大正15年の「大傑作双六」
昨日のブログでご紹介した「海幸山幸」の絵を含む双六について。
昨日も書きましたが、これは、大正11年に創刊された『少年少女美談』という雑誌の大正15年新年号の付録で、標題には「大傑作双六」とあります。
何が「大傑作」なのか、意味不明です。
右下隅が「ふりだし」になっています。
そこから時計回りに辿ると、以下のようになります。
・美しき口笛(ふりだし)
・叩々斎老人
・風雲時代の子
・無名の愛国者
・天上の桃
・西河津村
・トム物語
・愛国侠児団
・宝物合せ
・人を倒す蟇
・海幸山幸
・水戸黄門漫遊
・兄を尋ねて
・魔法の巨龍
・御馳走の国(上り)
項目名も意味不明なものが大部分です。
私に分かるのは「海幸山幸」と「水戸黄門漫遊」だけでした。
ググってみても、分かったのは1つだけ。
ふりだしの左隣に「叩々斎老人」というのがあります。このままではありませんが、「叩々老人」がヒットしました。
「辞世の句」(http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199304.html)というサイトです。次のようにありました。
●叩々老人(年代不明)
駿河の国に叩々老人という者がいた。禅に興味を持ち、生涯を酒落に暮らしたが、あるとき子供が紙の幽霊を作って木に掛けて人を驚かしていたが、この老人、こんなものでは駄目だと白の浴衣を着て竹馬に乗って、夜中森林の前を徘徊した。時に侍がこれを見て、剣を抜いて切ろうとした。老人は竹馬から落ちてそのショックで腰の骨を挫いてしまい、それ以来病の床に伏せるようになって、遂に死亡した。その辞世、
「五斗(醤油のかす)はおき 後生(来世)も乞わぬ我が腰を折りて今日はい左様なら」(今昔狂歌叢書)
双六の「叩々斎老人」の絵は以下の通りです。
着物の色は違いますが、竹馬に乗っている点など、解説と合っているように思います。
「西河津村」の絵はこのようです。
河童が縛られています。この村の名はググってもヒットしませんでした。
「魔法の巨龍」は以下の通りです。
「魔法のドラゴン パフ」はたくさんヒットしますが、それはドラゴンと少年の交流を描いたもののようですので、双六の絵と合いません。
これら以外はお手上げです。何か分かると良いのですけど。
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