コロナの影響です。(^_^)

 前回の課題は、万葉集の3399番歌「信濃路は今の墾り道~」の歌について、「万葉集校本データベース」で本文異同を調べ、そこに載っている諸注釈の口語訳を整理し、考えなさい、というものでした。この歌、4句目が元暦校本だけ「足踏ましなむ」、他の諸本は「足踏ましむな」です。どちらの本文に依るかで全体の解釈も変わってきます。

 図書館が自由に使えれば、諸注釈に載っている語釈も参照できますし、当然そうすべきものですが、今はそれが叶わないので、口語訳だけを丁寧に読んで考えることになります。苦肉の策ではありますが、口語訳の比較だけでも意味はありそうです。

 ちょっと難しすぎる課題だったと思いましたが、リアクションペーパー代わりのメールに、「1つの歌について調べて解釈をするというのは、ただ原文を読み訳を見て理解するのではなく、原文から調べて自分なりの解釈を見つける、ということなのだなと今回の課題発表で改めて思いました。」という感想を寄せてくれた学生がいました。2年生です。

 そのように思ってくれたのならば、課題の目的は十分に達せられたと思います。

 学生の発表が終わった後、5句目の「沓履け我が背」の「け」の仮名について、四段活用動詞の命令形、下二段活用動詞の命令形で「け」の甲乙が異なるという話をしました。これなどは、諸注釈の口語訳からは全く読み取れないことです。
 それに関して、「(今までは甲乙のことがピンときていなかったが、)今回、活用形の違いが解釈の参考になることを知って、とても納得することができました」という感想を寄せてくれた学生がいました。これまた幸いです。甲乙のこと、もう少し補足しようと思いました。また概説が増える。(^_^)

 同じ学生が、このような質問も書いていました。

  >信濃路の歌ですが、「しなのち」も「かりはね」も「わかせ」も、全ての訓みが僻案抄のあたりで濁点付きに変わっていました。
  >(奈良時代は濁点、半濁点は認識されていなかったと記憶しています。)
  >これは、僻案抄がつくられた江戸時代あたりから、音韻の自然さをふまえた訓みをつけるようになった、ということでしょうか。

 ( )内の「濁点」「半濁点」というのは「濁音」「半濁音」のことでしょうかね。そうだとすると、次回説明しなくてはなりません。
 それはともかく、この質問は、「万葉集校本データベース」では、万葉集の諸本や、仙覚抄、拾穂抄、代匠記あたりまでの諸注釈では訓に濁点が付いていないが、僻案抄以後の諸注釈では濁点が付いている、ということに着目しての質問です。

 言われてみれば確かに3399番歌についてはそうなっています。恥ずかしながら、いつ頃から濁点を付けるようになってきたのかということは考えたこともありませんでした。「万葉集校本データベース」では、諸注釈それぞれの訓が濁点まで正確に反映されているかどうかの確認が必要ですが、調べてみないといけませんね。

 また私の宿題が増える。
 そして、またわが身の恥をブログにさらしています。(^_^;

 今年の演習は大変に私の勉強になっています。
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2020年6月23日 (火)

オリヅルラン、活溌に開花

 地植えにしていたオリヅルラン、元気にランナーを伸ばし、花も咲き、子株も付けています。
 やはり、鉢植えよりも地植えの方が活溌な気がします。
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 花のアップ。
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 花がたくさん写るように、1枚目の写真では柱の後ろに伸びていたランナーを、前に引っ張り出しました。(^_^)

 1枚目の写真にたくさん写っている葉は露草です。思い切り繁茂しています。
 5月26日に、今年初めて露草を見たことを書きましたが、その後、花を1輪、2輪見ることはありますが、まだたくさん咲いている日はありません(私が寝坊しているせいもあるかと思います)。咲き誇るのはもう少し先になりましょうか。

2020年6月22日 (月)

「田子の浦ゆ」の歌の訓の校異

 meetを使って実施している演習で、前回提出されたリアクションペーパーの中に「後世の人が元の表記を誤りと認識して書き直してしまうことがあるとのことですが、具体的にどのようなものがあるのか少々気になりました。」という質問がありました。

 どういうことかといいますと、万葉集の書写に際して、ケアレスミス等による誤写の他に、書写者の賢しらによって成された意図的な改変もある、といった話を前回の授業でしました。それを受けての質問です。

 まだ2年生の学生です。ディスプレイ越しの授業ですが、話をちゃんと聴いて、自分で考えて、疑問点を質問しています。
 とても良いです。

 さて、質問について。
 これまで万葉集の本文異同を調べているときに、こういった事例に時々遭遇していたのですが、メモも取っていないので、いざそういう例を示せと言われると、なかなかすぐには揃えられません。(^_^;

 それでも、自分で校異を整理している東歌・防人歌の中からいくつかを示すつもりです。

 質問とはちょっとズレますが、百人一首にも載っている赤人の富士山の歌の本文異同がどうなっているのか、ふと気になって調べてみました。

 原文についての本文異同ではなく、訓について異同がありましたので示します。
 画像は「万葉集校本データベース」(https://www.manyou.gr.jp/)の順序を変えて切り貼りしました。
 そういうものをブログに貼って良いかどうか迷いましたが、学術的な引用ということで。

 万葉歌と現在の定訓は以下の通りです。

  田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留(巻三・318)
  田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける

 この歌は新古今集に採られていて、百人一首も新古今集から採っています。

      だいしらず                   赤人
  たごのうらにうち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪はふりつつ(新古今集 巻六・675)

 第一句目。
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 「たごのうらに」としている本が多いですね。新点本の中では、寛元本の神宮文庫本が「ユ」なのに文永本の西本願寺本は「ニ」ですね。仙覚は最初「ユ」としたのを後に「ニ」に改めたのですかね。ただ、神宮文庫本の「ユ」は、もとの「ニ」に1画加えて「ユ」に変えたようにも見えます。寛永版本は寛元本の系統なので「ユ」なのでしょう。広瀬本は最初の「ニ」を寛永版本によって「ユ」に改めたのかもしれません。

 第三句目。
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 次点本の類聚古集「しろたへの」、紀州本「シロタエノ」ですね。西本願寺本は青で「マシロニソ」とあるので、仙覚の改訂訓です。神宮文庫本はいろいろ消して、最終的に左側の「マシロニソ」という異本注記に落ち着いたのでしょうか。広瀬本は「シロタヘノ」をやはり寛永版本で「マシロニゾ」と訂したのかもしれません。

 第五句目。
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 類聚古集は、漢字本文は「家留」なのに、訓は「つゝ」という無理筋の状態になっています。他の本はさすがに「ケル」ですね。紀州本には左側に「ツヽ」の訓も付いていますけど。

 ということで、諸本の訓は新古今集の訓に近いということが分かりました。

 ただ、新点本は新古今集の影響を受けている可能性がありますけど、類聚古集の成立は新古今集よりも前ですよね。
 どうなんでしょ? と思って、国歌大観でこの歌を探してみました。

 新古今集以前の文献にもこの歌は載っていました。

  ・田子のうらにうち出でてみれば白妙のふじのたかねに雪ぞふりける(五代集歌枕550)
  ・たごの浦にうちいでてみればしろたへのふじのたかねにゆきはふりつつ(和歌初学抄146)

 類聚古集は藤原敦隆の編。敦隆は保安元年(1120)没なので、それ以前の成立です。五代集歌枕も和歌初学抄も、成立は12世紀半ば頃ということで、類聚古集よりも後です。

 とすると、類聚古集の訓は新古今集などとは全く関わりなく、そう訓まれていたということになります。ひょっとするとこの訓は古点にまで遡るのでしょうかね。

 などと考えました。

 このあたりのことに詳しい方からすれば、何を今さらこんな初歩的なことを……。と思われそうです。(^_^;
 全くの初心者なので、また恥をさらします。(^_^;

2020年6月21日 (日)

羽毛ゴミ・図書館・水草

 先日、解体した羽毛布団を可燃ゴミとして出そうとしたら、粗大ゴミだとして拒否されてしまいました。
 拒否された理由を考えるに、ゴミ袋が破れると羽毛が散乱する怖れがあるからではないかと思いました。
 そこで、羽毛ゴミを他のゴミで包み込むようにしてみました。
 昨日の朝、それを出してみたら、無事に持っていって貰えました。♪
 ま、外から見る分には、中央部分に羽毛ゴミがあるとは分からないせいかもしれません。(^_^;
 ともあれ、幸いでした。懸案が1つ片づきました。

 午後は1駅先の区立図書館に行きました。専門書はあまりないのですが、見たい本がありまして。
 そうしたら、書架は全て封鎖してあって、本は手に取れない状態でした。
 新型コロナウイルスの感染予防対策と思います。迂闊でした。
 本を手に取ることができないのに開館しているというのも不思議ですが、ネットか電話で予約していれば本を借りられるのかもしれません。
 カメラもスマホも持って行っていなかったので、書架封鎖の有り様を撮すことはできませんでした。
 ま、そんなところを撮していたら、係の人に睨まれたかもしれません。(^_^;

 せっかく1駅先まで行ったのに、無駄足になってしまいました。
 そこで、ふと思い出しました。この近くにアクアリウムショップがあったのでした。
 先日取替えたぶくぶく、快調です。細かな気泡がたくさん出ています。
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 金魚も快適なのか、益々食欲旺盛で、水草はこんなになってしまいました。
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 水草を入れ替えてから1週間もちません。早すぎ。

 そのことをふと思い出して、そのお店に行くことにしました。
 水草は、普段は電車を乗り換えて、決まったお店で買っています。文字通りの金魚屋さんです。
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 でも、図書館近くのアクアリウムショップにも何度か行ったことがあります。
 といいますか、金魚が暮らしている水槽はこのお店で買ったものです。
 ということで、水草を買ってきました。
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 水草の値段は、金魚屋さんよりもアクアリウムショップの方が3割くらい高価です。
 どうでしょ? いつもの水草よりも高級そうでしょうか? (^_^)

 ゴハン時だったのに、ゴハンよりも先に写真を撮っていたら、「ゴハン!」と催促するかのように騒がれました。
 暴れると水が飛びます。
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 もう、しょっちゅうです。元気いっぱいで嬉しいですけど。

 先日来の恒例により、また上から。
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2020年6月20日 (土)

八木原駅駅舎、建て替えへ

 当ブログをご覧くださっている皆様には、どうでもよいようなローカルすぎる話題です。
 すみません。(^_^;

 今日のネット版の上毛新聞によれば、JR上越線の八木原駅の建て替えに向けて、渋川市とJR側とが基本設計の協定を結ぶ予定とのことです。
 八木原駅というのは、渋川駅の1つ南の駅で、私の渋川の家の最寄り駅です。
 駅周辺はこのようになっています。
Yagihara_map
 わが家は駅の東側にあります。そして、駅の改札は駅の西側にしかありません。電車に乗るには線路を渡って西側に行かねばなりません。線路を渡る踏切は駅の北と南とにあり、どちらかを利用することになります。

 家を出た後、駅の東(地図の右)から駅に向かい、北回りの赤いルートを通って線路の西側に渡るか、南回りの青いルートを通って線路の西側に渡ることになります。どちらも結構遠回りなため、遅刻するか否かを左右しかねません。
 本当はいけないのですが、赤い点線を通ったこともあります。そんなところを通っては本当にいけません。

 新聞記事に依れば、今回の計画は、線路の東西を結ぶ自由通路と東西両側の駅前広場、東側のアクセス道路を整備するとのことです。
 駅内または駅のごく近くに東西を結ぶ自由通路が設置されれば、駅の東側に住んでいる人達はずいぶん便利になることでしょう。

 私個人について言えば、渋川の家は今年中にも撤収しようと思っていますので、残念ながら、この恩恵にはあずかれません。

2020年6月19日 (金)

萬葉学会の大会も不開催

 今日、萬葉学会からの郵便が届きました。10月17日・18日に奈良県三郷町で開催予定の萬葉学会全国大会は不開催とのことです。
 早速、萬葉学会のHPを見に行ったら、そこにも載っていました。
2020manyo_chushi
 画面右下にあるように、6月7日付けで載っていたのですね。数日前に論文のバックナンバーをダウンロードしようとアクセスしたのですが、気づきませんでした。

 去年の大会で、次回の会場は奈良県の「さんごうちょう」と言われて、恥ずかしながら「はて、どこだろ?」と思ってしまいました。
 漢字で「三郷町」と知って、何となく位置が分かりました。龍田のあるところですね。
 先日の『ならら』の特集が龍田でしたので、大会ついでに探索しようと思っていました。
Narara202006

 日程が10月と、まだ少し先ですけど、執行部としては、やはり早めの決定をしなくてはならなかったのでしょうね。
 悩ましい判断だったことと思います。
 今日届いた手紙には「秋になる頃に今回の決定を悔いることを願っております」とありました。
 本当にそう思います。

 これで、
  5月23日・24日 上代文学会(関西大学)
  6月6日・7日 全国大学国語国文学会(東京学芸大学)
  7月4日・5日 美夫君志会(中京大学)が中止になり、
  6月20・21日 古事記学会(宮崎市)は12月に延期になりました。

 今年は仕方がないですね。

 4月19日の高校の同窓会も中止になりました。卒業50周年だそうです。
 「え~?」と思って、計算してみましたが、合っているようです。(^_^;
 少年老い易く、学成り難し。
 でも、まだ頑張ろう。

2020年6月18日 (木)

大正九年、群馬県の「流行性感冒予防注意書」

 しばらく前、群馬県立文書館のフェイスブックに「流行性感冒予防注意書」という1枚紙の文書が載っていました。大正九年一月二十一日付、日本赤十字社群馬支部発行の書類です。
T09kazebunsho
 100年前のスペイン風邪への対応ですね。

 標題の「流行性感冒予防注意書」には「はやりかぜのふせぎかた」(濁点は補いました)というふりがなが付いています。
 このふりがなは、漢語では難しいと思われる人に対して、和語を用いた分かり易い解説といった趣旨なのでしょう。

 現代では、「流行性感冒」に「はやりかぜ」というふりがなを付けることはないでしょうが、古代において、漢字や漢語に付けた「訓」というのは、日本における「意味」、いわば「訳」ですから、それと照らせば、「はやりかぜ」という訓はいわば一種の熟字訓として位置づけられそうです。
 「予防注意書」に付けられた「ふせぎかた」というふりがなは、さらにその上をゆきそうです。

 文書全体に総ルビが施されています。その中には現代と同様のふりがなと、「はやりかぜのふせぎかた」風のものと、両方あります。

 大きな箇条書の一番は「伝染の仕方」で、ふりがなは「うつりかた」。二番は「容態」で、こちらは「ようだい」です。「容態」は和語に置き換えなくても、そのままで十分に理解できると考えられたのでしょうかね。

 「一、伝染の仕方」の本文は以下の通りです。( )内にふりがなを示します。

 流行性感冒(はやりかぜ)の毒(どく)は其(その)の病人(びやうにん)の痰(たん)や唾液(つば)の中(なか)にあり空気(くうき)を介(なかだち)して鼻(はな)及口(くち)から伝染(うつり)します

 全体をざっと見ますと、病人、医者、頭痛、肺炎、心臓麻痺、石鹸液、硼酸水、療養、注射、学校、汽車、電車、馬車、相談、肝要、掃除などには現代と同様のふりがなが付いています。

 一方、関節痛(ふしぶしのいたみ)、倦怠(だるいこと)、食気不振(くいもののまづきこと)、咽頭痛(のどのいたみ)、就床(とこにつき)、肺結核(はいびやう)、養生(てあて)、消毒薬(どくをけすくすり)、静養(ちからをつけ)、恢復(なをつた)、巡査駐在所(けいさつかんのうち)などは、訳語に近い感じです。
 ま、訓というものの本質は訳語なわけですけど。

 私は、大正時代の文書を見る機会が普段ありませんので新鮮に感じました。日頃から見ていらっしゃる方には珍しくもないことかもしれませんが。

 内容的には、「四、予防の仕方」の中の「二」に「マスク(口覆)を用いなさい」という項目があります。「マスク」という語も使われてはいたのでしょうが、念のための「口覆」という説明でしょうか。
 その下の「イ」に「マスクの見本は巡査駐在所や学校や役場にありますから可成(なるべく)自分で造りなさい」とあります。マスクは市販もされていたのかもしれませんが、自作が一般的だったのでしょうかね。

 「四、予防の仕方」の中の「四、其他の数々」の「イ」に「夜遊は此際中止(およしなさい)」とあるのは、今と通じそうです。

 あれこれ興味深い文書です。

2020年6月17日 (水)

ぶくぶくを交換

 金魚の水槽のエアストーン(ぶくぶく)の、空気の出が悪くなりました。目詰まりを起こしたのでしょう。
 たわしでこすってもあまり改善しないので、新しいのを買いました。

 届きました。
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 意外なほどの大きな箱です。文庫本は大きさの比較のために載せました。

 開けると、中にはパッキングがたくさん。
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 パッキングをどけました。
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 中身はこれだけ。
 ま、対角線の大きさは適正ですので、問題は高さということになります。
 大きい方が紛失しにくいと思いますので、大きすぎる箱にもプラス面はありますけど、でもちょっとね……。

 新しいぶくぶくは金魚にもきっと良いと思います。
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 今日は水替えを予定していましたので、そのついでにぶくぶくも替えました。
 泡の大きさが今までよりも劇的に細かくなり、良い感じです。
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 水温29度。金魚は相変わらず元気で、食欲旺盛です。
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 ゴハンを食べようと、思い切りバシャバシャやるので、水槽の外にも水が飛びます。
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 でもかわいい。(^_^)

 上から。
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 有機物の分解には酢が有効だということなので、今まで使っていたぶくぶくはお酢に漬けてみます。
 それで復活できるかもしれません。
 使うときには、よくゆすがないと、金魚から「何だ何だ、なんか酸っぱい気がする」と言われそう。

2020年6月16日 (火)

『令和万葉集』作品募集中

 今日もmeetでの演習。無事に済みました。
 リアクションペーパー代わりのメールの中に、「令和万葉集」に応募することを考えているという学生さんがいました。

 「はて?」と思ってググってみました。

 来年の春、KADOKAWAから『令和万葉集』という本が刊行されるそうです。
Reiwamanyo
 この本は、『万葉集』 から100のテーマと100首を選定し、それと呼応する近現代の秀歌を800首、そして一般公募から100首を選んで計1000首を収載する予定だそうです。

 監修は中西進氏(『万葉集』の選歌も担当)と永田和宏氏。
 そのほか、現代を代表する12名の歌人が近現代秀歌800首の選歌と一般公募100首の選歌を担当します。一般公募の募集期間は3月25日(水)~7月10日(金)です。

 募集要項等はこちら

 その学生さん、短歌を作っているとは知りませんでした。是非応募して欲しいです。
 私は、「上野三碑かるた」には応募しましたが、短歌はダメです。残念です。

2020年6月15日 (月)

ゴミ出しに再挑戦

 先日、羽毛布団を解体して可燃ゴミとして出そうとしたら、これは粗大ゴミだということで却下されてしまいました。
Sodaigomi01
 なぜ粗大ゴミになるのか分かりません。

 分からないながら、わが区では、粗大ゴミは1辺がおよそ30cm以上のものということなので、それ以下のサイズの袋に詰め直してみることにしました。

 スーパーのレジ袋、いっぱいあります。
Sodaigomi03
 昔は、スーパーで商品をレジ袋に入れてもらうのが当たり前でしたので、私もそうしていました。
 でも、スーパーで商品を入れて貰ったレジ袋をそのまま捨ててしまうのはもったいないので、取っておいてゴミ出しなどに使っていました。

 やがて、環境保護のために、マイバッグが推奨されたり、レジ袋を辞退するとポイントが貰えたりするようになりました。有料化もされます。
 そういう次第で、もう大分前から、基本的にレジ袋は貰っていません。
 ゴミは、基本的に45リットルのを使っていますので、溜め込んでいたレジ袋が減りません。
 そのレジ袋にやっと出番が来ました。(^_^)

 昨夜、入浴前に、風呂場で羽毛の詰め替えをしました。裸でです。(^_^) 作業が終わって、そのまま入浴し、頭も洗いました。
 2度目ともなると、だいぶ手順が良くなりました。羽毛も浴室外にはあまり飛び散らなかったと思います。

 その小袋を大きなゴミ袋に詰めました。これがもう1袋あります。
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 これ、どうでしょうね。前回のと本質的には違わないような気がします。
 小分けにしても羽毛は羽毛だということで、また却下されそうな気もします。

 そこで、隠蔽工作をすることにしました。
 外側から見える場所には、ポストに入れられていたチラシなどを。
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 上からは、枯れ葉や、枝葉シュレッダーで粉砕した枝葉などを。
Sodaigomi06

 これで羽毛が入っているとは思われないでしょう。
 何となく後ろめたい気はします。でも、中央部に不燃ゴミを入れ、周辺部に可燃ゴミを入れて、全体を可燃ゴミに見せかけるというのとは違いますからねぇ。全部ちゃんと燃えますし。

 前回、なぜ持っていって貰えなかったのか、あちこちのサイトを見ていったら、こういった記述を見つけました。

 羽毛布団をゴミとして出す場合に、「切断するのはダメ?」という項目です。こうありました。

  >自治体にもよるが、枕や綿布団など一部の粗大ゴミは切断して小さくすれば可燃ゴミや不燃ゴミとして出せる場合がある。
  >しかし羽毛布団を切断すると中身の羽毛が飛び散ってしまい、周囲を散らかしてしまうおそれがあるので、
  >羽毛布団は切らずに小さく折りたたみ、ひもでしばってゴミに出した方がいい。

 なるほどです。そういうことなら理解できます。
 前回出そうとしたときは、羽毛を直接ゴミ袋の中に入れていました。あの状態だと、もしも袋が破れたりすると、あたり一面大惨事になる可能性がありますね。羽毛の恐ろしさは身を以て感じています。(^_^)

 今回、目的は違うものの、羽毛を何重にも包んだことになりますので、羽毛が飛び散るリスクはかなり小さくなるでしょう。
 とりあえず1袋だけ出してみることにします。

2020年6月14日 (日)

演習の履修生からの質問(2)増訂

 先週の火曜日に、「演習の履修生からの質問(2)」という記事を載せました。
 この日の演習の授業(meetで行っています)の終了後、学生さん達から寄せられたリアクションペーパー代わりのメールに書かれていた質問と、それに対する私の答とを、そこに載せました。

 私の答は、質問に対して折り返し書いて送信したもので、甚だ不十分なものでした。そういう不十分なものを、そのままブログに載せたり、ツイッターにまでリンクしてしまって、世界に発信してしまいました。(^_^;

 おかげ様で、ブログには筒井茂徳先生からご教示をいただき、またツイッターには小松靖彦先生からご教示をいただきました。大変にありがたく存じています。

 質疑応答のうち、もっとも不十分だったのが以下のものです。

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D.仙覚以降、江戸時代になるまでの間は詳しい万葉集研究はされていなかったのでしょうか? 国学者による古典研究がはじまるまでは万葉集の研究がされていなかったのか気になりました。
 平安時代の作品には万葉集を本歌取りした歌もあるようですが、鎌倉以降はあまり歌人の関心は万葉集に寄せられなかったのでしょうか。
 和歌の中での万葉集の立ち位置について少し気になりました。

d.仙覚から江戸時代までの間に、著名な万葉集の注釈書はありませんが、著名でなくても、全くないのかどうか、少し調べてみます。万葉集の書写は行われています。
 古今集以降の勅撰集の中に万葉歌を載せたものがあります。八代集それぞれについて、何首くらい万葉歌が載っているのか、そんなリストがありそうに思います。捜してみます。
 歌によく読まれる地名を「歌枕」と言い、平安末期以来、歌枕集がいくつも作られています。そんな中に、万葉集の歌を引用したものがあり、どのくらいの万葉歌が引用されているのか、そんなあたりも興味深いです。
 基本的には、歌人たちの関心は勅撰集にあり、万葉集にはあまり注意が向かなかったのではないかと思います。
------------------------------------------------------------------

 どうも、平安・鎌倉以降の万葉集(受容史・享受史・研究史)にはあまり関心がなく、このような回答しか書けなかったことを恥じ入ります。

 小松先生のご教示や、『古文献所収 万葉和歌集成 平安・鎌倉期』(渋谷虎雄。桜楓社。昭和57年)を参照して、このような回答を書いてみました。

d2.『古文献所収 万葉和歌集成 平安・鎌倉期』によれば、八代集に収載されている万葉歌は以下の通りです。

  古今集(905年):17首
  後撰集(958年頃か):25首
  拾遺集(1006年頃):123首
  後拾遺集(1086年):なし
  金葉集(1126年):なし
  詞花集(1151年頃):なし
  千載集(1188年):なし
  新古今集(1205年):63首

 歌集によって差があるのは、それぞれの編纂方針の違いなどによるのでしょう。

 また、同書の中から、多くの万葉歌を収録、引用、注釈している文献を抜き出してみました。歌数は万葉歌の数です。

  古今和歌六帖(私撰集。976以後):1192首
  俊頼髄脳(歌論書。源俊頼。1112年頃):69首
  綺語抄(歌語の注釈書。藤原仲実。1110年前後):492首
  奥義抄(歌学書。藤原清輔。1140年前後):112首
  和歌童蒙抄(歌論書。藤原範兼。1145年頃):445首
  五代集歌枕(歌枕書。藤原範兼。12世紀中頃か):1024首
  和歌初学抄(歌語の注釈書。藤原清輔。12世紀中頃か):124首
  万葉集抄(万葉集の注釈書。藤原盛方か。平安末期):173首
  袖中抄(歌語の注釈書。顕昭。1186年頃):488首
  古来風体抄(歌論書。藤原俊成。1197年初撰、1201年再撰):194首
  和歌色葉(歌論書。上覚。1198年):92首
  万物部類倭歌抄(歌論書。藤原定家。1209年):387首
  定家八代抄(秀歌集。藤原定家。1215年頃):100首
  顕注密勘(古今集の注釈書。藤原定家。1221年):120首
  八雲御抄(歌論書。順徳天皇。1221年以後):95首
  色葉和難集(歌論書。作者不明。1236年頃か):327首
  万葉抄出(秀歌集。藤原定家。1241年以前):151首

 『古今和歌六帖』には万葉歌が1192首収録されています。1192首というと、万葉集全体の1/4にもなりますね。かなりの数です。
 八代集の中で『拾遺集』に一番多くの万葉歌が収録されていること、また『古今和歌六帖』に多くの万葉歌が収録されていることについては、一昨年の万葉古代学シンポジウムで、池原陽斉氏が梨壺の五人による古点の成立が大きな意味を持っているのではないか、との指摘がありました。

 鎌倉時代の仙覚から江戸時代の下河辺長流に至るまでの間に著された万葉集の注釈書には次のようなものがあります。

  由阿『詞林采葉抄』(1366年以前)
  二条良基『万葉詞』(1375年)
  宗祇『万葉集抄』(1482年以前)

 平安時代にはまだ本格的な万葉集の注釈書はないといって良いと思います。ただ、歌論書の中に万葉歌を引いたものがあり、『五代集歌枕』では万葉・古今・後撰・拾遺・後拾遺という5つの歌集から歌枕を拾っていて、万葉集からも1000首以上の歌を収録していますので、万葉集も重んじられています。

 梨壺の五人による古点を承けて万葉集が読みやすくなり、仙覚による本文校訂と注釈の仕事を承けて由阿や二条良基、宗祇に繋がっていったように思います。
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2020年6月13日 (土)

インフル予防ぐんまちゃん

 用があってハードディスクの中を探していたら、このような画像が見つかりました。
Gunmac_influ
 インフルエンザの予防についての解説で、タイムスタンプは2013年2月13日です。
 よく読んでみると、今回の新型コロナウイルスの感染予防策とそのまま重なります。
 今から7年前のものなのに、群馬県はエラい、ぐんまちゃんもエラい、と思いましたが、別にそういうわけではなくて、感染症予防の基本は昔から一緒なのですね。

 図の3にマスクの付け方についての注意が書いてあります。
 先日のNHKの「ガッテン!」でマスクの裏表について取り上げていました。
 なるほどと思い、昨日のマスクをしたままの講座では、マスクの裏表に気を付けました。
 上下もあったとは。(^_^)

 きちんと考えて作られている道具は、その機能を十分に発揮できるように使いたいものと思います。

2020年6月12日 (金)

2ヶ月半ぶりの講座

 今日は前橋で講座の日でした。
 3月27日を最後に、4月5月は休講で、今日は77日ぶりでした。
 家を出る間際にこの本が届きました。
Kobunkenmanyo
 遠隔授業で行っている演習の授業で、学生さんから、中古・中世における万葉集についての質問がありましたので、それを受けてこの本を買いました。サイトの「日本の古本屋」経由で、西秋書店からです。
 この本、もとの勤め先の研究室には持っていたのですが、個人では買っていませんでした。
 家を出る前に届いて幸いでした。不在再配達は申し訳なくて。
 そこそこ重い本ですが、早く中を見たくて、リュックに入れて家を出ました。
 新幹線の車中で早速開いてみました。平安・鎌倉時代のどの文献にどんな万葉歌が載っているのか、手に取るように分かります。
 ものすごい労作と思います。この本も桜楓社なんですよね。

 前橋では、恒例により、県庁を覗いてみました。県庁舎内に入る人は、全員遠隔で体温測定するようになっていました。
 無事に関門を通ることができました。

 ぐんまちゃんスタジオのバックが変わっていました。
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 右側の枠にこういう焼き印がありました。
Gunmac_r020612b
 群馬県産の檜を使って作ったのですね。

 マスク着用で90分話をするのはなかなか大変でした。
 声がくぐもってしまうので、声を大きくして、発音も明瞭に。
 普段よりも疲れましたが、マスクのお陰で、のどが渇いて痛くなることはありませんでした。

 無事に講座を終えて、帰京しました。

 いつものスーパーに寄ったら、珍しくサーロインステーキ重がありました。これおいしいんですよ。
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 このスーパーのゴハンは、400円弱、500円弱の品が多い中で、これは698円で、お高いんですけど、見かけるとつい買ってしまいます。(^_^;

 帰宅後は、自分の夕飯より先に、金魚のお世話。
 水草が食べ尽くされてしまいましたので、先日買っておいた新しいのを入れました。
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 ほんと、水草の消耗が早いです。

 正面顔もかわいい。
Kingyo_r020612b

 明日は可燃ゴミの日です。
 持っていって貰えなかった羽毛を小袋に入れ替えるなら今夜ですけど、もう疲れたので、また後日。

2020年6月11日 (木)

粗大ゴミ扱いは納得できない

 家に不要な布団やマットレスがあります。
 これを廃棄したいのですが、粗大ゴミとして出すのは面倒そうです。
 ふと、これを解体して小さくすれば良いのではないかと思い立ちました。
 
 まずマットレスがうまくいったので、次は羽毛布団を解体することにしました。
 この解体はかなり厄介なことになるだろうと想像できましたので、浴室を閉め切り、換気扇を回して作業しました。
 浴室で作業というのは最適解と思います。他の部屋だったらエライことになっていました。
 ただ、まだ考えが足りませんでした。服を着たままでしたので。(^_^;
 途中で全部脱ぎました。そして、マスクもしました。←遅い。
 洗い場が羽毛の海になりましたが、何とかゴミ袋に収めることができました。
 家の中じゅう、「あ、こんな所にも」というほど、微細な羽毛が散っていましたが。

 昨日の朝、羽毛を詰めたゴミ袋2つを出しました。
 ほっとしました。今度はどの布団を解体しようかと思いました。

 午後に外出して帰宅途中、ゴミの収集場に見覚えのあるゴミ袋が2つ残されているのが目に入りました。
 朝、私が出したゴミ袋でした。驚いて持ち帰りました。
Sodaigomi01

 このような紙が貼ってありました。
Sodaigomi02
 粗大ゴミとして出せということですね。なぜ?

 1辺が30cm以上のものが粗大ゴミとなります。
 だから、布団そのままでは当然粗大ゴミです。
 薄手の夏掛けのようなものならば、無理やり圧縮すれば45リットルのゴミ袋に入るかもしれません。
 でもダメでしょうね。このゴミ袋自体が1辺30cmを越えていますので、やはり粗大ゴミになると思います。
 布団の表皮を剥いで、綿の固まりにした場合は微妙でしょうか。もとは布団だからダメ、という理屈は立つかもしれません。

 でもね、この袋の中身はミリ単位、10ミリ単位の微細な羽毛です。それでもダメなんですかねぇ。
 粗大ゴミと言われるのは、なんか納得できません。微細ゴミの集合体なんですけど。
 今までまじめに生きてきたのに、こんな犯罪者扱いをされて、ショックでした。

 さて、解決策としては、1辺が30cmを越えないような小さな袋に小分けにして出せば良いですかね。
 今度は初めから脱いでやろうと思いますけど、またあちこちの部屋に微細な羽毛が飛びます。
 まだ気力が湧かないので、ま、そのうち。

 さて、まだ解体していない布団ですが、今回のことで、粗大ゴミの出し方について調べたら、事前に区に申し込んでお金を払えば、粗大ゴミ自体は近所の収集場に出しておけば良いそうです。料金は布団ならば2枚まで300円とのことです。

 自分で解体するよりも楽そうです。残った布団は解体せずに粗大ゴミとして出そうと思います。

2020年6月10日 (水)

演習の履修生からの質問(2)

 非常勤先で、1ヶ月遅れの5月12日から始まった遠隔授業の万葉集の演習、昨日で無事に5回終わりました。演習のはずなのに、万葉集に関する講義がまだ続いています。次回からは学生の発表中心の授業に移行できそうです。
 受講生が5名という少人数ですので、Googleclassroom、meetで行っています。

 毎回中休みを設けて、タヌキの写真や奈良の鹿の写真などを見てもらっていましたが、昨日は、桂本と藍紙本の複製の写真と、一昨年訪れた仙覚ゆかりの埼玉県比企郡小川町の写真を見て貰いました。中休みというより、授業の一部のようです。(^_^;

 桂本万葉集の冒頭。
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 軸を上から見たところ。
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 様々な色の料紙を使っていることがよく分かります。

 鳥や植物の絵も見て貰いました。その中で、この部分。
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 「賀茂女王」のすぐ近くに描かれている鳥を見て、女王の名にちなんで鴨の絵が描かれているのかという質問をしかけて、「いや違いますね」と引っ込めた学生がいました。
 確かに違いますね。絵が先に描かれている料紙に、後から文字を書いたのでしょうから。
 しかし、よく見ています。(^_^)

 授業終了後に送られて来たリアクションペーパー代わりのメールに寄せられた質問を載せます。また、私の答えつきで。(^_^;

A.万葉集ができた頃の読者層はどのようなものだったのでしょう? 一般庶民の歌もあるのなら、読者に一般庶民もいたのでしょうか?
 だとしたら、その人々は文字の読み書きが出来たのでしょうか?

a.万葉集は勅撰集ではなく、大伴家持の編纂した私撰集と考えられますが、完成後しばらくは世に知られなかったものと思われます。
 初期の頃の読者層は、皇族や貴族だったことでしょう。鎌倉時代以降は身分の高い武家の中にも万葉集に関心を持った人も現れますが、まだ読者は限られていたと考えられます。
 万葉集が広く大勢の人に読まれるようになるのは、江戸時代の寛永20年(1643)に版本が刊行されてからでしょう。やはり印刷されないと普及しません。


B.平安時代には万葉集が読めなくなっていたというのは、片仮名や平仮名が発達して「万葉仮名」が読めなくなったということでしょうか?

b.平安時代に万葉集が読めなくなっていたというのは、日本の和歌を漢字ばかりで表記するということがそもそも無理だったからだと思います。1字1音の万葉仮名だけで書けばまだしも、正訓字や義訓、戯書なども含まれていれば、書いた本人には唯一の訓が念頭にあったとしても、本人以外の同時代の人にも読めない(訓が1つに定まらない)歌はあったと思います。
 まして、時代が降れば、文法や語法や語形も変わってきますので、さらに読めない、ということになったのでしょう。
 そして、ご指摘のように、片仮名や平仮名(特に平仮名)が発達したことで、漢字ばかりで書かれた万葉集を読むことのハードルが上がってしまったこともあったのでしょう。
 それで、万葉集の歌を読むには「研究」が必要になったということになります。


C.万葉集の注釈書で最も古いものを書いたのは仙覚のようですが、これは万葉集の公的な研究をしたのは仙覚が初めてであるという認識でよろしいでしょうか。

c.平安時代になると、漢字ばかりで書かれた万葉集は訓むことが難しくなっていましたので、天暦5年(951)に、村上天皇が和歌所を宮中の梨壺に置いて、5人の人たち(梨壺の五人)に、万葉集の訓を付けさせました。この時に付けられた訓を「古点」と言います。注釈書ではありませんが、万葉集の公的な研究としては、これが最初と言えそうです。ちなみに、「次点本」の「次点」というのは「古点」に対しての「次点」です。
 梨壺の五人の訓読の成果を形にしたものが残っていれば、それは古点本ということになりますが、残念ながら現存する古点本は知られていません。
 ただ、次点本の中で現存最古の桂本は古点本の面影を留めているのではないかと言われています。
 なお、桂本の書写年代は不明ですが、1000年頃11世紀半ばと考えられていますので、そうすると梨壺の五人の仕事から50年100年ほど後ということになります。(赤字部分、筒井先生からいただいたご教示によって訂正しました。)


D.仙覚以降、江戸時代になるまでの間は詳しい万葉集研究はされていなかったのでしょうか? 国学者による古典研究がはじまるまでは万葉集の研究がされていなかったのか気になりました。
 平安時代の作品には万葉集を本歌取りした歌もあるようですが、鎌倉以降はあまり歌人の関心は万葉集に寄せられなかったのでしょうか。
 和歌の中での万葉集の立ち位置について少し気になりました。

d.仙覚から江戸時代までの間に、著名な万葉集の注釈書はありませんが、著名でなくても、全くないのかどうか、少し調べてみます。万葉集の書写は行われています。
 古今集以降の勅撰集の中に万葉歌を載せたものがあります。八代集それぞれについて、何首くらい万葉歌が載っているのか、そんなリストがありそうに思います。捜してみます。
 歌によく読まれる地名を「歌枕」と言い、平安末期以来、歌枕集がいくつも作られています。そんな中に、万葉集の歌を引用したものがあり、どのくらいの万葉歌が引用されているのか、そんなあたりも興味深いです。
 基本的には、歌人たちの関心は勅撰集にあり、万葉集にはあまり注意が向かなかったのではないかと思います。


E.江戸時代の注釈書の名前が面白く思えました。これらは自分でつけたのでしょうか。
 また、名前に何か意味があるのでしょうか。

e.江戸時代の注釈書の名前、確かにおもしろいですね。
 万葉考、略解、攷証、古義などは素直ですが、管見、拾穂抄、僻案抄、童蒙抄などは謙遜した名称ですね。
 代匠記は、徳川光圀に注釈の仕事を依頼された下河辺長流が、病のためにその依頼を果たせなくなり、それになり代わって作ったのが契沖の代匠記です。「師匠に成り代わって」の意なのでしょうか。ただ、「代匠」という語には出典があって、「本来それを果たすべき者に代わって自分が作るのであるから、誤りがあるだろう」という意味の語なので、「匠」は下河辺長流を指しているわけではないかもしれません。
 書名はいずれも基本的には、著者本人が付けたものと思われます。

 Dだけ4年生で、他は2年生です。今回も良い質問だらけです。私の回答で、特にDは不完全ですね。来週の授業までにもっと調べておかないとなりません。他の質問についても、もう少し調べないと。

2020年6月 9日 (火)

『ハニぼん』&ぐんまちゃんはにわ

 先週の金曜日に高崎の書店で「上野三碑かるた」を買いました。
 その書店のレジに、この本が積んでありました。
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 表紙はこのようにゆるい感じですが、群馬県の公式はにわガイドブックです。
  企画・編集:群馬県文化振興課
  著作協力:群馬県立歴史博物館
  協力:群馬県各市町村教育委員会
ということで、群馬県が総力を結集して制作したガイドブックです。
 オールカラーの写真や図が豊富で、わかりやすく、親しみやすい内容です。

 付録に、埴輪のペーパークラフトが3点付いています。
 その1つは、ぐんまちゃんによく似た馬の埴輪です。
 一昨年のHANI-1グランプリで第2位に輝いています。
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 ペーパークラフトの表側。
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 裏側。
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 切り抜いて作ってみました。
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 斜め前から。
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 下から。
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 大きさはこんなです。結構小さいです。
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 手乗り埴輪。
 糊と鋏を使った工作は久し振りでした。

2020年6月 8日 (月)

「上野三碑かるた」を購入

 昨年の6月~9月に「上野三碑かるた」の読み札を公募していて、私も3点応募しましたが、その珠玉の3点は残念ながら採用されませんでした。(^_^;

 その「上野三碑かるた」は無事にこの4月に完成しました。
 このかるたは、5000部を群馬県内の小中高校、特別支援学校などに配布する他、県内書店での販売(880円)も予定しているとのことでした。

 先日、日帰りで渋川の家に行った時に、高崎での乗り換え時間が22分ありましたので、その時間を利用して、駅構内の書店に行ってみました。

 かるた、置いてありました。♪
 早速、買い求めました。
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 絵札・読み札を何枚か。
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 絵は全て、市美術館長の塚越潤さんが描きました。色彩の美しさを意識したとのことです。
 読み札は高崎経済大附属高書道部員が揮毫したものです。書体は古碑をイメージしたのでしょうね。

 高崎駅の案内所には、このようなチラシが置いてありました。
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 裏です。
3picard07
 ここに「永遠に地域で守る上野三碑」の札が載っています。この札のみ、読み札の地の色が薄い赤で、特別扱いです。
 ゲームが終わったときに取った札が同数だった場合、この札を持っている方が勝ちになるそうです。(^_^)

2020年6月 7日 (日)

あじさいがきれいに

 6月2日にご披露したわが家のあじさい、花はまだ淡い色でした。
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 あれから5日。色が大分濃くなってきました。
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 右下の花のアップです。
Ajisai20200607b

 これから赤くなるのでしょうか。
 あじさいの花の色は、土が酸性かアルカリ性かで変わるのですよね。
 だとしたら、青は青、赤は赤かもしれませんね。
 引き続き様子を見ることにします。

2020年6月 6日 (土)

昨日は群馬往復

 昨日、渋川の家まで日帰りで往復してきました。
 昨日は、気に掛かっていた浜木綿のことだけを書きましたが、その他を少々。

 東京の家を出たのは10:30で、帰宅は18:15でした。所要時間は7時間45分。
 渋川の家にいたのは1時間10分でした。差し引き6時間35分が往復の移動に要した時間です。
 群馬は遠い。(^_^;

 旅のお供に、前日に届いたばかりのこの雑誌を持って行きました。
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 前号の特集は「はじめてのテレワーク」 で、今号が「「在宅ワーク」快適化指南」。
 2号ともタイムリーですね。役立たせたいと思います。

 その前に、『トランヴェール』の6月号。
Trainvert20206
 4月と5月は新幹線に乗れなかったので、4月号と5月号は通販で買うことになりました。
 6月号は無事に入手できました。
 ただ、私の座席にも、その隣の座席、そのまた隣の座席にもなく、後ろの座席から持ってきました。
 人気で、持ち帰る人が多いのでしょうかね。それならば嬉しいです。

 渋川の家の最寄り駅に着いたら、自転車がありません。
 想定内でしたので、探したら、駐輪場の片隅にありました。こういう紙が付いて。
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 駐輪場の自転車を整理するために、年度替わりの時期などに、駐輪場の全ての自転車にこういう紙が付けられます。
 持ち主がいれば、持ち主はこの紙を剥がして、引き続き自転車を使います。
 一定期間、この紙が残っている自転車が処分の対象になります。

 私の自転車、処分されてしまったかと心配していましたが、何とか間に合いました。(^_^)
 ただ、もう1台、新町駅にも別の自転車を置いています。そちらの自転車も心配です。

 今日の午後、群馬はかなりの雨だったようです。昨日行ってきて良かったです。
 今日の雨で、浜木綿の鉢にも追加の水やりができました。

2020年6月 5日 (金)

強靭な浜木綿

 今日は久しぶりに渋川の家に行ってきました。
 前回行ったのが2月23日ですから、103日前ということになります。
 外出自粛を守ってきました。特に、県境を越える不要不急の移動がOKになったのは6月1日でしたし。

 渋川の家で心配だったのは、浜木綿の鉢植えです。
 渋川は寒冷地ですので、冬場は浜木綿を屋内に取り込んでいます。そして、最後に水やりをしたのが103日前。
 それだけの期間、全くの水なしでは枯れてしまったことと思います。
 30年近くも、毎年花を咲かせてくれたのに、コロナのせいとはいえ、かわいそうなことをしました。申し訳ない気持ちでした。
 家に着いて、恐る恐る、というより、ほぼ諦めの気持ちで見てみたら、何と青々としていました。
 すぐに外に出して、水をたっぷりやりました。
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 上の写真は、外に出した直後で、まだ水やり前です。

 まさか、こんなに元気とは思いもよらないことでした。嬉しかったです。
 ただ、古い葉は外側から大量に枯れていました。アップにします。
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 青々とした葉が6枚程度に対し、枯れてしまった葉は10枚以上ありそうです。
 浜木綿は、大きくて厚みのある葉に水分を溜めているのでしょうね。
 土が乾いて水分の補給ができなくなると、葉に溜めた水分で命を繋ぎ、水分を提供し尽した葉は枯れてしまうのでしょう。
 生存のための究極の方策といえましょうか。

 たくさん葉がありますからねぇ。「百重なす」のは、やはり葉のような気がしてきました。

 さらに、中心部はこのようになっていました。
Hamayu_r020605c
 新しい葉ができています。真上から見ると、青い葉の数は9枚ですかね。
 枯れそうになっているというのに、中央部からさらに新しい葉を出しているとは。
 只者ではありません。

2020年6月 4日 (木)

2回目の金魚記念日

 一昨年の6月4日に4匹の金魚を飼い始めました。
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 その3週間後に4匹買い足して、合計8匹になりました。

 そして1年後の去年6月4日。
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 ずいぶん大きくなりました。ちょっと大きくなりすぎ。(^_^;

 そして、今日。
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 1匹も欠けることなく、8匹全員この日を迎えられて幸いです。
 去年よりも大きくなりましたが、1年目ほどの変化ではありません。ほっとしました。(^_^)

 5日前の写真。
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 わずか5日前ですので、金魚の大きさは変わりませんが、水草の状態が大きく違います。

 たった5日で、水草が大分減ってしまいました。
 金魚が水草を食べているのか、それとも食いちぎって遊んでいるだけなのか、という問題がありましたが、少しは食べているようです。
 尾籠なものをお目に掛けて恐縮ですが、今日目に入ったフンです。
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 普段、金魚のフンは、カロチノイド強化の配合資料の影響で褐色に近いような色をしているのですが、これは緑色です。
 水草を食べているせいと思います。食いちぎって遊んでいるのが主と思いますが、多少は食べているようです。
 1日2回与えている食事では足りないのでしょうかね。(^_^;

 今日は上からも撮ってみました。
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 水槽を正面から見るとちょっと狭そうですけど、奥行きがありますので、上から見るとそう狭くはありません。

2020年6月 3日 (水)

演習の履修生からの質問

 非常勤先の万葉集演習の授業、1ヶ月遅れの5月12日から遠隔授業で実施しています。
 受講生が5名という少人数ですので、Googleclassroom、meetで行っています。
 昨日で4回が無事に終わりました。

 第1回目は、受講生の通信環境の確認、自己紹介、授業概要でした。第2回から第4回まで万葉集概説で、まだ終わりません。
 演習なのに、今のところ講義です。概説はさすがに次回で終わると思います。
 90分間リモートというのも、集中が大変だろうと思い、途中10分間ほど中休みの意味で、昔大学に現れたタヌキや、奈良の鹿の写真などを見て貰っています。←無理やり見せている、という説も。(^_^;
Shika201705b

 授業中、学生のカメラとマイクは切ってもらっていますので、学生の反応がいまいちよく分かりません。
 そこで、第3回目からは授業に対する感想、質問、意見などをメールで寄せて貰うことにしました。リアクションペーパーですね。
 寄せられた感想からは、タヌキや鹿の写真は好評でした。♪
 そして、寄せられた質問と、それに対する私の答は、以下の通りです。私の答までご披露するのは、少し勇気がいります。御批正の程。(^_^;

A.万葉集の四期区分は誰がいつ分けたものでしょうか。

a.江戸時代の国学者である賀茂真淵の『万葉考』に現在の4期区分に近いものがあります。そこでは、5期区分がなされていて、以下の通りです。
  ・推古朝以前
  ・舒明朝から藤原宮の前まで
  ・藤原宮時代
  ・奈良朝初期
  ・奈良朝中期
 現在の4期区分では、推古朝以前は区分外ですが、真淵はその時期を第1期としています。あとは、その次の境を壬申の乱とするか藤原遷都とするか、という違いがあります。また真淵説では最後の区分がどこから始まるのか明示されていません。そういった違いはありますが、これが現在の区分の原型と言えそうです。
 授業で話した4期区分は、澤瀉久孝『萬葉集序説』(昭和16年)がぴったりそのままですが、これが最古かどうか? 岩波の日本古典文学大系本『萬葉集』第1冊(昭和32年)の解説があの4期区分を採用して、以後、あの説が定説になったようです。

B.万葉集には貴族から庶民といった様々な階層の人達の和歌が残されているとのことですが、当時の庶民が読み書き出来たのか、読み書き出来る身分にある人が庶民の和歌を口頭で聞きながら書きうつしたのか、作者の方言が含まれる和歌もあるのか等、気になりました。

b.万葉集には様々な身分の人の歌が収められていますが、庶民の歌は数から言えば少数です。庶民は文字の読み書きはできなかったと考えられますので、庶民の歌は文字の書ける人が文字化したものでしょう。
 東歌は、その全部が東国農民の歌とは限らないようです。東国で実際にうたわれていた歌もあったでしょうが、それらは収集した人物が文字化したのでしょう。
 防人歌は、歌をよんだのは防人本人と考えられますが、文字にしたのは、防人を引率していった国府の役人と考えられます。
 東歌・防人歌には東国方言が含まれていて貴重です。国ごとの方言の特徴までは分かりませんが、大きく東海方言と関東方言という傾向は見られます。


C.15世紀に作られた日匍辞書から当時の日本人の発音が分かるとのことですが、奈良時代の発音についても記された書物はあるのか気になりました。

c.奈良時代の発音を直接知ることのできる資料はないのですが、字音仮名に用いられている漢字の、当時の中国における字音(これは推定ですが)が手がかりになります。


D.義訓の暖(はる)、寒(ふゆ)などは少し捻ったものであるのに、どうして読み方が分かったのでしょうか。

d.義訓の暖(はる)、寒(ふゆ)については、実際に万葉集の中でその表記がなされている歌は2首あります。
  ・寒過 暖来良思 朝烏指 滓鹿能山尓 霞軽引(冬過ぎて春来るらし朝日さす春日の山に霞たなびく)巻10・1844
  ・寒過 暖来者 年月者 雖新有 人者旧去(冬過ぎて春し来れば年月は新たなれども人は古りゆく)巻10・1884
 これらの歌で「寒」を「ふゆ」と訓み、「暖」を「はる」と訓んだのは、前後の文脈と言いますか、歌全体の解釈から、ということになります。
 他に、「冬ごもり 春さり来れば」などという他の歌の似た言い回しなども参考になります。また、短歌は字余り・字足らずはあるにしても、一応五七五七七を基本としますので、その制約からある程度訓みの幅は決まってきます。そういったことを総合して訓みを決めて行きます。
 これらの歌の場合は、それ以外に候補となる訓みも思い付きませんが、歌によっては、訓みに複数の可能性があって、訓みが決まらないものもあります。そのあたりが、大変なところでもあり、おもしろいところでもあります。


E.和歌に出てくる鹿というと一頭だけが寂しく鳴いている、という印象でしたので、カップルで仲良くしていたりたくさん集まっているのを見て微笑ましくなりました。
 私が今まで見た歌は、男性が雄の鹿の寂しさと心を合わせる歌ばかりでした。和歌の鹿といえばやはり牡鹿ですが、女性が詠む女鹿の歌はあるのか(雌は雄を求めないのか)気になってしまいました。

e.古典の和歌では、鹿は秋に1頭だけで寂しく鳴いている様子がよまれることが多いですよね。
 奈良公園の鹿は、春日大社の神鹿として長い間大切にされてきて、人も鹿に危害を加えることがなかったので、その結果が今の状態なのでしょう。和歌に出てくる鹿の方が本来の姿と思います。和歌の鹿の住み処は、多くは人里に近い山などなのでしょう。
 質問のようなことを調べるには、万葉集における鹿の用例を全部集めて、それらを吟味することになります。これは後日演習の材料にするかもしれません。


F.仙覚はお坊さんであったということですが、新点本の校訂は一人でかつ公的に行ったのでしょうか。

f.新点本の仕事は鎌倉幕府の将軍藤原頼経(源実朝の次の将軍)の命令のもとに、仙覚1人で行ったようです。その成果は、後嵯峨上皇にもお目に掛けました。
 その後、仙覚はこの仕事に飽き足らず、更に多くの次点本を入手して、改訂を目指し、また注釈書も作成しました。万葉集研究に大きな功績のあった人です。


 上の質問を寄せてくれたのは全部2年生です。
 万葉集概説でどんな話をしているのか分かりますね。(^_^) 
 そして、私の講義内容に不十分な点のあることもよく分かりますが、それ以上に、学生さんたちが授業をしっかり聴いた上で、自力で更に深く考えてくれていることも分かります。みんな優秀です。

 Eの質問は、中休みの奈良の鹿の写真から出てきたものです。中休みも有意義です。♪
 リアクションペーパー代わりのメールを送って貰って良かったです。

2020年6月 2日 (火)

イケない薬を克服して、あじさい開花

 一昨年の夏に鉢植えのあじさいを買ってきて、そのまますぐに地植えにしました。
Ajisai20180705
 枝や葉っぱに比べて、花が異様に大きく、多いです。
 店頭のカランコエと同様、業者のところで何かワザを使っているのでしょうね。イケない薬など。

 そのあじさい、1年後の昨年の夏はこんなでした。
Ajisai20190603
 前の年に買ってきたときとは大違いです。
 葉は大きくなりましたが、花は小ぶりなのが1つしか咲きませんでした。

 そして、今日。
Ajisai20200602a
 花は、バッチリ見えている3つの他に、うしろの方にあと3つ咲いています。合計6つ。花も去年よりも大きいです。
 イケない薬の影響が消えたのでしょうか。
 自然が一番。

 左下の一番小さい花。
Ajisai20200602b

 左上の中くらいの花。
Ajisai20200602c

 右側の大きな花。
Ajisai20200602d

 大きさにつれて、色も濃くなっています。
 日が経てば、更に濃くなるかもしれません。
 楽しみです。

2020年6月 1日 (月)

外出自粛太り

 昨年の6月から、それまで毎晩飲んでいたCCレモンと、毎晩食べていたアイスクリーム断ちをしました。今も継続中です。
 ペットボトルのジュースをがぶ飲みしすぎて急性糖尿病になった人のことをテレビで見たのがきっかけです。
 他に、毎朝、紅茶に砂糖とクリープを入れて飲んでいたのを、どちらも入れないことにするなど、糖分の摂取を減らしました。

 そうしたら、体重がぐんぐん減って行きました。
 減糖に当たって、ダイエットは全く念頭になかったのですが、効果てきめんでした。

 半月ごとの平均値をグラフにしました。
Taiju201906_202005
 横軸、字が込み入るので「○月前半」しか表記されていませんが、点線が「○月前半」、点線と点線の中間が「○月後半」です。

 縦軸が体重ですが、数字は省きました。(^_^) 線と線との間は1kgです。
 ということで、6月前半から10月前半までの4ヶ月で、5.8kg減りました。
 劇的です。
 ただ、減糖だけが理由ではないかもしれません。ちょうど夏の暑い時期を含みますので、その影響による体重減少もあるかもしれません。それは他の年も見てみないとなりません。

 10月後半に少し増えた後、2月前半まではほぼ増減なく推移しました。

 そして、2月後半以降、体重はぐんぐんと増加中です。
 コロナ禍の中でも従来通りの、あるいは従来以上のお仕事をされている方々には誠に申し訳ないことながら、これ、外出自粛の影響でしょうね。運動不足。

 元の木阿弥です。

 体を動かすようにせねばと思います。

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