昭和12年の東急沿線案内
このようなものを入手しました。
名称は「沿線案内 東横.目蒲.玉川電車」ということになりましょうか。
当時はまだ東急電鉄という名称はなかったかもしれません。
東横線はそのままですが、目蒲線は目黒線と名を変え、玉川電車(玉電)は新玉川線から田園都市線となりました。
小中高校の時代は玉電のお世話になり、大学以降は目蒲線のお世話になり、今は大井町線と目黒線のお世話になっている私ですので、つい手が出てしまいました。ローカルな路線です。
裏です。
字が小さいですが、沿線の名所案内、四季の見どころ、運賃表などが並んでいます。
渋谷駅付近。
東横百貨店がど~んと描かれています。
近隣の青山学院、國學院、赤十字病院よりもずっと巨大に。(^_^)
さらに、「東横百貨店」の文字が赤字で、赤枠で囲われています。盛大にアピールしています。
東横のマーク、懐かしいです。
渋谷駅から斜め左上に延びているのは玉電です。
左に延びているのは東横線。渋谷駅の隣の並木橋という駅は今はありません。
東横線沿線。
中央を横に走っているのが東横線です。
左にある自由が丘駅の隣が「府立高等」「青山師範」となっています。今は「都立大学」「学芸大学」です。
この旧称は初めて見ました。
玉電沿線。
右下隅の三宿から、太子堂を経て、三軒茶屋で分岐します。左が本線、上に延びているのが支線で、今も世田谷線として残っています。
子供の頃、私の家の最寄り駅は上馬でした。三軒茶屋から駒沢までの間に上馬を含めて3駅あります。玉電が地下化されたときに、この3駅は廃止されてしまいました。その時はうちはもう引越した後でしたが、この3駅を利用していた人たちは随分不便になったことと思います。
大井町線沿線。
上野毛の下と等々力の左に「分譲地」とあり、尾山台の下には「貸住宅地」とあります。
東急が宅地開発も手がけていたのでしょう。関西の阪急と同じ手法ですね。
裏面の冒頭。
沿線名所案内の冒頭が東横百貨店です。(^_^;
山の手随一の百貨店、堂々たる百貨殿堂、日々千客万来の盛況は他の追随を許さず、など大絶賛しています。(^_^;
次項の東横映画劇場にも、山の手随一の映画殿堂という文言があります。
今も、大井町線に乗ると、「次は大岡山。東急病院最寄り駅です」など、しっかり東急グループの宣伝が入ります。
沿線名所案内の後半から。
豪徳寺の項に、「俗に「お猫さん」と称する猫塚があり招福の吉祥として花柳界方面の信仰が厚い」とあります。
豪徳寺には何度か行きましたが、これは知りませんでした。今は溢れんばかりの招き猫が有名ですが。
あ、これかも。
あ、でもこれ、お堂であって、塚ではありませんね。
今度確かめに行かねば。
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豪徳寺の猫塚は気がつきませんでした。
下から2枚目の写真の真ん中あたり,石碑があるところが塚なのでしょうかね。
招猫殿のことでしょうか。蚊に刺されないように見てきてくださいね。
大岡山って,昔から栄えていたのですね。
投稿: 萩さん | 2019年9月 8日 (日) 08時59分
萩さん
コメントをありがとうございます。
萩さんも猫塚には気付かれませんでしたか。
当時は塚だけだったのが、今はお堂になったりなど、変わってしまったのかもしれませんね。
まだ先になりそうですが、今度行くときの注目点です。
大岡山は路線が2本通っているのが便利です。そんなところがプラスになっていそうですね。
投稿: 玉村の源さん | 2019年9月 8日 (日) 09時46分