昭和2年の「渋谷町全図」
このような地図を入手しました。
細かすぎますね。(^_^;
左上に標題があります。
昭和2年の渋谷町の地図です。「区」ではなく、まだ「町」です。
昭和7年に、渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が一緒になって渋谷区が成立したとのことですが、3町の中では渋谷町の範囲が圧倒的に広かったことがこの地図から伺えます。
右下にこのような解説が載っています。
これによれば、翌昭和3年の地名変更に先立って、この地図が作成されたようです。
地名変更前の地名を記録しておこうということでしょうか。
そういうことであれば、先日のタモリさんの言葉ではありませんが、意義深い地図と思います。
この地図を入手したことで、数年前にブログで取り上げた地図を思い出しました。
この図録に掲載されていた絵地図です。
下がその絵地図です。大岡昇平の『幼年』における記述をもとに作成した、大正から昭和初め頃にかけての地図とのことです。
絵地図ですので、この地図を現代の地図と重ね合わせることがなかなか難しかったのですが、昭和2年の地図となら対比しやすかろうと思いました。北が下なので、分かりにくいんですけどね。(^_^; 昭和2年の地図も北を下にしてみました。
ついでに現代の地図も。
ブログに絵地図を載せた時に、朝倉山のオニさんからいろいろとご教示をいただきました。以下の通りです。
・駒場通りから大向通りにかけては、文化村通りで、大向小学校は今の東急本店に当たります。
・練兵場通りは、ファイヤーストリートでしょうか。
・竹久夢二の家から生民軒牛乳屋への道は井の頭通りでしょう。
・衛戍監獄は、今の渋谷区役所近辺だと思います。
・練兵場は、言わずと知れたNHK、代々木公園ですね。当時は狐が出没したそうです。
・宇野浩二の家の方に伸びているのは、公園通りのようです。
・練兵場通りは途中で二股になっていますが、そこは今の丸井だと思います。
・ファイヤーストリートは、渋谷駅を後ろにして丸井を左手に見る道のことです。電力館に通じる道です。
・憲兵分隊のすぐ下の三角形のところは、109だと思います。
3枚の地図を比べてみると、オニさんの判断は全てどんぴしゃりだったことが分かります。掌を指すが如く。
改めて御礼申し上げます。
絵地図には、渋谷川と宇田川とが載っています。渋谷川は東京オリンピックを前に暗渠になってしまいました。
現在の渋谷大改造では、渋谷川の一部を地上に出すようなことを聞きました。
一方の宇田川の方は、宇田川町の地名の由来になった川と思われますが、今はやはり暗渠になってしまったのでしょうね。
この川は昭和2年の地図に載っていました。
代々木の方から南下しています。
あ、昭和2年の地図は48度ほど右に回転していますので、それを逆に回転して北が上になるようにしました。
上の3枚の地図とは向きがほぼ逆になります。
宇田川は、画面左上から右下に掛けて流れています。
北から順に深町小橋、深町橋、松濤橋、大向橋などの橋の名前が書かれています。
大向小学校の北東で、この流れに、南西から流れてきた川が合流します。
その川も含め、合流後の流れは以下のようになっています。
大向橋の下流には後藤橋があり、その先で川は消えてしまっています。暗渠になったのでしょうか。現在の109のあたりです。
参考までに、現代の地図。
太い道は変わりませんが、細い道は大分変わってしまっていて、重なりません。
宇田川も辿りにくいです。
絵図にある大岡昇平の家は、昭和2年の地図では、大向橋のすぐ左の「20」と書いてあるあたりと思います。現代の地図では大きな文字で「宇田川町」と書いてある「町」の上あたりになりましょうか。
地図の比較は楽しいです。
【追記】R2.4.23
古都の焼け門さんのコメントを受けて、昭和2年の地図から1枚追加します。
大向小学校の西側です。
大向小学校の北沿いを流れる川を西へ遡ってみました。
画面右端中央付近に大向小学校があります。
その北沿いの川を辿ると、「松濤」と「大山」との境界付近を通って、画面左端中央付近で地図の端になってしまいます。この先は駒場になろうかと思います。駒場の向こうから流れて、大向小学校の北を通って、宇田川に合流することになります。
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先生は本当に多趣味というか、コレクターでいらっしゃいますね。
こうした「古いもの」の類は、どうやってお求めになっておいでなのしょう。
道の駅等でのフリーマーケットに骨董品屋さんが出ているので、時々覗いていますが、なかなか「これぞ」という品にはお目にかかれません。
投稿: やまゆり | 2020年4月21日 (火) 21時48分
やまゆりさん
コメントをありがとうございます。
ほんと、コレクターです。(^_^;
共通点は、「古いもの」。
子供の頃から古いものが好きで、古いものを見るとつい欲しくなります。
収集品は、古地図、絵はがき、台本、道中記(定宿帳)などです。
書画骨董はあまり。
購入方法はもっぱらネットオークションです。
投稿: 玉村の源さん | 2020年4月21日 (火) 22時12分
橋の名前が分かって、いい地図ですね。ちょっと昔の地図を片手に歩くのは、本当に楽しいですね。今は、自粛してますが、早く再開したいです。タモリ倶楽部の暗渠、路地、スリバチ地形、古道などの企画がこの頃なくなり、ちょっと寂しいです。余談ですが、こちらでは先週”空耳アワード2019(後編)”の放送がありました。「川の地図辞典 江戸・東京/23区」(之潮)によると、南西から流れてきた川の水源は松濤池の湧水のようです。宇田川の水源はちょっと古い地図ですが、https://www.tokyo-23city.or.jp/tokei/kochizu/index.htmlで確認できます(ちょっと見づらいですが)。
投稿: 古都の焼け門 | 2020年4月23日 (木) 14時30分
古都の焼け門さん
コメントをありがとうございます。
ありがとうございます。橋の名前が記載されているのは嬉しいです。
そうですね。言われてみれば、「タモリ倶楽部」の街歩きは最近ありませんね。
川の上流についてのご教示、ありがとうございました。
早速、お知らせくださったURLに行ってみました。リストの中の「東京府豊多摩郡代々幡村」でしょうか。宇田川の源流は何本もあるように見えますね。複数の流れが1本になって渋谷に流れているように見えました。
また、大向小学校の北沿いを流れる川については、昭和2年の地図からその部分を追加しました。松濤池というのは見当たらず、さらに西、駒場の方から流れているように見えます。
投稿: 玉村の源さん | 2020年4月23日 (木) 15時29分
”大山”の山の右隣り、瓢箪の形をしたところが松濤池です。ご教示の通り、更に延伸しています。「春の小川はなぜ消えたか」(田原光泰 之潮)によると、山手通り東大裏バス停付近で三田用水と接続していて、この取水口を神山口と呼んでいるそうです。そのため、この流れは三田用水神山分水と呼ばれているそうです。地図を追加していただいたおかげで、三田用水との接続付近を確認することができました。本当に、ありがとうございます。”
投稿: 古都の焼け門 | 2020年4月24日 (金) 15時16分
古都の焼け門さん
コメントをありがとうございます。
大山にあるひょうたん型の池が松濤池でしたか。
また、この流れの名称が「三田用水神山分水」とのご教示、ありがとうございます。
何という名前か分からなかったので、「大向小学校の北沿いの川」などと呼ぶしかありませんでした。ありがとうございました。
投稿: 玉村の源さん | 2020年4月24日 (金) 15時25分
はじめてコメントさせていただきます。
渋谷町図、しかも、代々幡町合併後の貴重な地図をご紹介いただきありがとうございます。
とくに、当時の三田用水の神山分水の経路が確認できるのは、大変ありがたいです。
なお、この図の字名・地番は昭和3年の改正後
(渋谷町字名地番改正誌
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1211104
なお、ご紹介の地図は、同書末尾と同一図ではないかと思われます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1211104/115
町にとっての大プロジェクトですので、大量に印刷・配付して新字名・地番の周知徹底をはかった事でしょうね。)
のもので、そのことは
日文研の所蔵地図データベース中の、大正15年の東京府豊多摩郡澁谷町平面圖
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/zoomify/mapview.php?m=000730663_o
の大向小学校あたりと対照されるとわかりやすいかと思います。
投稿: きむらたかし@三田用水 | 2021年9月20日 (月) 23時54分
きむらたかし@三田用水さん
はじめまして。
コメントをありがとうございます。
ご紹介くださった書籍と地図、ありがとうございました。早速見てきました。
書籍巻末の地図は折り畳まれていますけれども、見える範囲で見る限りは、ご指摘の通り、ここに載せた地図と同じもののようですね。
書籍も大変に詳細で面白いです。
また、大正15年の地図も、昭和2年の地図と比べると面白いですね。
初板は大正7年なのですね。このあたりは関東大震災の被害をどのくらい受けたのか分かりませんが、震災を経て、改訂されたものですね。
大岡昇平の幼年時代と重なりそうですね。
いろいろと貴重な資料をご教示くださいましてありがとうございました。
大向小学校の場所に建っている東急本店は、取り壊されてしまうようですね。
渋谷の大規模な再開発で、あれこれまた大きく変わってしまいそうですね。
古い地図が益々貴重になりますね。
投稿: 玉村の源さん | 2021年9月21日 (火) 00時20分
玉村の源さん さま
リ・コメントありがとうございます。
渋谷町は、旧くから、道路整備を中心とするインフラ整備に力を入れ、地域の利便性を上げて、東京市街地からの高額納税者の誘致をもくろんで、ある程度の成果を上げていました。
その仕上げの一つに、渋谷町水道の敷設
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112061
もありますし、字名・地番の改正は、市街地らしさを整備するための、その総仕上げという面もあるように思います。
こちらは、そういった都市環境整備の旗振り役で、重要文化財である、渋谷区代官山の旧朝倉家住宅
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/shisetsu/bunka/asakura.html
のオーナだった、朝倉虎治郎って人はすごいな、と思います。ことちらは、お隣の世田谷区の住人なのですが、とてもかないません。
PS:渋谷町図、かなり痛みはありますが、大正7年図(ただし、大正10年発行の第4版で、当時の計画道路である「中通り」現明治通りが重ね書きされていますが)の手持ちがあります(こちらもネットオークションで入手)。
非表示のネットアドレス宛てご要望があれば、お送りいたしますので、ご遠慮なく。
投稿: きむらたかし@三田用水 | 2021年9月21日 (火) 19時39分
玉村の源さん さま
書き洩らしました。
関東地震では、おおまかにいって
下町は
木造建物が倒壊し 土蔵は無事
山の手の台地上は
土蔵はかなりの被害を受け
先にご紹介した、旧朝倉家住宅の藏はかなり損傷し、壁をコンククリートに改修した由
木造建物の被害は軽微
ただし、初期の振動で瓦が屋根から落ちたのが幸いしたともいわれています
いずれにしても、この被害の差が、地震後、下町の低地から郊外の台地上への
「大人口移動」をもたらしたのは、間違いないようです。
投稿: きむらたかし@三田用水 | 2021年9月21日 (火) 19時58分
きむらたかし@三田用水さん
追加の情報をありがとうございます。
またまた、大変に興味深く存じます。
代官山の旧朝倉家住宅の前は、西郷山に行くときに通ったことがありましたが、朝倉氏については全く知りませんでした。そういう人でしたか。
関東大震災のこともご教示ありがとうございました。
投稿: 玉村の源さん | 2021年9月21日 (火) 20時05分
初めまして。大変貴重な地図を拝見できて嬉しく思っております。私は昭和39年の6月までを大向小学校旧校舎(東急百貨店本店)その後を新校舎(憲兵隊刑務所跡)で過ごし、松濤中学に通学しておりました。住所は神宮前6−23(旧・神宮通2−9)でした。絵地図の記述の中で「練兵場通りはファイアーストリートでしょうか」とありますが、これは「公園通り」です。かつては「区役所通り」と呼ばれていた時代もあります。古地図中の「神宮通一丁目」の「目」のあたりが丸井シティの分岐の地点になります。絵地図中では「練兵場通り」の「り」の左下側、またこの絵地図では、ガードをくぐって橋を渡る道が、至原宿となっていますが、これは作成者の思い違いかもしれません。渋谷川が暗渠のキャットストリートで原宿へ抜けますが、橋を渡っていく道は「美竹通り」で宮益坂上交差点へ抜けます。暗渠になる前の渋谷川は、子供心には少々怖い場所でした。渋谷小学校は現在、区役所仮庁舎ですが、この絵地図はその場所に移転する以前の、最初の渋谷小学校の位置のようです。鈴井薬局の鈴井君は同級生ですが、この場所もちょっと違うかも。宇田川はBEAMSとファミマの間の道の暗渠がそれに当たります。あれこれと書いてしまって申し訳ありません。他の記事も楽しく拝見しております。ありがとうございます。
投稿: いにしえの大向小学校生徒 | 2024年9月 7日 (土) 10時42分
いにしえの大向小学校生徒さん
はじめまして。
詳細なコメントをありがとうございます。
私は昭和39年3月に小学校(世田谷区立旭小学校)を卒業しました。
大体同世代ですね。
渋谷は、大盛堂書店や、NHK放送センター、東急文化会館、東急ハンズなどにはよく行きましたが、行き先が限られていて、あまり詳しくはありません。
この記事は、複数の地図を矯めつ眇めつ眺めながら苦労して場所の比定をしました。
実際に大向小学校に通っていらした方は、さすがに土地勘がおありですね。
いろいろとご教示頂き、ありがとうございます。
この絵地図はあれこれ問題ありなのですね。
他の記事もご覧くださったとのこと、ありがとうございます。
よろしければ、今後ともご愛顧の程、どうぞよろしくお願い致します。
投稿: 玉村の源さん | 2024年9月 7日 (土) 11時34分
大変生意気なコメントに、ご丁寧な返信をいただいてしまい恐縮です。
私は昭和46年3月の大向卒ですので、先生よりもちょっとガキですが、
小中高と大盛堂、紀伊國屋、三省堂他、書店をハシゴして回っておりましたから、
どこかですれ違っていたかもしれませんね。
NHKの見学コースは学校の帰りに、時々寄り道していました。
文化会館もプラネタリウム、パンテオン、東急名画座、東光ストアと巡ってました。
東急ハンズ渋谷店は、昭和53年9月9日開店でしたが、そこは以前、聖パウロ教会があった場所です。
小学校の教室の窓から、十字架が見えると同時に、東急本店の建設工事の様子が見えていました。
大向の旧校舎は、併設された区立大向幼稚園の一回生として三ヶ月だけ通いました。
Bunkmuraの場所には「トルコ フランス」という国籍不明な店名の、いわゆる風俗店があったことを覚えています。
人の記憶に基づいた地図に、思い違いはつきものと思います。街はどんどんと姿を変えて行きますし。
先生の多趣味なコレクション、世代の近さのせいでしょうか。大変楽しく拝見いたしました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: いにしえの大向小学校生徒 | 2024年9月 8日 (日) 07時13分
いにしえの大向小学校生徒さん
生意気なコメントだなんて、そんなこと、全くありませんよ。
あれこれ本当に懐かしいです。
みんな取り壊されてしまって。
東急本店も営業終了してしまいましたね。
寂しいことです。
当まほろばに昔の渋谷駅のジオラマの記事を載せたことがありました。
http://mahoroba3.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-c97a.html
懐かしんでくださいませ。
ちなみに、この翌日の記事は、大盛堂のものでした。
投稿: 玉村の源さん | 2024年9月 8日 (日) 07時42分