かむろき・かむろみ
常陸国風土記を読んでいます。恥ずかしながら、私はまだこの風土記をちゃんと読んだことがありませんでした。不勉強で。(^^;
香島郡の条に次のような一節がありました。
天地の草昧(ひらくる)より已前(さき)に、諸祖(もろかむたち)の天神〔俗(くにひと)、賀味留弥(かみるみ)・賀味留岐(かみるき)といふ]、八百万の神たちを高天原に会集(つど)へたまひし時、……
ここには「かむるみ・かむるき」とありますが、祝詞や宣命には「かむろき・かむろみ」として登場します。
六月晦の大祓の祝詞には次のようにあります。
高天原に神留(かむづま)ります、皇親神ろき・神ろみの命もちて、八百万の神等を神集へ集へたまひ、神議り議りたまひて、「我が皇御孫の命は、豊葦原の水穂の国を、安国と平らけく知ろしめせ」と事依さしまつりき。
また、「祟神を遷し却る」祝詞には、かむろき・かむろみが「豊葦原の水穂の国を、安国と平らけく知ろしめせと、天の磐座放れて、天の八重雲をいつの千別きに千別きて、天降し寄さしまつりし時に」とあります。
「かむろき・かむろき」って、特別の天つ神であり、また天孫降臨の指令神のようでもあります。ところが、記紀神話にはこの神は全く登場しないんですよね。不思議なことです。
日本書紀では、天孫降臨の指令神はアマテラスの場合とタカミムスヒの場合とがあります。古事記では両神並列ですね。
「かむろき・かむろみ」の末尾の「き・み」は男女を意味する接尾辞でしょう。「ろ」は「の」に当たる連体助詞でしょうから、そうするとこの神は「神である男・神である女」ということになりましょう。海の神、山の神、野の神、木の神、などと限定されていないところが、神の中の神、特別の神ということになるのかもしれません。
記紀ではこういった漠とした神はあまり見ず、アマテラスなり、タカミムスヒなりといった具体的な神名を与えているように思います。
ということで、大昔には指令神として「かむろき・かむろみ」と呼ばれていた神に、アマテラスなり、タカミムスヒなりの名を代入したことで、日本書紀の正文・一書の状態が生じた、と考えたらどうでしょうか。タカミムスヒを代入したほうが古く、アマテラスが新しいという時間差はそう思いますが。
こんなこと、すでにどなたかが発言しているのか、あるいは発言してすでに否定されているのか、全く知りません。ちゃんと先行文献を読まねば。(^^;
画像がないと寂しいので、毎回必ず画像を載せていますが、今回はよい画像が見当たりません。あとで追加します。(^^)
追加しました。(^_^)
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