『少年少女美談』大正12年9月号
先日取り上げた「大傑作双六」、なんとも不思議なものでした。
この双六は、『少年少女美談』という雑誌の大正15年新年号の付録です。
その号の本誌を見れば、何か手がかりが得られるかと思いました。
国会図書館のデジタルコレクションを見るのが早道ですが、あいにくデジタル化はされていないようでした。
そこで、「日本の古本屋」で検索してみました。数店がヒットしましたが、いずれも1冊だけで、結構高価でした。
その中に、「美談傑作号」という増大号がありました。値段も他の店のよりも安価でしたので、これを買ってしまいました。
今日届きました。
サイズは、国語国文系の学術誌『国語と国文学』や『文学・語学』などよりも少し小ぶりです。
この号、大正12年の9月号です。関東大震災の直前に発行されたものですね。
その時からも100年近く。よくぞ生き延びてきたものと思います。
この中に、きっと双六に取り上げられた題材が載っているに違いないと思いました。それもいくつも。
目次は折り込み式でした。
右側。
左側。
残念ながら1つもありませんでした。(^_^; むしろ意外。
空振りに終わりました。
終わりの方のページにこんな告知がありました。
やはり掲載された話の人気投票をしていたのでした。
双六の題材集めにも使ったものと思います。
裏表紙の裏側にこういう広告がありました。
字が小さいので、下半分を拡大します。
通信教育の高等女学校ですね。こんな時代に、もう通信教育があったとは。
ただ、当時の高等女学校は5年制だったようですので、それを1年半でというのは無理でしょう。
文章のうしろから4行目の下の方から次行に掛けて「高等女学校卒業の学力を得ることができます。」とはありますが、卒業資格が得られるとは書いてありません。どうなのでしょうね。
この文章も、現代の文章とは異なる言い回しがあって、興味深いです。
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こんな時期から通信制の学校があったのですね・・・それにしても校長先生の肩書に「従三位」とはねえ・・・・
しかしまあ「都會」の女学校のひと月分の学費ですべての学年の分の学費をまかなえるとは・・・私たちの頃にそんな学校があれば・・・と思ってしまいます。
投稿: | 2020年3月24日 (火) 22時23分
すみません、上のコメントは私のものです。
ついうっかり名前を入れずに送ってしまいました。
投稿: 三友亭主人 | 2020年3月24日 (火) 22時25分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
私も先日2回自分の名前を入れ忘れました。
以前はキャッシュか何かで、勝手に私の名前が入っていたのですけど、ここのところ入らなくなってしまって……。
これどうなのでしょうね。確かに「大日本通信高等女学校」と銘打っていますけど、5年掛かるはずの課程が1年半というのが何とも短すぎる気がします。
費用も安すぎますし。
なんか、懐疑的です。(^_^;
投稿: 玉村の源さん | 2020年3月24日 (火) 22時36分
>5年掛かるはずの課程が1年半というのが何とも短すぎる気がします。 費用も安すぎますし。
確かにねえ・・・でも、校長の下田歌子さんは教育者としては有名みたいですね・・・知らなかった私が恥ずかしい(^^;
wikiの記事ですが、官報では正四位までの記録はあるようです。なんでも実践女子の設立者とか・・・・
投稿: 三友亭主人 | 2020年3月25日 (水) 06時35分
三友亭主人さん
下田歌子さんは歌人でもあり、教育者でもあったのですね。
この通信高等女学校についてもっと知りたい気がします。
投稿: 玉村の源さん | 2020年3月25日 (水) 13時17分