昭和22年の「畝傍山」・ゆききの岡
去年の秋、幻の地名「ゆききの岡」の探究にハマっていました。
実地踏査もした結果、現在の万葉文化館の西の岡(飛鳥寺の瓦窯の岡)がそれであろうとの結論に達しました。
論文にも書いてしまいました。
最近、昭和22年発行の2万5000分の1地形図「畝傍山」を入手しました。
発行は昭和22年8月ですが、大正11年測図、昭和4年鉄道補入という経緯を経ています。地形自体は大正11年当時とほとんど変わっていないでしょう。「著作権所有印刷兼発行者」は「地理調査所」とあります。まだ国土地理院ではありません。
この地図の範囲に飛鳥寺のあたりも含まれます。
「安居院」という文字が赤線で囲んであります。これが飛鳥寺ですね。
安居院の右下(南東)に池があります。今は亡き飛鳥池で、現在はここに万葉文化館が建っています。
池の西から南に掛けて、岡になっています。岡にいくつか地図記号が描かれています。
地図記号の一覧もあります。
これと突き合わせると、岡にあるのは濶葉樹林(今の広葉樹林、照葉樹林でしょうか)と竹林のようです。
古い地図は楽しいです。(^_^)
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通過困難ノ部ってのは何でしょうね?
それにしても・・・今と同じ部分、違っている部分・・・・楽しいですね。
投稿: 三友亭主人 | 2019年7月 5日 (金) 22時29分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
ほんと地図は楽しいです。
そして、仰るように、今と比較すると、なお楽しさが増します。(^_^)
「通過困難ノ部」って、私も不思議に思いました。どんな地図記号なのかと思って。
不思議に思いつつもそのままにしてしまいましたが、今改めて考えますに、この凡例の中で、「草地」までは通過可能の地域で、「濶葉樹林」以降が「通過困難ノ部」ということではないかと思い至りました。
自説では、長塚節はゆききの岡に登っていると考えていますので、明治時代にこの岡が通過困難な場所ではちょっと困るのですが。(^_^;
投稿: 玉村の源さん | 2019年7月 5日 (金) 22時45分
(コメントの続き)
昭和44年の空中写真では、この岡は耕作地のように見えますので、昭和22年当時は、この岡は濶葉樹林で通過困難であったのが、その後、樹木が伐採されて耕作地となり、さらにその後耕作放棄されて現在のような森になってしまった、といったような経緯がありましょうかね。
投稿: 玉村の源さん | 2019年7月 5日 (金) 22時50分