明治13年の『絵入道中独案内』
このようなものを入手しました。
小さい本で、手のひらに収まりそうです。旅のお供の邪魔になりません。
表紙には題簽がありません。最初のページはこのようです。
左ページに目録があります。字が小さいですが、東海道筋、中仙道筋、奥州筋、成田道となっています。
奥付。
以前、野蒜が載っている道中記をご紹介したことがありました。
思いがけず三友亭主人さんのご親戚かもしれない方のお名前が載っていてびっくりしました。
今回の道中記で該当箇所を見てみました。
残念ながら、こちらでは、高木から小野へ直行していて、野蒜を通るルートは載っていませんでした。
以前の道中記では「高城」とあったのが、今回のでは「高木」と表記されています。以前のでは「たかぎ」か「たかしろ」か分からなかったのですが、今回のでは「高木」とありますので、読みは「たかぎ」であることが分かりました。
石巻の宿が、今回(明治13年)のでは星屋雄吉とあるのが、前回(明治15年)のでは星雄吉とあります。前回は屋号のような名称であったのを苗字風に変えたのでしょうかね。
毎度おなじみの二川も見てみました。
二川宿の宿は、これまたおなじみの松坂屋権一郎とおもだか屋弥一でした。
お隣の豊橋には、玉あられ、浜名納豆が名物として挙がっています。
また、伊勢神宮への便船がある旨の記載もあります。こちらについては、いつもおなじみの壺屋庄六が載っていません。
比べるとあれこれおもしろいです。
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>高木から小野へ直行・・・
これが最短のルートですからね。
石巻街道(現代は国道45号とほぼ同じルート)もそのような道筋になっています。
https://www.miyatabi.net/kaidou/isinomaki.html
なお、尾形善作さんのことは結局わからずじまいになってしまいました。
あと20年早い時期でしたら地元の年よりも生きていたので何とかなったんでしょうが・・・
投稿: 三友亭主人 | 2019年9月 7日 (土) 09時14分
街道歩きの人には,独案内といえば,今井金吾さんの「今昔東海道独案内」「今昔中山道独案内」「今昔三道中独案内」が有名です。これは昭和49年以降の発刊ですが,絵入道中独案内なんていうのが,あったのですね。
投稿: 萩さん | 2019年9月 7日 (土) 11時29分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
高木から小野へというのが最短なのですね。
前の道中記に載っている野蒜経由のルートは観光を意識したものなのでしょうかね。
尾形善作さんのこと、あと20年早ければ、というのは何とも残念なことですね。
投稿: 玉村の源さん | 2019年9月 7日 (土) 14時22分
萩さん
コメントをありがとうございます。
今井金吾さんの「独案内」という書名は、こういう古い本の書名に倣ったのでしょうかね。
江戸時代まで遡れるかもしれませんね。
江戸時代の旅は、伊勢参りを初めとして、善光寺や秋葉山などへの参拝が多かったのでしょうが、明治になると旅の目的ももっと広くなったのでしょうね。
投稿: 玉村の源さん | 2019年9月 7日 (土) 14時27分