「奈良名勝全図」
家の片づけ、ほそぼそと続いています。
その過程で出てきました。
「奈良名勝全図」とあります。発行年や発行者は書いてありません。
もしかしたら、左側の余白に書いてあったのが切断されてしまっているかもしれません。
何枚か部分拡大します。
興福寺五重塔と猿沢池付近。
右上隅に春日大社の一の鳥居があります。その手前には旅館菊水楼。菊水楼の前には鹿がいます。(^_^)
画面右下付近には、当ブログで何回か話題にした「うを佐旅館」があります。かま屋も。
興福寺金堂と猿沢池付近。
左下付近に、かごや、小刀屋、いんばんやという3軒の旅館が並んでいます。いずれも道中記(定宿帳と呼ぶべきか)に時々出てきます。
三条通を挟んだかごやの向かいには郵便電信局と警察署があります。
画面左上隅には裁判所があります。今と同じ位置ですね。
その向かいには図書館があります。
東大寺と県庁付近。
画面左下隅付近に、先ほどの裁判所と、その隣に県庁があります。
その左には高等女子師範学校と女子師範学校。今の奈良女ですね。
その上方には景清門(転害門)が描かれています。
春日大社の二の鳥居手前付近。
画面左下に奈良ホテルがあります。
画面中央付近に雪消沢があり、鹿がいます。(^_^)
その上方には鹿苑。
この地図、いつのものか分かりませんが、今の画像に奈良ホテルがあります。奈良ホテルは明治42年営業開始とのことですので、この地図は明治42年以降のものということになります。
また、同じ画像の右端中央付近に第十六師団第五十三聯隊兵営とあります。
ウィキペディアによれば、この聯隊は第16師団隷下の聯隊として明治42年に高畑村に移転して来て、大正14年に軍縮のため廃止されたとのことです(昭和13年に復活しますが、その時は第17師団隷下として)。
ということで、この地図は明治42年から大正14年までの間に発行されたものということになります。
他にもまだ手がかりがあるかもしれません。
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金堂に接するように興福寺のすぐ北に図書館がありますね。
今は大分離れたところに越してしまいましたが、かつては三条通りを挟んだ、文化会館に馬鹿に県立の図書館はありました。それとは別物何でしょうかね?
投稿: 三友亭主人 | 2020年4月 1日 (水) 22時28分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
ウィキペディアによれば、この絵図の図書館が1968年に奈良県文化会館に併設される形で移転し、さらに2005年に奈良県立図書情報館として移転・組織替え、という経緯のようですね。
ということで、現在の図書情報館のご先祖がこの図書館ということになりそうです。
この図書館の位置は、先年完成した中金堂のあたりになりましょうかね。
興福寺の境内には、明治維新後、あれこれの公的機関が建てられたのが、やっと少し返してもらったという感じですかね。
投稿: 玉村の源さん | 2020年4月 1日 (水) 22時52分
ちょっと色合いが違うかもしれませんが、平成30年奈良市史料保存館の企画展に出ていた『奈良名勝全図』と同じではないかと思います(https://www.city.nara.lg.jp/site/bunkazai/5833.html)。とすると出版年は明治41年、出版者は筒井梅吉となります。では明治41年出版の絵図に、明治42年開業の奈良ホテルや移動した53連隊が掲載されているかですが、ホテルの建設は進んでおり、また連隊の誘致は早くからなされていたようです(奈良市史通史4 p180、250 https://www.city.nara.lg.jp/site/bunkazai/7311.html)。で先取りして掲載したのではないかと推察されていました。なお、奈良県立図書情報館 まほろばライブラリーの中に明治31年版の 『奈良名勝全図』があり、見ることができます。
掲載された絵図の中に円窓亭がみえましたが、明治28年に現在地に移設されたこの建物が、125年ぶりに春日大社に戻ると、3月末の新聞記事にありました。
投稿: 古都の焼け門 | 2020年4月 5日 (日) 14時56分
古都の焼け門さん
ご教示をありがとうございます。
早速見てきました。
奈良市史料保存館の企画展の『奈良名勝全図』は、確かに色合いが異なりますが、同じもののように思えます。左下欄外に発行年と発行者が書かれているようですね。私がブログに掲載した絵図では、この部分が切り取られていました。
この絵図が版を重ねたものであるとすれば、私のはひょっとしたら後刷りの可能性もあるかと思います。
企画展の絵図は画像が小さくて判然としませんが、奈良ホテルも聯隊も記載されているようですね。とすると、実際にそれが実現したのはともに明治42年のことであったとしても、それを先取りして絵図に記載したというのは大いにあり得ることと思います。ホテルも兵営も建設に日数を要したでしょうから、この絵図が作られた時にもう建設が進んでいれば、実現確実ということで絵図に記載したのでしょうね。それで1年の矛盾は説明できそうに思います。
奈良市史を居ながらにして閲覧できるというのはありがたいことです。これも通史第4巻の180ページと250ページとを見てきました。
「先取りして掲載したのではないか」という記述は見つかりませんでしたけど。
投稿: 玉村の源さん | 2020年4月 5日 (日) 15時39分