長壁神社をゆく
昨日は、前橋での仕事のあと、別件で群馬県庁の西側に行きました。そちら方面に行くのは初めてでした。長壁(おさかべ)神社という神社があったので、寄りました。
境内には解説板はありませんでしたので、帰宅してからググってみました。
この神社の祭神は長壁姫で、もとは姫路城の天守閣内に祀られていたのだそうです。
ところが、この地を治めていた姫路城主の松平朝矩が前橋に転封となり、寛延2年(1749)、長壁姫を前橋に伴って引越しました。
その際、長壁姫は前橋城内には祀らず、城の未申の地に祠を建て、そこに祀ったのだそうです。
本丸に入れて貰えなかった長壁姫は怒り、利根川を氾濫させて、前橋城の本丸の一部を押し流してしまいました。ここに住めなくなった松平朝矩は、明和4年(1767)に分領であった川越に移ることになります。
この時、朝矩の夢枕に長壁姫が立ち、一緒に川越に連れて行ってくれるように懇願しますが、朝矩がそれを断ったために、翌年、朝矩は31歳の若さで没したとのことです。
祟りの力が強力ですね。
その後、松平家は赤字が続き、莫大な借金を抱えることになった一方、長壁姫が鎮座している前橋の町は生糸産業の繁栄で好景気に沸いたそうです。
明治になっても利根川は度々氾濫するので、明治31年(1898)、長壁姫を前橋東照宮に合祀したとのことです。
ということで、現在の長壁神社の本殿は空き家ということになりましょうか。
社殿の裏側にはお稲荷さんが祀られていました。
土製の狐がたくさん並んでいました。
これを見て豪徳寺の招き猫を思い出しました。
長壁姫が合祀されている前橋東照宮には去年行きました。
この神社の社務所は近代的な建物です。
そこの窓ガラスにこう書かれています。
長壁様と書いてありますね。
なぜ安産祈願なのかはよく分かりませんが、前橋東照宮には、菅原道真と木花咲耶姫も合祀されています。木花咲耶姫には火中出産の神話がありますので、それと安産祈願とは結びつきそうです。このあたりで混線が生じたのかもしれません。
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