梅花の宴の山上憶良の歌
梅花の宴の歌の4首目、山上憶良の歌をかねて不思議に思っていました。
○春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さむ 筑前守山上大夫(818)
意味は、「春になると先ず咲く庭の梅の花を一人見ながら春の日を暮らすことであろうか」ということでしょう。
皆で集まって、梅の花を愛でながら、楽しいひとときを過ごそうという宴席の歌としてはふさわしくないように思います。
孤独感があふれていますよね。みんなでいるのに「独り見つつや」というのが不審です。
憶良はこの宴席に参加しておらず、自宅からこの歌を届けたのだろうというのも考えにくいです。参加していなかったのなら、あとから追和という形で参加することになりましょうから、書面で参加というのはどうも。
前年に妻を亡くした旅人の立場でよんだという説もあるようですけど、それも、旅人の妻の法要の席などでならばともかく、梅花の宴でよむ歌として相応しいとは思えません。
そんな中で、この歌を恋歌とする説があるようですね。相変わらず不勉強で、その説を最初に提唱されたのがどなたなのか調べていないのですが、納得できます。伊藤博氏は恋歌の発想とされています。
万葉集で「ひとり」という語は、恋人や配偶者が側にいない状態について用いられることが多いので、いかにもありそうです。
こんなにすばらしい梅の花を彼女と一緒に見ることができたら、もっともっと嬉しいのに、ということであれば、旅人邸の梅の美しさを褒めることになりますし、それまでの歌の流れを意外な方向に転換させる「起承転結」の「転」にもなっていますしね。
次の歌は以下の通りです。
○世の中は恋繁しゑや斯くしあらば梅の花にも成らましものを 豊後守大伴大夫(819)
意味は、「世の中には恋の苦しみが尽きない。こんなことならいっそ梅の花になりたいものだ」ということでしょう。
大伴大夫は、憶良の歌を恋歌とみて、それを受けてこういう歌をよんだのでしょう。憶良の歌を恋歌と考える上で傍証になりそうです。
自分のオリジナルの考えでもないのに、縷々述べてしまいました。「なるほど」と思ったもので。
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高木市之助先生の「吉野の鮎」でよんだご論考では、ここに旅人と憶良の反発関係を唱えていらっしゃいましたよねえ。でもそうなると・・・旅人の奥さんの死去に際しての憶良の歌歌はどうしても説明できない・・・そんな時伊藤先生のご論考を読んでなるほどと思ったのを思い出しました。
投稿: 三友亭主人 | 2019年7月 8日 (月) 22時11分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
そうですね。山上憶良の日本挽歌には胸に迫るものがありますよね。
憶良の梅花の歌w恋歌とするのは伊藤博氏説でしたか。
それなら良かったです。
先行研究、ちゃんと押さえねば。←いつもそれ。(^_^;
投稿: 玉村の源さん | 2019年7月 8日 (月) 22時49分
妻を失った旅人の思いを忖度したと考えられるのでは と考えついたところで伊藤先生のお考えはこちらだったような気が・・・
家に帰ったらしらべてみようっと。
投稿: 三友亭主人 | 2019年7月 9日 (火) 12時41分