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2019年6月11日 (火)

澤瀉先生から斎藤茂吉への書簡

 ネットオークションで入手しました。
 タイトル、澤瀉先生には敬称付きで、斎藤茂吉は呼び捨てですが。(^_^;

 封筒表。
Omodaka01
 封筒裏。
Omodaka02
 手紙は巻紙に毛筆書きです。内容は、澤瀉先生がお勤めの大学の国文学会に斎藤茂吉を講師としてお招きしたいという依頼状です。

 そういう内容ではありますが、私信ですので、ほんの少しだけ。
 冒頭部の、時候の挨拶の続きです。
Omodaka03
 「五味君」とあります。
 恩師のお一人である五味智英先生が頭に浮かびましたが、手紙の内容からは、智英先生のお兄さんで、アララギ派の歌人であった五味保義氏と思われます。保義氏は京都大学のご出身ですので。

 斎藤茂吉への講演依頼は五味保義氏を通してすでになされていたようですが、それを受けて、澤瀉氏ご自身が改めて講演依頼をするという内容です。遠方でもあるし、大学の国文学会は貧乏なので、関西にお出での折があれば、その時に講演をお願いしたいという内容でした。

 末尾です。
Omodaka04
 日付は書かれていますが、年が分かりません。封筒の裏も同様です。切手が剥がれていて、消印もあいにく年の部分が失われています。

 ただ、五味保義氏が京都大学を卒業したのが昭和3年とのことですので、この手紙は昭和2年以前の5月と考えられます。

 昭和3年(1928年)3月末現在の関係者の年齢は以下の通りです。
  澤瀉:37歳
  斎藤:45歳
  五味保義:26歳
  五味智英:19歳

 智英先生にも19歳の頃があったのですねぇ。当然のことではありますけれども。

 斎藤茂吉全集に日記や書簡も収められていますので、大正14年~昭和3年のあたりをざーっと見てみましたが、かなり大急ぎでの調べでしたので、関連する事項は見つかりませんでした。見落としの可能性は多分にあります。

 研究史的な意味はないでしょうから、そう重要な書簡ではありませんが、どこかで保管して頂けたらと思います。京都大学、皇學館大学、萬葉学会などが頭に浮かびましたが、萬葉学会は事務局が移りますので、適当ではないかもしれませんね。考えてみます。

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コメント

>澤瀉先生には敬称付きで、斎藤茂吉は呼び捨て・・・

どうしてもそうなりますよね。
斎藤茂吉のほうを呼び捨てにするのは、まあ大伴家持に「さん」を付けないのと同じような門ですからねえ・・・
澤瀉先生は・・・私からすれば師匠筋にあたりますからねえ・・・H先生からよく思い出話を聞かせていただいたものでした。一度・・・お墓参りにもいたことがありますしねえ。

三友亭主人さん

 そうですね。家持もそうですが、鴎外や漱石と同じように敬称なしで良いかなぁと思いました。

 澤瀉先生のお墓は三重県でしたか? お生まれは伊勢山田でしたよね。

>澤瀉先生のお墓は三重県でしたか?

はい、お伊勢さんのすぐそばにありました。H先生に連れられて行ったのですが、いい思い出です。

三友亭主人さん

 お伊勢さんのすぐそばでしたか。
 では、故郷の地なのですね。

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