梅花の宴の門氏石足の歌
先日、「梅花の宴の山上憶良の歌」と題して、818番歌をとりあげました。
梅花の宴の歌の中に分かりにくい歌はあまりないのですが、もう1首、845番歌に少し難しい点があります。
○鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため 筑前掾門氏石足
という作です。
口語訳は以下のようになりましょう。
○鴬が待ちかねていた梅の花よ、散らずにいてくれ。いとしく思う子のために
「思ふ子」というのは、私(作者)が愛しく思う子、と解するのが普通と思います。私が大好きな彼女にも見せたいから、散らずにいてほしい、という意味になります。
その場合、「鴬の待ちかてにせし」は「梅が花」を修飾しているわけで、彼女に見せたいという思いには直接は関わりません。
一方、「思ふ子」というのを、梅の花を愛しく思う鶯、ととる説があります。
そうとれば、「鴬の待ちかてにせし」に「梅が花」を愛しく思う鶯の気持ちが表現されていることになり、ここがちゃんと意味を持ってきます。
この後者の説は、古くは代匠記に一説として示されているそうです(澤瀉注釈にそうありましたが、未確認です。(^^;)。
最近の注釈にもこの説を採るものは少なからずあります。
どうなんでしょう。ユニークな発想の歌になると思いますが。
相聞で「子」は男性が女性に対して使いますので、この場合は、梅が男、鶯が女ということになりましょう。
鳥の名には、ツバメ、スズメ、カモメなどのようにメ(女)が末尾に来るものがありますので、鶯を女性とみなすことは不自然ではないように思います。
ただ、相聞に使われている「子」は、作者である男が、恋愛対象である女に使いますから、この歌のように、第三者たる作者が鶯に対して「子」と言うかなぁ、という疑問はあります。
まだ考察途中です。
(追記)
「子」を恋人と考えましたが、鶯を「小さい生き物」の意で「子」と言った可能性はないかなぁと思いつきました。
私も、金魚にゴハンをやるときに、「あ、子供たちにゴハンをやらねば」とつぶやきます。
どうでしょねぇ。わざわざ追記しつつも、違うなぁ、という気がしています。(^^;
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