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2019年7月12日 (金)

梅花の宴の門氏石足の歌

 先日、「梅花の宴の山上憶良の歌」と題して、818番歌をとりあげました。
 梅花の宴の歌の中に分かりにくい歌はあまりないのですが、もう1首、845番歌に少し難しい点があります。

 ○鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため 筑前掾門氏石足

という作です。

 口語訳は以下のようになりましょう。

 ○鴬が待ちかねていた梅の花よ、散らずにいてくれ。いとしく思う子のために

 「思ふ子」というのは、私(作者)が愛しく思う子、と解するのが普通と思います。私が大好きな彼女にも見せたいから、散らずにいてほしい、という意味になります。
 その場合、「鴬の待ちかてにせし」は「梅が花」を修飾しているわけで、彼女に見せたいという思いには直接は関わりません。

 一方、「思ふ子」というのを、梅の花を愛しく思う鶯、ととる説があります。
 そうとれば、「鴬の待ちかてにせし」に「梅が花」を愛しく思う鶯の気持ちが表現されていることになり、ここがちゃんと意味を持ってきます。

 この後者の説は、古くは代匠記に一説として示されているそうです(澤瀉注釈にそうありましたが、未確認です。(^^;)。
 最近の注釈にもこの説を採るものは少なからずあります。

 どうなんでしょう。ユニークな発想の歌になると思いますが。

 相聞で「子」は男性が女性に対して使いますので、この場合は、梅が男、鶯が女ということになりましょう。
 鳥の名には、ツバメ、スズメ、カモメなどのようにメ(女)が末尾に来るものがありますので、鶯を女性とみなすことは不自然ではないように思います。

 ただ、相聞に使われている「子」は、作者である男が、恋愛対象である女に使いますから、この歌のように、第三者たる作者が鶯に対して「子」と言うかなぁ、という疑問はあります。

 まだ考察途中です。
Kanbarahakubai_20190712172901

(追記)
 「子」を恋人と考えましたが、鶯を「小さい生き物」の意で「子」と言った可能性はないかなぁと思いつきました。
 私も、金魚にゴハンをやるときに、「あ、子供たちにゴハンをやらねば」とつぶやきます。

 どうでしょねぇ。わざわざ追記しつつも、違うなぁ、という気がしています。(^^;

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