森鴎外旧居をゆく
学会出張の折は、近隣の史跡巡りを楽しみにしています。
今回は、大宰府に行くかなぁ、巌流島かなぁ、などと考えていました。
でも、実際に行ったのは、宿を取った小倉駅近くのみでした。昔よりも動くのが億劫になりました。(^_^;
駅の南に森鴎外の旧居があるというので行ってきました。鴎外の旧居の存在は小倉に着いてから知りました。
門の所から。
ぴったりの場所にバイクが止まっていたので、バイク越しの撮影になりました。帰るときにはもうバイクはありませんでしたので、帰りにもう1度撮せばよかったです。そういう知恵はあとから湧いてきます。(^_^;
解説板。
鴎外が住んだのは1年半ほどのようですね。
全体像。
見取り図。
この図では上が北になります。玄関は北向きです。写真は北東から南西方向を撮しています。
通り土間からの撮影。
手前が玄関奥の五畳間。その奥が六畳、その奥が八畳の部屋で、鴎外はこの八畳間とその南の部屋を主に使っていたそうです。
鴎外が主に使っていたという八畳間。
1年半ほどしか住んでいなかったとはいえ、実際に鴎外がこの家で暮らし、作品も書いていたのだと思うと感慨深いものがあります。しばしこの部屋でくつろぎました。
その八畳間を出たところから撮した廊下。いや、縁側か。
鴎外の遺書が展示してありました。
墓石には「森林太郎墓」以外に1字も彫ってはいけない、書は中村不折に依頼すること、宮内省や陸軍の栄典は一切固辞することなどが書かれています。こんな貴重なものを、と思いましたが、これは複製だそうです。
鴎外の胸像。
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小倉といえば鴎外ですよね。
私も以前仕事で小倉に言ったことはあるのですが、スケジュールの関係でちょいと無念な思いをしました。
そうそう、鴎外といえば奈良にも関係がありますよね。
博物館の館長として奈良にも長くいましたからね。
といっても、この事実は5年ほど前知ったのですが
http://sybrma.sakura.ne.jp/352ougai.nara50syu.html
こんな歌を詠んでいるなんてそれまだは全く知らないでいました。
そんでもってこんな場所があること初めて知りました。
http://nara-park.com/%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96%E3%81%AE%E9%96%80/
恥ずかしい限りです。
投稿: 三友亭主人 | 2019年5月27日 (月) 21時59分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
恥ずかしながら、奈良の歌五十首も、奈良の家のことも知りませんでした。
奈良の文学者の家といえば、志賀直哉しか思い浮かばず。(^_^;
奈良の歌、興味深く読みました。万葉集から句を採ってきた歌もありますね。鹿の歌もあるのが嬉しいです。(^_^)
奈良の家の方は、官舎なのでしょうね。ずいぶん大きな石碑のようですけど、全く気づきませんでした。今度奈良に行った時にキョロキョロしてみます。
ご教示、ありがとうございました。
投稿: 玉村の源さん | 2019年5月27日 (月) 22時29分