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2020年3月15日 (日)

天保九年の『増補地名便覧』

 このようなものを入手しました。
Chimeibinran01
 題簽は剥落していて、直書きで『増補 地名便覧』とあります。16cm×7cmほどの小型本です。
 ラベルが貼ってあり、どこかの図書館等の蔵書だったのかもしれませんが、蔵書印はありません。

 奥付は次の通りです。
Chimeibinran02
 天保九年(1839)四月刊行ですね。

 内容は、国別にまず郡名を挙げ、以下、名所旧跡や名産品などを列挙しています。ふりがなの付いている語も多いです。

 山城国の冒頭は次の通りです。
Chimeibinran03

 山城国は18ページあります。大和国は12ページ。他は数えていませんが、このあたりが最大ではないかと思います。上野国は2ページ。ちょっと寂しいです。

 山城国の「諸墓」の項は以下の通りです。
Chimeibinran04
 平清盛もありますけど、文学者の名前が目立ちます。そんな中に、今年のNHK大河の主人公である明智光秀もありますね。当時の人々がどういう人物に関心があったのか、その一端が伺えます。

 大和国の「坂岡」の項に、おととしあたりに当ブログで何度か取り上げた「逝回(ユキヽノ)岡」がありました。
Chimeibinran05
 ここでは「岡寺といへる所也といへり」とあり、続古今集の家隆の歌が引かれています。
 本来は実在しない地名ですが、中世から近世に掛けて、この岡の所在を岡寺の岡とするものが多いです。この本もそうでした。

 この本、あちこちおもしろそうなので、また取り上げるかもしれません。

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コメント

逝回(ユキヽノ)岡の調査経緯見させていただきました。このあたりでしたか。大和名所図会に「岡飛鳥二村の間にあり」とはあったのですが、どこだろうと思っていました。グーグルマップで見ても、まさにこのあたりが二村の境界になっています。久々に明日香に行ってきたいと思います。

古都の焼け門さん

 コメントをありがとうございます。

 古都の焼け門さんは、「ゆききの岡」という名も『大和名所図会』の記述も先刻ご承知だったのですね。
 恥ずかしながら私は、「ゆききの岡」という名は、2年前に入手した絵はがきで初めて知りました。
http://mahoroba3.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-77e9.html

 これに興味を覚えて、いろいろと調べていったという次第です。

 絵はがきの「ゆききの岡」は飛鳥寺の瓦窯の岡で間違いないものと思います。

 『大和名所図会』の記述ともぴったりですよね。
 『大和名所図会』の挿し絵では、男女5人が花見をしていて、その傍らを川が流れていますけど、あれは想像の絵なのでしょうね。
 近くを川が流れている岡といえば、甘樫丘か雷丘ということになりますけど、それでは岡村と飛鳥村との間にはなりませんものね。

該当地は埋め立てられた飛鳥池の近くですし、この地は大和国条里復原図を見ても古池、池ノ上、池ノ下などの小字名もあるので古くから池のようなものがあって、そこからの流れが(川のようではなくても)あったのかもしれません。ちなみに瓦窯の岡の小字名はミノヤブですので、今と同じような風景だったかもしれませんね。

古都の焼け門さん

 コメントをありがとうございます。

 なるほど。瓦窯の岡のすぐ東が飛鳥池ですものね。飛鳥池や、それ以外の池からの流れがあった可能性は納得できます。農業用水につかったのでしょうから、池の水を利用するためには流れがあるはずですね。
 それでも、やはり『大和名所図会』の絵は、和歌からイメージしてああいう形に描いたものと思いますが。

 瓦窯の岡の小字名はミノヤブですか。ありがとうございます。

 空中写真などを見ると、耕作地だった時期もあったことがわかりますが(絵はがきが撮影されたのは、そういう時期だったと思います)、木かあるいは竹が生い茂っていた時期もあったのでしょうね。
 小字名は貴重ですね。

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