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2019年9月20日 (金)

『古典は本当に必要なのか、……』

 このような本を買いました。
Kotenhahontouni
 令和元年9月15日、文学通信発行です。
 今年の1月に明星大学で開催されたシンポジウムがベースになっています。
 このシンポジウムはネットで中継され、私も一部、PCで見ました。

 古典不要論者から、高校の限られた授業コマ数の中で、何を教えるかという優先順位の点で、古典の優先順位は高くない、などという発言のあったことが記憶に残っています。
 そういう主張ならば、必ずしも不要論ということではないと思います。
 でも、それは本心なのかどうか。

 古典って、昔ならば、要らないなどと言ったら、教養を疑われたものでしょうけど、時代が変わりました。

 古典不要論者は、自分で古典をちゃんと学んだ上で、不要論を唱えているのでしょうかね。古典なんか好きでもないし、ちゃんと勉強もしていないけれども、日常生活で何も困ったこともない、というあたりのことがベースにあるのなら、それは違うと思います。

 ただ、冷静になって考えてみると、高校で源氏物語を教える必要ってあるかなぁ、などという思いもあります。
 古典文学を代表する作品ですから、一部なりとも読んでおくべきだという気はしますけど、文章は難しいですよね。源氏物語がちゃんと読めたら、他の古典は楽勝という気もします。内容的にも高校生の必読書とすべきなのかどうか。

 こんなことを書いていたら、怒られそうですけど。(^_^;

 あれこれ考えて行きたいと思います。

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コメント

>高校で源氏物語を教える必要ってあるかなぁ

私の場合、源氏を教えたのはほんの数回ですね。
教えたいとの思いはないではないのですが、あの世界がどこまで高校生に理解しきれるのかと思ったとき、かえって古典を遠ざける原因になってはしまわないかと思っちゃうんですよね。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 高校で古典を教えることは絶対に必要だと思っているのですが、どの作品を教材として取り上げるのか、検討してみる余地はあるように思いまして。

 でも、日本古典文学作品の代表中の代表である源氏物語を扱わないわけには行かないでしょうから、どう扱えば良いのかとも思います。

 難しいですね。

 大昔、高校(母校)に教育実習にいったときに、指導教員(元担任)から「教科書の中から好きなところを選んで授業をしてかまわない」といわれ、選んだのは「更級日記」でした。
 「一の巻よりして、人も交じらず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。」のところです。

 とても好きな箇所だったので、教える私の方がかなり楽しんでしまいました。

 文学でも音楽でもアートでもドラマでもコミックでも何でもかまわない、夢中になってのめり込めるものと出会えたら、それはとても素敵なこと、という思いを抱きながら授業をしたことを覚えています。

 実習期間の最後に、生徒たちに授業の感想を書いてもらったところ、「先生は、更級日記の作者と自分の思いを重ねているのだなということが伝わってきました。文学が好きなんですね。」と書いた女子生徒がいました。

 若い感性は本当に侮りがたいと思ったことでした。

 源氏は、大人の女性には人気が高いんですよね。大学生でも二十歳を過ぎると、一般教養科目などで取り上げると結構反応します。ただ、レポートの内容が途中から自分の恋愛体験振り返りになってしまうところがちょっと。私の授業がまずかったのでしょうが、評価に困りました。笑 

 「葵」あたりの、恋愛のドロドロしたところは、若くてもそれなりにわかるのではないかと思います。ただ、男子はどうかな。(偏見だったらごめんなさい。)

 科学技術は時代とともに進歩するけれども、人の心は大して進歩しない、というのが「源氏」を読んだ感想でした。

 名作だからという理由だけで教材にするのは、やはりいろいろと問題がありましょう。ただ、「もうすこし大人になったら読んでみて。この作品、絶対に面白いから」という思いを、周囲の大人がもっていることは大事なのではないかと思います。

 ご紹介の本、私も買いました。連休明けくらいには届くかと思います。楽しみです。

 

 

 コメントをありがとうございます。

 教育実習のお授業、生徒さんに見事に伝わったのですね。それだけ、思いを込めてなさったお授業だったのでしょうが、高校生、侮れないものがありますね。熱心に聴いていたのでしょう。

 源氏物語は若い女性には人気なのですね。

 古典文学作品って、何百年も、あるいは千何百年も読み継がれて生き残ってきたものですので、価値のないはずがありませんよね。それを、よく分からないままに「何の役に立つのか」という観点で捨て去ってしまうというのは何とも勿体ないことと思います。

 そういうこともあり、また、古典文学作品って、ただ文学作品であるのみならず、当時の社会や人々のものの考え方を教えてくれる資料でもあり、当時の日本語の姿を教えてくれる資料でもありますよね。

 そういう意味では、すぐれた文学作品を読むことの意味の他に、あまりすぐれた文学作品とはいえなくても、また別の価値のある作品もありましょうから、そういう作品も教材に加えても良いのではないかとも思っています。

 あれこれ考えるべきことがありそうですね。

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