渋沢栄一ののぼり旗&津田梅子の写真の裏焼
高崎線の深谷駅には「渋沢栄一生誕の地」の看板が掲げられています。これは以前からで、当ブログでもご紹介したことがありました。
それが、渋沢栄一が新一万円札の肖像に採用されたことで、深谷駅には新たにのぼり旗が立ちました。
上り線に乗ったとき、看板は右側、のぼり旗は左側に見えます。深谷駅は電車に乗って通過するだけですが、外に出れば、駅の外側でも何かアピールしているかもしれません。
上ののぼり旗、しばらく前から見かけて、撮影していたのですが、いつも裏側になってしまっていました。
風のまにまに翻っているので、良いタイミングがつかめないと、裏側になってしまいます。一昨日、やっと表向きの写真が撮れました。
裏側の肖像を見ていて、新五千円札の津田梅子の肖像のことを思い出しました。
津田梅子の画像は、向かって右側を向いている写真を裏焼にして、お札の図案にしたということで、批判も見ました。
これ、どうなんでしょうね。個人的にはOKかと思います。
というのは、お札の肖像は、写真のようではありますけれども、写真そのものではなく、写真を元に肖像画として描き起こして、それを精巧に彫刻して版を作るわけですよね。
その、写真を元に肖像画として描き起こすという範疇に、写真の鏡像を使用するというのは含まれるのではないかと思います。
人の顔は、正確に左右対称ではありませんから、鏡像にするとイメージが変わってしまうこともありましょう。可能であれば、鏡像にしたものを修正して、より本物に似せられたら、それに越したことはないと思いますけど。
思うに、人は誰も直接自分の顔を見ることはできませんね。鏡を見るか、写真を見るかして、自分の顔を知ることになります。その鏡に映った姿は鏡像ですから、人はそもそも鏡像を自分の顔として認識していることになりましょう。写真を見たとき、鏡で見た自分と違うと思うようならともかく、どちらもほぼ同じと認識しているのなら、裏焼をもとにしても良いのではないでしょうか。津田梅子がどう思っていたのかは知る由もありませんが。
私の場合は、鏡を見て承知している髪の毛よりも、写真で見る髪の毛の方が少なく見え、これが不思議でなりません。光線の加減とか、見る角度とか、心の目とか、何かあるのでしょうけど……。
津田梅子の場合、左向きの良い写真が見つかればそれを使うのが一番だと思います。たとえ左向きでも写りが悪ければ、津田梅子としてもイヤでしょうけど。
右向きの写真ではダメなのは、顔の位置がお札の右側なので、そっぽを向いてしまうことになるからですよね。だとしたら、五千円札だけ、顔の位置を左側に持ってくれば、右向きで良いことになりますけど、それも従来の習慣や、新千円札、新一万円札の肖像が右側左向きなのに対して違和感があるかもしれませんね。
せっかく津田梅子の採用が決まったのに、左向きの良い写真が見つからないという理由で別の人物を探すというのは適切でないと思います。それと比較したら、裏焼使用の方がましではないでしょうか。
そんな風に考えました。
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