天保九年の『増補地名便覧』
このようなものを入手しました。
題簽は剥落していて、直書きで『増補 地名便覧』とあります。16cm×7cmほどの小型本です。
ラベルが貼ってあり、どこかの図書館等の蔵書だったのかもしれませんが、蔵書印はありません。
奥付は次の通りです。
天保九年(1839)四月刊行ですね。
内容は、国別にまず郡名を挙げ、以下、名所旧跡や名産品などを列挙しています。ふりがなの付いている語も多いです。
山城国の冒頭は次の通りです。
山城国は18ページあります。大和国は12ページ。他は数えていませんが、このあたりが最大ではないかと思います。上野国は2ページ。ちょっと寂しいです。
山城国の「諸墓」の項は以下の通りです。
平清盛もありますけど、文学者の名前が目立ちます。そんな中に、今年のNHK大河の主人公である明智光秀もありますね。当時の人々がどういう人物に関心があったのか、その一端が伺えます。
大和国の「坂岡」の項に、おととしあたりに当ブログで何度か取り上げた「逝回(ユキヽノ)岡」がありました。
ここでは「岡寺といへる所也といへり」とあり、続古今集の家隆の歌が引かれています。
本来は実在しない地名ですが、中世から近世に掛けて、この岡の所在を岡寺の岡とするものが多いです。この本もそうでした。
この本、あちこちおもしろそうなので、また取り上げるかもしれません。
« アマリリスを植え替え | トップページ | 金魚の水槽復活 »
「史料・資料」カテゴリの記事
- 明治37年の「因幡の兎」(2025.01.19)
- 「ハナ ハト マメ マス」(2025.01.15)
- 長音表記&リンコルン(2025.01.14)
- 広瀬中佐の評価は(2024.11.24)
- 老農船津伝次平(2024.11.23)
「歴史」カテゴリの記事
- 『ならら』最新号の特集は「昭和100年」(2024.12.28)
- 『光る君へ ART BOOK』(2024.12.16)
- 『光る君へメモリアルブック』(2024.12.13)
- 萩松陰神社の絵はがきに(2024.12.08)
- 萩の松陰神社のクラウドファンディング(2024.12.07)
「文学」カテゴリの記事
- 根来麻子氏『こてんみゅーじあむ』(文学通信)(2024.12.17)
- 『光る君へ ART BOOK』(2024.12.16)
- 『光る君へメモリアルブック』(2024.12.13)
- ぐんまビジタートイレの案内板(2024.11.17)
- 『トランヴェール』最新号の特集は「筑波山、万葉恋の話」(2024.11.07)
逝回(ユキヽノ)岡の調査経緯見させていただきました。このあたりでしたか。大和名所図会に「岡飛鳥二村の間にあり」とはあったのですが、どこだろうと思っていました。グーグルマップで見ても、まさにこのあたりが二村の境界になっています。久々に明日香に行ってきたいと思います。
投稿: 古都の焼け門 | 2020年3月20日 (金) 11時20分
古都の焼け門さん
コメントをありがとうございます。
古都の焼け門さんは、「ゆききの岡」という名も『大和名所図会』の記述も先刻ご承知だったのですね。
恥ずかしながら私は、「ゆききの岡」という名は、2年前に入手した絵はがきで初めて知りました。
http://mahoroba3.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-77e9.html
これに興味を覚えて、いろいろと調べていったという次第です。
絵はがきの「ゆききの岡」は飛鳥寺の瓦窯の岡で間違いないものと思います。
『大和名所図会』の記述ともぴったりですよね。
『大和名所図会』の挿し絵では、男女5人が花見をしていて、その傍らを川が流れていますけど、あれは想像の絵なのでしょうね。
近くを川が流れている岡といえば、甘樫丘か雷丘ということになりますけど、それでは岡村と飛鳥村との間にはなりませんものね。
投稿: 玉村の源さん | 2020年3月20日 (金) 14時34分
該当地は埋め立てられた飛鳥池の近くですし、この地は大和国条里復原図を見ても古池、池ノ上、池ノ下などの小字名もあるので古くから池のようなものがあって、そこからの流れが(川のようではなくても)あったのかもしれません。ちなみに瓦窯の岡の小字名はミノヤブですので、今と同じような風景だったかもしれませんね。
投稿: 古都の焼け門 | 2020年3月21日 (土) 15時23分
古都の焼け門さん
コメントをありがとうございます。
なるほど。瓦窯の岡のすぐ東が飛鳥池ですものね。飛鳥池や、それ以外の池からの流れがあった可能性は納得できます。農業用水につかったのでしょうから、池の水を利用するためには流れがあるはずですね。
それでも、やはり『大和名所図会』の絵は、和歌からイメージしてああいう形に描いたものと思いますが。
瓦窯の岡の小字名はミノヤブですか。ありがとうございます。
空中写真などを見ると、耕作地だった時期もあったことがわかりますが(絵はがきが撮影されたのは、そういう時期だったと思います)、木かあるいは竹が生い茂っていた時期もあったのでしょうね。
小字名は貴重ですね。
投稿: | 2020年3月21日 (土) 16時01分