文政5年の『懐宝 和漢年代記大全』(2)
昨日の続きです。
昨日はオモテ面をご紹介しました。オモテは、推古天皇12年(604)から文政10年(1827)までの1224年間の年表が大部分を占めています。
裏側は以下の通りです。
こちら側は、歴代天皇の一覧、鎌倉・室町・江戸幕府の将軍一覧、中国の歴代王朝一覧、など、様々な一覧が並んでいます。他に、暦(日の吉凶関係)や占いに関する項目もあります。盛りだくさんです。
日本地図。
そう大きな地図ではありませんが、単なる国別けに留まらず、国内の地名も載っています。例えば上野国。
このように、高崎、前橋、館林、沼田、安中(全部、大名領のある地ですね)が載っている他、碓氷と三国峠、榛名山と妙義山が載っています。「上ツケ」の下の地名が読めません。「タコ」とあるのは、多胡碑のある多胡郡かと思いますが、その下というか、それに続く部分が分かりません。
この日本全図の上方に「日本神社仏閣旧地年数」という一覧があります。その冒頭部。
それぞれの神社仏閣の創始から『和漢年代記大全』が刊行された文政5年(1822)までの年数が示されています。
加茂社は「二千四百三十二年」、伊勢内宮は「千九百二年」とあります。計算してみたら、加茂社は紀元前609年、伊勢内宮は紀元前52年となります。途方もない数字ですが、日本書紀の紀年によれば、加茂社は神武天皇52年、伊勢内宮は崇神天皇19年となります。どちらも日本書紀に関係記事はありませんが、日本書紀紀年などをもとにした計算があったのでしょうね。
同じリストの後半です。
出雲大社の「六百五十八年」というのが不審です。計算すると1165年(永万元年)になります。平安末期ですね。平清盛の時代。
出雲大社って、平安時代に何度も大風などによって倒壊していますよね。
その一方、鹿島社、多賀社、三輪社、白髭社は「神代よりちんざ年歴不詳」とあります。出雲大社もこの仲間で良さそうに思いますが。(^_^)
諸国の郡名がふりがな付きで全部載っています。600以上あります。
大和国。
上下に分割した郡は、「そふのかみ(しも)」「かつらきのかみ(しも)」「しきのかみ(しも)」などと、表記にかかわらず、きちんと読んでいます。「忍海」は「おしぬみ」ではなく「おしのうみ」ですね。
上野国。
「群馬」が「郡馬」となっています。(^_^; 読みは、「くるま」ではなく「ぐんま」です。「邑楽」は現在では「おうら」と読まれていますが、「おはらき」という古形で載っています。
昨日のオモテ面に続き、今日は裏面をご紹介する予定でしたが、裏面は内容豊富なので、終わりません。続きます。
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>鹿島社、多賀社、三輪社、白髭社は「神代よりちんざ年歴不詳」とあります。
ということを考えれば、出雲大社がなぜ658年なのか理解に苦しみますねえ?
投稿: | 2019年8月17日 (土) 22時29分
三友亭主人さん
ほんと、不思議ですよね。
出雲大社も「神代より鎮坐」で何の問題もなさそうですのにねぇ。
何か勘違いか、計算違いがあったのでしょうかね。
投稿: 玉村の源さん | 2019年8月17日 (土) 22時35分